癌再発見から放射線療法終了まで

放射線初日、最悪のスタート

下痢、頭痛、湿疹

いよいよ放射線が始まるという日の朝、腹痛で目が覚める。トイレにいくとなんと、克服したと思った下痢がまた始まってしまった。

そして、体中に麻疹のような発疹があるのにも気がついた。——タイケルブのせいだ!すぐに直感。

下痢で食欲はなく、その上、寒気がして頭も痛い。リンパ水腫の腕は虫さされにさえ気をつけろと言われているのに、こんなに湿疹がでてしまって大丈夫だろうか? スリーブを着用すると、チクチクしてかゆみが襲ってくる。放射線でリンパ水腫は悪化するかもしれないのに、これじゃあスリープも着用できない。

最悪!とりあえず、解熱剤で熱を押さえ、バナナ、おむすび、お茶を用意して出かける。

入れ墨は痛い!

放射線技師の人達が私の真っ赤な灰をかぶったような体をみて、皆びっくり同情してくれる。それでも放射線は受けなければならない。昨日はCTをとったが、今日はレントゲンをとって、放射線を受ける位置を測定。体に入れ墨でマークが入る。最近、アメリカでは猫もしゃくしも入れ墨ブームだけど、あんな痛いもの、どうして皆よろこんで体に入れたがるのだろう?私にはとても理解できない。

入れ墨が入ると、いよいよ放射。熱っぽい体に部屋の空気は冷たく、ぶるぶるとふるえるが、動いたらいけないと言われ、放射線が癌だけを焼き切るように、他の臓器に害が加わらないようにと、寝台の上でひたすら祈り続けた。

肌を守るアロエジェル

放射線から肌が焼けるのを守るために、アロエ100%のジェルを1日数回塗布するのがよいと言う。病院内の薬局で買うべきだったのを、家の近くの薬局でもあるだろうと思ったのが間違いだった。2件回っても、100%のアロエがみつからない。3件目でやっと購入。

夜は再び救急棟へ

家にたどりついたころには、再び熱が上がってしまい、食事もとらずにベットへ直行。医師からタイケルブを一時中止するようにと言われたのはよかったが、夜になってさらにかゆみがましてきたので、手持ちのかゆみ止めを使ってよいかどうか尋ねるため、24時間ナースサービスに電話。すると、私の状況は複雑するぎるので、救急病棟へ行けと言われる。結局、ただのかゆみ止めの許可を得るだけに、3時間も救急病棟でくぎづけ、帰宅したのは夜中の2時をとうに回ってしまっていた。

もう、呪われているような、さんざんな一日だった。

湿疹は回復、リンパ水腫は悪化?

放射線療法が始まったのにもかかわらず、タイケルブのすさまじい副作用に襲われた先週。金曜日には薬局から放射線療法に向かう際、時間におくれると走ったところで何年ぶりかの大転倒。よりによってリンパ水腫のある左腕から倒れてしまった。

リンパ水腫でも放射線でも、切り傷は御法度なのだ。

ジンジン、ヒリヒリと伝わってくる痛みを感じながら、擦りむいたかっ?!と心臓が凍りそうだった。が、長袖とコンプレッションスリーブが幸いしたのだと思う。傷がなかったのは本当に感謝だった。打ち身はつくったかもしれないが、なにしろ体がタイケルブの副作用で真っ赤っか。痣があったとしても見えやしない。

湿疹は金曜日になってピーク。夜からステロイドクリームを塗る。まるで何万もの赤いアメーバが体中を這い回っているような異様な姿で、かゆみもときに激しく感じたが、週が明けて、やっと峠を越した。これも感謝!

リンパ水腫の方は、よくなることはなくても、悪化する可能性は常にあると言われているので、放射線の影響、湿疹の影響、そして転倒の影響が気になった。

金曜日夜、左手首がまるでねんざでもしたかのように痛みだし、目が覚めた。

ころんだときには、手首はつかなかったので、ねんざは考えられない。とすると、リンパ水腫のせいだろうか?。。。ならばスリーブをつけるのがよいかもしれない。そう考えてスリーブを着用、再びベットへ。

痛みは消えて良く眠れたが、朝起きてみると、左手首から指にかけて手が腫れている。イヤダー!リンパ水腫が悪化したー!

土曜日で返事がないのは承知で、セラピストにリンパ水腫が悪化していることをEメール。

日中は全く気にならないのだが、夜寝ている間、左手がパンパンにはってくる感じは今も続いている。

放射線療法は始まったばかり。なのに、もし、すでにリンパ水腫に影響がでているとしたら5週間後にはいったいこの左腕はどうなっているのだろう?

厚手のスリーブを着用し続けなければならないと言われたときは落胆したが、リンパ水腫がさらに悪化するかもしれないと知った今となっては、見かけなど気にしていられない。これで悪化を避けられるなら片身離さず着用しなければ!

放射線”遠足”シャトル

28日継続予定の放射線療法もいよいよ残すところわずか5日となった。

放射線の副作用や後遺症の心配で緊張するはずが、神様は思いもかけない「緩和剤」を私に送ってくださった。

医師の計らいで、自家用車で通うところを、シャトルバスでの往復が許されたのだが、このバスの往復が、片道1時間の運転、ガソリン代の節約の他、とても楽しい遠足気分を味わわせてくれている。

毎日一緒に乗っていく仲間は男女あわせて10−15人。肌の色は様々で、平均年齢は60歳を越えているかもしれない。でも、皆とっても明るくて楽しい!

