死と希望

アマンダの信仰

7/19 コスタメサにあるカルバリーチャペル(教会)に癌の支援グループがあると知り、ジョージと一緒に参加してみた。

グループには様々な癌と闘っている人、患者家族、癌を克服した人、そして癌で愛する家族を亡くした人たちが集まっていた。

皆再発する癌と何年も闘っていて、癌の治療はすぐに終わると思っていた私はびっくり。

Tom (タム)さんは長女のAmanda(アマンダ)を5年前の7月19日、23歳の若さで亡くされたと話はじめた。

お嬢さんが亡くなった後も同じ病で苦しむ人たちと共に祈るため、グループに参加しているのだった。

別れ際、TomさんはAmandaが書き残した詩集をくださった。

そこには16歳でホジキリンパ腫という血液の癌に犯され、2度の再発と闘い続けた彼女が、神様に襲ってくる不安、恐怖を訴えながらも、最後まで信仰を持ち続けた証が綴られていた。

彼女にとって、信仰が癌と闘う唯一の武器であったことがわかる。

“藁をもすがる“という言葉があるけれど、自分のコントロールできる範囲を越えた状況に置かれたら、人間は何かに助けを求めずにいられない。

医師や薬だけに頼りきれないとき、私たちは神に祈り、先祖に祈り、神社仏閣に願掛けをし、又ある人はお守りを持つのだと思う。

そしてそこから人は生きる希望を抱く。

でも、生きる希望が絶たれた時はどうなるだろう?

Amandaは死の床に伏しても、「何が取り上げられようとも 、私の主イエスキリストへの愛も信仰も変わらない」と、言い続けた。

イエスは十字架上で殺された3日後に復活した。死を打ち破った。

イエスの復活を信じる者には死を迎えてもその向こうに永遠の命という希望がある。

Amandaはこの永遠の希望を信じ、神を最後まで賛美して目を閉じた。

Tomさんは5年目の命日に目を涙でうるわせながら、Amandaの話しをしてくださった。

悲しみは消えない。

でも、Tomeさんは神を呪う代わり、Amandaとの23年の時間に感謝し,この悲しみからたくさんの良き実が生まれることを願い、希望と信仰を強めている.

イエスを知り得て本当によかった。

アマンダ

 

Amanda両親の弔辞訳を読む

邦画「狂った果実」と「生きる」を見た

抗がん剤療法の副作用で、体調が崩れやすく、行動範囲もいたく狭まった最近、近くの公立図書館でDVDやビデオを借りるのがジョージと私の楽しみの一つ。

日本人の多く住むトーランスの図書館には英字幕付きの日本の映画もたくさん用意されている。

ジョージが石原慎太郎の「狂った果実」(1956年)と、黒沢明の「生きる」(1952年)を選んだ。どちらも当時多いに話題をよんだ作品である。

暗いエンディングの「狂った果実」

「狂った果実」は太陽族と呼ばれた金持ちのパーティー三昧の青年たちの間で起きる不倫と恋人を兄に取られた弟が最後に二人を殺害する話。

登場人物は皆ろくでなし。

純粋に思えた弟も最後に二人も殺してしまい、 罪を犯した者はその報いを受けると言うのがメッセージのように思えた。許しも、改心もなければ、希望もない暗いエンディング。心が重くなった。

希望を与える黒沢の映画

一方「生きる」は胃がんで余命いくばくもなくなったまじめ一筋の公務員が、死を目前にして、世間に順応してきた自分の生き方は間違っていたと気づき、生きる本当の喜びを求めたいと願う。

いろいろ模索した結果、彼は官僚主義の職場に挑戦して、市民の本当の見方となり、市民の希望する公園設置に全力を注ぐ。

しかし、その功績を認められることはなく、完成した公園で一人寒い冬の夜息をひきとっていく。でも、彼は最後幸せであったというお話。

死がテーマになっているため、ジョージは「見ない方がいいんじゃない?」と言ったけど、主人公が他者のために残りの時間を捧げようと決心した時点から、また、葬儀のシーンで、自己欺瞞な視点から主人公の行動の変化を理由ずけようとしていた同僚たちが、主人公の偉大さに気づいていく終盤に、多いに勇気づけられ、感動を覚えた。

どちらの映画も現実社会の堕落を的確に描いていたが、「狂った果実」には救いも恵みもなく、「生きる」には死をも乗り越える希望が見えた。人は誰かの人生に触れることができたとき、たとえ死の目前であっても人生に意味を見いだせる。「世界の黒沢」と呼ばれた彼の作品に始めて惹かれた一夜だった。

Amanda両親の弔辞

7/24のブログ「アマンダの信仰
リンク http://www.amandaspoems.com/より
“Life Story”の日本語訳

父の弔辞

 

ここ数日Amanda(アマンダ)の残した思い出にどう感謝の気持ちを表したらよいだろうと悩んでいました。主に祈ってみましたが、いったい誰が今日のような日の準備ができるのでしょう? 一生の思い出をどうしたらわずか数分で語ることができるのでしょう?

Amandaのこと——幼かった時のこと、就寝前の絵本の時間、最初の歯が抜けたときの事、サッカーの試合から単語綴りトーナメント、卒業式から結婚式。。。そんな話しをしようか、それとも彼女が持ち続けた神への信じられないほどの信仰について語ろうか。。結局、両方についてお話させていただくことに決めました。

Amandaはよく詩を通して自分の魂を注ぎだし、生の感情を紙の上に現していました。 Amandaをしのぶため、 癌と診断された少し後 16歳の時に書いた最初の詩を紹介することから始めたいと思います。

小さな事柄

1999年 Amanda Twellman (日本語訳:亮バウム)

夜目を閉じて、一つ一つの夢を満喫したことがある?

貴方のお父さんの目を見て、

その中にかすかに光る輝きに気がついたことがある?

浜辺を歩いて、柔らかい砂をつま先で感じながら

あなたを愛している人たちの笑顔を

鼻の小さなしわまで覚えた事がある?

あなたの中の突然のまぶしい輝き、感じた事がある?

手のひらの一つ一つの皺を残す事なくなぞってみたことがある?

夜、 お母さんが「 おやすみ」と抱きしめてくれる時、

そのやさしい温もりを大切に思ったことがある?

友達、命、目に見えるもの、そしてこんないろいろな小さな事柄を、

神様に感謝したことがある?

 

私達は今日、娘Amanda の生涯を祝うためここに集いました。よく親にとって子に先立たれることほど辛いことはないと申します。しかし、23年の生涯を閉じ、 Amandaは私たちに、今日は葬儀の日ではなく、お祝いの日であること、彼女の生涯を祝う、キリストを通し、彼女が死を打ち破った勝利を祝う日であることを教えてくれました。

Amandaは1982年6月10日、ここからわずか数マイル離れたNewport Beach(ニューポートビーチ)で生まれました。その時、Linda(リンダ)と私は目の前に始まろうとしている旅がどんなものであろうか、どんなに自分たちの人生が永遠に変わっていくか等、想像もつきませんでした。

Amandaは4人の子の長女で、すぐに“父親っ子”となりました。Lindaは少しやきもちを焼きましたが、チャイルドシートに座れるようになった時から、私とどこへ行くのも一緒でした。私たちは一心同体で、 彼女はすぐに小型トラックとカントリーミュージックが好きになりました。

毎朝、ガレージの戸が開く音を聞くと、窓辺に走りより、仕事に出かける私に手を降ってくれたことを、決して忘れません。彼女は一日たりとこれを怠った日がありませんでした。私たちは分離不可能で、毎日家に戻って彼女と時間を過ごす事が待ちどうしくてしかたありませんでした。彼女は私のかわいいShelle Belleで、私は一度も父兄面談、発表会、表彰式、サッカーの試合等、学校行事を逃した事がありませんでした。私は母役をかってでる父で、それを自慢に思っていました。

Amandaは私にとって砂糖菓子プラムのよう。そして私は彼女にとって甘酸っぱいキャンディーのような存在でした。

成長後はさらにすばらしい思い出がたくさんあります。でも、私の心に永遠に刻み込まれたあの日を忘れることもありません。

1998年11月10日、Amandaはわずか16歳でした。その日、親にとって最悪の言葉———「あなたのお嬢さんは癌です。」と、聞かされたのです。

家族にとって、心を引き裂かれるような知らせでした。でも、Amandaは闘士で、さらに大事なことは、神様とイエスキリストに驚くほど強い信仰を持っていたことです。——母親から与えられたギフトでした。

癌の告知を受け、家に戻る途中、これから始まる治療について彼女と話したときのことを思い出します。Amandaは「お父さんが全部解決してくれる。」と知っていたから、少しも怖がっていませんでした。

Amandaと夜の散歩に出かけると、彼女は私をみて言いました。「こんな若くて癌になってよかった。」

わたしはびっくりしました。すると彼女は、「癌が私の目を開いてくれ、今人生がはっきり見える。今までどの服を着ようとか、どんな車を運転したいかとか、そんなことで悩んでた。でも、そんなこともうどうでもいいと思える。私の人生の一分でも無駄にしたくない。大勢の人達は長生きしてもそれを分からないままに過ごしてしまう。でも、私は16歳でそれに気がついたから、これから全く違う人生を生きることができる。」と説明したのです。それが私の娘Amandaでした。