兵役で沖縄にも住んだことがあるという黒人のAさんはニューヨークにいたときは郵便屋さんで、配達中に犬や、ギャングに追いかけられたとか、激しい人種差別があった高校時代、白人生徒の顔が皆同じに見えて、名前が覚えられずに困ったとか、本当なら重たい話を笑顔でおもしろおかしく語ってくれた。

Bさんは82歳なのにジーンズがとてもよく似合うハイカラなおばあちゃん。なんと80際のお誕生日にスカイダイビングをし、鳥になったようで、最高だったと、空中で四肢を広げて微笑んでいる写真を見せてくれた。

レズビアンというCさんは、底抜けに明るくて、すぐに場が盛り上がる。ペットの猫の写真を見せて、「この子は何をするのもすっごくのろいの。特殊教育が必要よ」とげらげらと笑ったかと思うと、別の日には手編みの帽子を皆にプレゼントしてくれるほど気配りがきく。

最後の一人が治療室から出て全員が揃うまで、私たちは皆待合室で待つのだが、乳がんの治療前に甲状腺がんの治療もしたというDさんは、この最後の一人を待っていると、「皆でトイレに隠れちゃおうか?この際、男性も一緒に女性トイレにいれちゃいましょ!」と、いたずらを考える。16歳の孫がいるなんて信じられないほど気持ちが若い!

バスの運転手は若い小柄の黒人女性。私たちは、彼女を「カーボーイ運転手」と呼ぶ。いつも吹っ飛ばして、前の車とキスをするかと思うくらいの車間間隔なら、車線変更をしてくる車にも決して譲らない。そんな彼女が先週、運転中に突然大声をあげたとおもったら、すぐに フリーウェイを降り、バスを止めた。なんと、ハンドルもブレーキも効かなくなって、あわや大事故を起すところだったと言う。

事故を免れたのは、彼女が腕利きの「カーボーイ」だったからだろうか?!

バスが止まった左側には、「シャンペン付きハッピーアワー(割り引きサービスタイム)」の垂れ幕をさげたブーゲンビリアに囲まれたメキシカンレストランが、そして右側には韓国人の教会があった。「代わりのバスが迎えにくるまで、レストランでシャンペンでも飲もうか?それとも、教会に入って、感謝のお祈りでもしようか?」と言ったのは私。

代わりのバスが迎えにくるまで、誰も文句も言わず、また一つ土産話が増えたとばかりに和やかに、笑顔とおしゃべりが絶えなかった。

「このバスには天使も一緒に乗ってるよ。」とCさんが冗談まじりに言ったけど、まんざら冗談でもないと思ったのは、きっと私だけじゃなかっただろう。

放射線療法ついに終了

4月27日から始めた28日間の放射線療法がついに終了した。

昨夜は夕飯後、下痢に襲われ、1週間前から飲み続けた膀胱炎の薬にもかかわらず、 再び不快な症状が現れて、それから夜中には吐き気や頭痛、腰痛、そして熱や咳も出始めて、これはまずいと、今朝は急遽病院へ。

抗生物質を変えてもらってさっそくに服用したところ、幸いにもシャトルバスの出発時間(午後3時)までには、体調がもとに戻った。ふーっ!

バスにたどり着くと、すでに乗り込んでいたいつもの仲間たちが拍手をして迎えてくれる。今日が私の最後の放射線の日であることを知っていて、一緒に喜んでくれたのである。とてもうれしくなって、顔面一杯の笑顔で応えた。:-)

到着した病院では、放射線室の看護士さんたちも、代わる代わる「おめでとう!今日が最後だね。」と声をかけてくださった。「ありがとうございました。」と一人一人に熱い握手。

その後診察をしてくださった医師によれば、癌が放射線に反応したかどうか、肺や心臓は影響を受けたかどうか、そしてリンパ水腫が悪化するかどうか、は全て症状がでるまで知る余地がないとの答え。どうやらベストを尽くして、天命を待つということのよう。

でも、少なくとも、あんなに恐れたリンパ水腫の腕のサイズは変わっていないし、肌も黒くはなったけど、水ぶくれなどは起きていないのだから、感謝であることに違いはない。

そして、バスの仲間のおかげで、この28日間の通院は、思いのほか楽しかった!放射線療法が楽しかったと思えるなんて、いったい誰が想像しただろう?

癌にならなければ、決して会うこともなかっただろう人たちと知り合い、共に笑い、励まし合うことができて、とっても不思議なでも幸せ気分。これが天国の味なのかもしれないと思う。

いつもなら「又明日ね。」と挨拶するバスからの下車の際、「みんなありがとう!元気になってね!」と一人一人と抱擁。 この素晴らしい人々が健康を取り戻し、この後何年もたくさんの祝福を受けますように!「カーボーイ」運転手さんも、毎日の往復ありがとう!

家についてからはジョージに、最後の感激の一日を報告。そしてお寿司屋さんに行ってささやかに放射線終了をお祝いした。

ああ、神様はいるなあと思える28日間だった。