私たちは大人が子供を導くものと考えますが、あの時から、Amandaが私をリードしていったのです。

お渡しいたしました詩集は、7年間の闘病中、彼女の信仰が絶え間なく試されそして強められていく成長の過程を記しています。Amandaはいつもその信仰で覚えていていただくことを願い、決して癌の犠牲者の役は果たしませんでした。 病を通し神の強さに引きつけられて行く事を他者に示すことになったとしても、彼女は神様に彼の望む方法で用いられることを願っていました。

Amandaは消極的なクリスチャンでいたくないとも言っていました。聖書を毎日読み、その他にも本、祈り、聖書研究への参加を通し、彼女が言う次のレベルの信仰に到達することに努力していました。

彼女がどんな人柄であったか、何に信念をいだいていたかを語る詩の一つを読ませていただきます。大胆な信仰の詩——Amandaがキリストを弁護している詩です。

心で生きる

04年3月24日 Amanda Dieppa (日本語訳:亮バウム)

意味もなくただそこに座って 人生が通り抜けるのを待っている。

「貴方の神様は私には必要ない」とあなたは言う。

なぜなの、教えてくれない?

私の信仰は、都合のいい松葉杖

そんなものにだまされない

証拠をちょうだい、何か触れるものをちょうだいとあなたは、言う。

ある人は、神様なんていないといいながら

毎日神に仕えている。

自分という主に。

自分が思うがままに

空しさに苦しまされて

自己憐憫に耽りプライドに操られている。

意味もないあっという間になくなるものに投資している。

過去に何度も失望をしてきたから

人生を捧げるのを拒んでいる。

あなたは、神様の存在を無視しながら

私の信仰を解体していく。

私は、喜びの心で生きているけど

あなたは、知性で生きている。

私の信仰は、力強い触媒。

自分自身への信仰はあなたを妨げる。

私が永遠の岩にしがみついている間

あなたは砂の上に人生を建てている。

知性にしがみつきながら

自分勝手な魂におぼれている。

神様以外の全ての物を

神様という形の穴に当てはめようとしながら

くだらなく意味のない物に。

大切な時間を無駄にしないで

プライドという牢から逃れてご覧なさい。

神様が拒否できない証拠をあなたに見せた時

取り残されてしまわないように。

 

大勢の方が、Amandaのことを、彼女の愛した人生が困難なものであったことを、嘆き悲しまれます。私はよく、彼女が病気にならなかったら、どんな人生を過ごしたのだろうと考える事があります。でも、神様の愛と、友人と、愛する夫Aaron(エアラン)に満たされて、彼女は人生を大切に過ごしました。彼女の人生の価値は、生きた年数ではなく、彼女が何を成し遂げたかによって計られました。

私たちは皆、自分の人生が他の誰かの人生を変える事ができただろうかと考えますが、この意味で、Amandaは多くの事を成し遂げ、長生きする多くの人以上に多くの人生に影響を与えて、人生を全うしました。

彼女が癌と診断された最初の日から、この世を去った時まで、神様は私たちにAmandaとの7年の月日をくださり、そのことを私は一生感謝することでしょう。この7年間、私たちは高校の卒業式、18歳と21歳の誕生日を楽しみ、そして、私は結婚式に彼女と教会のバージンロードを歩くことができました。これらは、私が一生大切にしたい思い出の一部です。

彼女は亡くなる前、たとえ一人でも神様に帰することを助けることができたなら、7年間の痛みや苦しみは意味があったと言いましたが、彼女は私を神様に帰させ、より良い人間、より良いクリスチャンになりたいと思うようにさせたことを皆様に申し上げます。これが彼女の残したものの一部であり、私の中に死ぬまで生き続けるものです。

Amandaは遺言として次の事を述べました。

1.曲“こうして覚えていてほしい”をメモリアルサービスのときに演奏して欲しい。

2.私のことを忘れないでいて欲しい。

3.私の詩を出版し、他の人を励まし、私の力がどこから来たかを知ってもらうために無料で配って欲しい。

4.私をこんなに何年も助けてくれた職場である警察署の全ての皆さんと、私の家族にお礼を言って欲しい。皆さんの支援を私はいつまでも感謝しつづけると伝えて欲しい。

5.私の家族と友人が、私と同じようにキリストを受け入れてくれるように。そうしたら、また天国で会えるから。

 

神様が天国でAmandaを抱き寄せ、そして「私の良い誠実な僕よ。よくやった。」と言っていることをただ想像いたします。

Amandaがいなくなって寂しいです。

心の中で、彼女を一生愛し続けます。

 

 

母の弔辞

Amandaの母でありえたことを多いに感謝しています。

母親となることは私の願いでありながら、同時に最も恐れることでもありました。食事や着るものの世話、愛情をかけることや躾といった彼女の身体的ニーズを満たせないかもしれないと思ったからではありません。私のキリストへの深い愛を理解し感じて欲しいと思ったからです。私と信仰を分かち合わず、天国で再会できない子を持つことなど、想像できなかったからです。

Amandaがキリストを信ずるなら、襲ってくるどんな痛みも苦しみも耐えられるだろうと思いました。私と天の父への信仰と愛を分かち合えるなら、「なぜ?」と疑問に思っても、神の愛と恵み、どのように全てが神の栄光のために働くかということを疑うことは決してないだろうと思いました。

神様がどんなお方かを自分の行動をもってAmandaにしめしていかなければならない大きな責任があることも分かっていました。キリストが私を愛してくださるように、私も彼女の前で行動し、話し、彼女を愛さなければならないと思いました。

私は、天の父のような同じ性質を多く持った良い父親を選びました。彼はAmandaが何をしようと、無条件で彼女を愛しました。彼はいつも彼女のそばにいて、彼女が倒れそうになった時、彼女の力となりました。父親の大きな愛を感じることができたから、天の父の愛も理解できたのだろうと思います。

神様の家族を愛することを教えるため、そして他の強いクリスチャンから学ぶため、私は彼女を教会へつれていく必要がありました。彼女と聖書を共に読み、神と神の栄光を知る喜びが芽生えるのを見ました。

Amandaと信仰を分かち合っていなかったら、彼女の人生はどんなだったか等とても考えられません。神様が彼女の救い主であることを知らなかったら、私たちは今日彼女の生涯を祝うためにここに集うことはなかったでしょう。代わりに私たちは彼女の死をただ嘆くだけでしょう。この恐ろしい不正義を悔やむことでしょう。彼女は平安も永遠の救済という安堵感も得ずこの世を去ったことでしょう。キリストを信じる母親として、これほど想像に耐えないことはありません。

そんな代わりに、私たちは今Amandaが主にあって多いに喜んでいると知りここに集っています。彼女がいつも「確信している」と言っていたように、彼女は天国で私たちの主と、救い主と一緒です。彼女の詩や今日ここに集ってくださった方々から分かるように、彼女は信仰に生き、知っている限りの人たちとそれを分かち合うことを願っていました。

Amandaの死を嘆き悲しまないでください。彼女が天の父と一緒にいることをどうぞ共に喜んでください。彼女はついに神様のことばを聞いているのです。「私の良い、誠実な僕よ。よくやった。」と。

Linda Twellman

父の死

父の人生を刻んでいた時計が止まった。本日日本時間の11月15日朝、87歳で父が逝った。

今年1月に会ったのが私にとって最後の父との面会であった。いつもは1週間ほどの短い帰省なのが、 旅券が失効していることを出発間際まで気がつかず、日本での再発行となったため、結果、思いもかけず3週間を父の介護をして過ごした。

父は大正13年7月17日5人兄弟の3番目として日本が当時併合していた北朝鮮で生まれた。幼いときに父を亡くして、一家揃って帰国。第二次世界大戦のときには21歳で、駐屯先の広島で被爆した。終戦後1年、白血病で入院生活を余儀なくされたと言う。兄と弟は戦死。一人残った男子ということで、母方の家業である電気工事会社を受け継ぎ4年前に退職するまで事業の舵を取った。

長女の私には、就寝時に絵本を読んでもらったり、一緒にお風呂に入ったり、床屋さんに一緒にいったりと、妹たちにはない懐かしい思い出がある。出張の度に鞄一杯おみやげを買って帰ってきてくれる父を、幼い私はまるでサンタクロースでも待つかのように待ちどうしがったものだった。

自分がクリスチャンになってから、ずっと日本の家族もクリスチャンになって 欲しいと願ってきたが、2年前、 「覚悟をしてください」と言われた肺炎から奇跡的に回復した際、父はついにイエス様を救い主として受け入れることを決心した。丁度帰省することができた私は、父に自宅での洗礼式を薦め、私も証人として立ち会った。カソリック式で与えられた洗礼名は光の意味の「ルシオ」だった。

今年の正月、父の車椅子を押しながら、母と3人で教会に礼拝にいった。雪の舞う寒い日曜日であったが、帰宅した後、「行ってよかったなあ」と満足げに語った父の言葉をその笑顔と共に私はずっと忘れないだろう。

私が離日すると同時に体調を崩し、 養護老人ホーム入居。そして老人病院へと人生の階段を下り始めたが、視力や聴力の衰えも目にみえて、食べる喜びもままならず、一人病院のベットで死を待つだけの生活はどんなにか辛かっただろうと思う。なのに文句をほとんど言わず、静かに現状を受け入れていった父は、最後まで前向きであったと、心から尊敬する。

悔やまれるのは、今年の夏もう一度帰省して父に会うはずだったのに、癌でそれが叶わなかったこと。辛い思いをしているときに、もう一度そばにいってあげたかった。この後も、抗がん剤治療中の私は葬儀にも参列できない。

でも、私には今父がどこにいるかはっきりとわかる。父は私たちの創造主のもとにいる。創造主のもとで、今までないほどに幸せであるに違いない。そして私は父と再会できる!

父が私たち家族に与えてくれた全てのことに感謝し、父を召された神に感謝する。

神様はいつだって素晴らしい!

09年1月1日洗礼式を終えた後の父(前列右端)と

死のとらえ方

人は皆例外なく死ぬ。牧師であるジョージの回りにはいつも誰かの死があるが、 臓器移植支援を通し、そして今は癌闘病者支援と自分自身の癌を通し、私のそばにも死がいつもある。

死で全てが終わりになると思えば死=絶望となるが、イエスの復活を信じる者には、この世の生は仮のもので、肉体の死の後に、苦しみも悲しみもない、愛に満ちあふれたイエスとの永遠の命が待っていると、絶大な希望がある。

しかし、死にゆく過程は 癌でなくても、事故で死ぬとしても、少しづつ枯れ果てて行く老衰であったって、 苦しくて過酷だと思う。

細川ガラシャ夫人に学ぶこと

戦国の世に生まれ、石田三成の軍に捕われることを拒むため、38歳で死んで欲しいという夫の命令に従った三浦綾子が描く細川ガラシャ夫人は、夫と、幼い子供たちと最後の別れの言葉を交えるときも、そして、部下に我が胸を突き抜かせるその瞬間も、たじろぐことなくいさぎよく、感謝に溢れ、そして目は確実に天主を仰いでいた。

「人間にとって最も大切なものは命です。けれども、その命よりも、もっと大切なものが人間にはあるのですよ。それが信仰です。」と、三浦綾子はガラシャ夫人に語らせている。

どんな死を迎えるとも、こんなガラシャ夫人のように、最後まで感謝を忘れず、死の苦しみや恐怖に耐え抜く力を得て、天の父を見つめ続けて最後を遂げれたらと思う。

この世は試練の連続。その試練も、天の父に目を据えたなら、成長する機会と意識が変わる。

この世の生が終わるまで、私は少しでも成長して天の父に栄光を帰していかなければならないと、物語「細川ガラシャ夫人」が語りかけた。

そして、天の父に栄光を帰するためには、愛を実践すること。——マザーテレサはそう語った。

日曜日は母の日。日本とアメリカの母に十分愛を伝えたい。

東北大地震と私に共通するもの

福島県から地震の被害にあった教会の牧師が来るからとスーザンに誘われ、彼女の教会へ出かけた。

紹介された、薄グレーのやや長めの髪をした40代と思われる佐藤牧師は通訳者のために、ゆっくりと、短いセンテンスで、わかりやすく話を始めた。

原発から5キロ内にあった教会には避難命令が出され、津波で教会員も亡くなった。避難所では食事や暖に欠ける生活を強いられ、大事な家族や住む家もなくなったのに、「なぜ神様はこんなひどい事を。。」と、文句を言う人は一人もなく、むしろ「神様が一緒にいてくださる。ありがたい。」と感謝の言葉が溢れ、洗礼を受けようと決心した方が8人もいたと言う。

天地を創造された神様は、私たちから災いを取り除かれる代わりに、私たちのそばにきて、共に雨あられの中を歩むことを選ばれる。

遠藤周作の「沈黙」を3回も読んだという従姉妹が、「あんな惨いめにあいながら、なぜ神を信じられるのか、それがわからない。」と質問した時、ジョージは、次のように答えた。

「この世から不幸を取り除こうとすれば、神は人間から自由意志を取り去らなければならなくなる。神は私達を愛しているから、ロボットではない、自由意志を私たちに与えてくださった。そして、自由意志を取り去る代わりに、苦しむ者のそばに寄り添うことを選ばれた。遠藤の作品はそれを伝えている。」

神は地震や津波を止められなかった。私は癌になり、癌はなかなか消え去らない。でも、地震や津波に襲われた被害者の人たちが、感謝の気持ちで溢れ、神の臨在を感じるように、私も神がいつもそばにいてくださっていることを感じ、心強くなる。

「私は乏しいことがありません。。。。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにあられますから。。。」

佐藤牧師たちは、このダビデの詩編23章を文字通り体験し、そして、癌の私も同じように、この言葉に共感する。

この世に不幸は溢れているけれど、神は決して「沈黙」してはいないんだ。

スーザンの教会は、この佐藤牧師の教会のために約300万円の義援金を集め、送ったという。

神様はいつだって素晴らしい!

自分の命を守ることより大切なこと

3000人ほどの人命を奪ったN.Y.のテロ、9.11から10年目の昨日、TVであの日の消防隊員たちのドキュメンタリーを見た。

燃え盛るビルから脱出する人々とは逆方向に、大勢の消防隊と警察官が、救命活動のためにビルに入り、300人以上の消防員、救急隊員、警察官が崩れ去ったビルと共に命を落とした。その後も、汚染された被災地での救済活動の後遺症で、癌や肺病になり、亡くなった人、今も治療を続けている人たちが何人もいることを知った。

10年目の哀悼式の中で、消防隊員であった父親が亡くなったとき、自分はまだ母親のお腹の中だったという少年の弔辞があった。

救済活動の後遺症の癌で消防隊員であった夫を亡くした妻は、「夫は、たとえ、癌になるということ知っていたとしても、きっと救済活動を拒まなかったでしょう。」と、涙を流しながら語っていた。

皆、愛する家族があったのに、あの恐怖で顔がひきつる瞬間も、彼らは、自分の命や自分の家族のことではなく、犠牲者を一人でも救うことを考え煙のたちのぼる上階に向かっていった。

他人を救うために命をかけた倒れた勇者たちにただ感動した。

肺にあやしい陰が見つかったという報告を深刻に受け止めている私。

臆病者の私だけれど、人は皆例外なく死ぬんだ。ならば、あの勇敢だった消防隊員のように、たとえ死が迫ってきても、最後まで他者、家族や、友人、隣人を思いやって生きることができたら、それが神様が望んでおられることに違いない。そう勇気づけられた。

9.11被災地に星条旗を掲げる消防隊員たち

死を恐れない

尊敬の人、マザーテレサの著書、“The Joy in Loving(愛する事の喜び)”にみつけた言葉

「どの宗教も永遠の世—死後の生—を信じます。この世の命が終わりではありません。終わりだと信じる者は死を恐れます。
死は神の家に行くこと以外のなにものでもないと正しく説明されるなら、死を恐れることはないのです。」

死はお産みたいなものじゃないだろうか? 怖くて、苦痛を伴うお産は新しい生命の始まり。それと同じように、死を通り抜けたら全てが完璧である神の国に入り、新しい生を受けることができるんだから!

下はC.S. ルイスの師である小説家、ジョージマクドナルドの言葉。

「宇宙の核であり、全ての始め、そして終わりである生きた神と心と心を交わせるまで、終わることなく続くのは恐怖に違いない。」

そう、天地を創造した神様と一緒だったら、不安も止まる!

「人が耐えられないほどに重荷を感じるのは、明日の心配が今日の心配に加えられるときである。友よ。決してそんなことをしないように。苦しくて、重くて、耐えられなくなったら、少なくとも次のことを思い出して欲しい。重くしているのは自分であって、神ではないということを。神は、明日(未来)のことは(私に)任せて、今日のことだけ心配しなさいと、執拗にあなたに言っているのだから。」(Annals of a Quiet Neighbourhood Sunday Magazine, 1866より)

最後は何度も投獄され、拷問され、殉死したパウロが獄中からピリピ教会にあてた手紙の中の言葉。

「 ある時は生きていたいと思い、また、ある時には反対の気持ちになります。 というのも、この世を去ってキリスト様のそばにいることほど、願わしいことはないから です。 そのほうが、地上にとどまっているより、どれだけ幸せかわかりません。」(ピリピ人への手紙1:23)

「何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えて くださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。 そうすれば、人間の理解をはる かに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その 平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。」(ピリピ人への手紙4:6−7)

残された人たちへ—希望はなくならない

父の命日によせて

室内管弦楽団と聖歌隊の力強く、美しく、心を洗うような音楽と、詩や聖句に織り込まれて、父の名前が他の死者の名前と共に読み上げられた。

昨日、教会では、昨年10月からこの1年間に亡くなった家族を共に偲ぶ、特別礼拝があった。

11月15日の父の命日が近づき、父が生前以上に懐かしくなり、治療のために、最期までの11ヶ月を見舞えなかったことが悲しく思えていた。

日本での葬儀に参列できなかった私にとって、この特別礼拝に参加したことは、父に名誉を与えられたようで、慰めとなった。

父は87歳であったけれど、若い家族をなくした遺族にとっては、後に残された悲しみはさらに深いものだろう。

愛が深ければ深いほど、失ったときの悲しみも深い。後悔や、手の届かないところにいってしまった恨めしさ、大きな喪失感が、わたしたちの命の泉を干上がらせてしまいそうになる。でも、もし彼らが今どこで、何をしているかということがわかったら、それは涙を乾かし、悲しみを乗り越える大きな力となるんじゃないだろうか。

天国というところ

ジョージの指導する聖書クラスで読んでいるヨハネの黙示録は、天国がどんなところなのか述べている。

黙示録は終末論や、ハルマゲドン等、物騒な話題を生んでいる新約聖書の一番最後の書。

一人で読んだら、確かに、訳の分からない想像をしてしまうかもしれない。でも、本当は神様が、悲しみや、苦しみにあえぐ私たちに、絶大な希望と励ましを与え、この世に、憎しみ、悲しみ、そして苦痛と死をもたらしている悪の力に宣戦布告し、神の勝利を約束している書だということを知った。

ヨハネは、神からの啓示の中にみた天国を次のように語っている。

天国の門を開けたら、そこには宝石のように輝くお方が、まばゆいエメラルドの光に囲まれた王座に座っておられ、その回りには白衣をきて、金の冠をかぶった24人の長老が座っていた。王座の前には、7つの灯火と、きらきらと光る水晶のようなガラスの海が広がっていて、王座の4方には、目で覆われた翼をもつ4つの(一つ目はライオン、二つ目は雄牛、3つ目は人の顔をし、4つ目は鷲の様な)生き物が、長老と共に、王座に座っておられる方を賛美し、礼拝していた。

そして24人の長老と、4つの生き物の間に、殺されたときの傷を残した子羊が立っていた。

さらに、王座の回りで、幾千万もの天使が歌を歌っていた。地下や海中に眠る死者も含めた、天地のすべての者が王座におられる方と、子羊に栄光を与えていた。

天国のイメージは、圧倒的に耳にせまる礼拝の賛美歌と重なりあって、父も、こんな汚れ一つない完全な美と誉れに包まれた王座のそばにいるのだと思えた。

父の汚れも恥も清められ、ただ喜びで溢れ、この世での辛いことなど、何一つ覚えていないだろうと思えた。

私が後悔したり、哀れに思ったりする必要など何もないのだと思ったら、悲しみは消えて、平安が心を満たした。

希望はなくならない。たとえ死を迎えたとしても、私たちの希望はなくならない!死の向こうにこそ、私たちを創造された、私たちの罪の償いのために一人子を身代わりにされたお方が、永遠の命を用意して待っていてくださるのだから!

神様はいつだって素晴らしい!

チャック牧師の肺がん公表

Chuck Smith 牧師

ジョージと私が慕うChuck Smith牧師は今年85歳になる。1970年代のアメリカにイエス旋風を巻き起こし、何万人というヒッピーをクリスチャンに導いた。

長髪で、ロックに魅惑されていたティンーンエイジャーだったジョージもその一人。

チャック牧師の起した教会は、天から下る鳩をシンボルとし、カルバリーチャペルと呼ばれて、世界中1,400カ所以上にも広がった。

カルバリーチャペルシンボルの白い鳩。天から下る聖霊を表している。

そのチャック牧師が元旦の日曜日、肺がんであると発表した。

2年前に脳梗塞で倒れたのに続き2度目の危機。

先週、この一大ニュースを受けて、チャックへの特別インタビューがあった。

インタビューはチャックの過去の功績秘話から、現在の心境、そして将来のことにまでに及んだ。

画像に映し出されたチャックはいつもと何も変わりない。落ち着いて、終始笑顔。

自分の最期は近づいていると認めながらも、何も怖くないとチャックは言う。

「神様がいつも一緒におられるから。」

「最悪の事態になっても、それも悪くはないだろう。(神様のところへ帰るのだから。)」

敬虔なクリスチャンの母に、物心ついた頃から聖書を与えられ、イエス様を愛する事を教えられて育ったチャックの最初の夢は医師になることだったという。

医師になって、病気の人たちを助けたい。

その夢が、大学受験を前に、

「病気が治っても、人はいつか死ぬ。永遠の死から魂を救う牧師になりたい。」と、変わり、神学校へ進んだ。

彼にとって、最大の悲劇は、飛行機事故で父と兄を同時に失ったこと。

祈りや信仰はマジナイとは違う。どんなに信仰が厚くても、不幸は起きる。

「なぜ?という疑問に取りつかれてはならない。神様は自分を心底愛してくださっており、神様の計画は完璧である。あなたが知っているこのことを、『なぜ』という未知の疑問とすり替えてはならない。」

人類の歴史の始まりから「本当にこの実を食べたら死ぬと神様はいったの?」とアダムとイブをそそのかしたサタンは、絶えず人を誘惑し、不幸で攻撃し、私たちの信仰の目を出た所から摘み取ろうとする。

神なんていない。神がいたらなぜこんな不幸が起きるんだ?

絶えず聞こえてくるそんな誘惑の声の向こうに、

「私は貴方を愛している。私のそばに来て、貴方の荷を下ろしなさい。わたしは、貴方を決して一人にしない。」と、呼びかけてくださっている神様がいらっしゃる。

チャックが生きようとも死のうとも、彼の信仰に生きる姿は大勢の人に勇気を与えるに違いない。

癌闘病中の私にとって、彼のこれからは、大切なモデルとなることも間違いない。

本物(?)イエスに興奮気味

“Heaven Is for Real”(天国は本物だよ)という本を読み終えた。

昨年友達からクリスマスプレゼントでいただいたのだけど、死後の世界の話はいつもあちこちにいっぱいあって、彼女の心使いには感謝しながらも、きっとまた安っぽい子供だましの様な話だろうぐらいにしか思っていなかった。

でも、この本、2010年以来ずっとニューヨークタイムズ、ノンフィクション欄のベストセラーに選ばれていて、最近は車の中でも聞けるCDブックにもなったそうで、話題を呼び続けている。

それじゃあ、ということで病院へ行く度に持参した。

天国に行ってきた幼児

1994年当時3歳だった男児コルトンが盲腸破裂で死にそうになり、そのとき天国に行って、天使、男児が生まれる前になくなった祖父、流産で生まれることなく亡くなった姉、イエス、イエスの従兄弟のバプテスマのヨハネ、イエスの父の神と出会ったという経験を、牧師である父が回想記述した実話で、読んでいくうちにどんどん引き込まれた。

コルトンの様態がおかしくなってから盲腸破裂と分かるまで1週間かかり、緊急手術となったときは、誰もが死を予感した。

両親は教会員、友人、知人に奇跡を求める祈りを頼み、父は一人病院のチャペルで神に怒りをぶつけた。

「今年はさんざんな事ばかり続いたと思ったら、今度は息子まで取り上げるのか!それが一生懸命仕えている牧師に対する態度か!」

しかし、「最高に無礼な祈り」は多くの人の祈りと共に天に届き、コルトンの手術は奇跡的に成功する。そして、元気になったコルトンは天国の話をしはじめる。

死ぬ事は勝利!

聖書を信じる私はもちろん天国があることを信じている。聖書には天国の記述がいくつもあるけれど、悲しみも憎しみもなく、この世よりもはるかに美しく、神様への賛美と喜びに満ちたところと書かれている。

死ぬことは私たちを創造した神様のもとに帰ることであり、神様のそばで永遠に幸せに暮らすんだと思っていたけれど、コルトンの話を読んだら、益々天国やイエス様が身近に感じられた。

「死んで最初に会うのはイエス様だよ。」

「イエス様はとてもきれいな目をしていて、とってもやさしかった。」

イエス様の様子をさらに聞きたいと、両親はコルトンに様々なイエス様の絵を見せて、「こんなだった?」と質問するのだけど、コルトンは「違う」と首を横にふるばかり。

それが、コルトンと同じように、天から力を受けて4歳から絵を描き始めたという天才少女の描いたイエスの肖像画を見せられると、コルトンは始めてそれが天国で会ったイエス様だと答えたと言う。

本の挿絵にあったそのイエスの肖像画は髪が短くて、鼻筋が通って、とてもハンサム!

夢中になってきた私は今度はこの天才少女を検索。彼女の作品インタビューを見つけたら、コルトンよりも年上(18歳)の彼女が描写する天国やイエス様のイメージはコルトンの言葉よりもはるかに鮮明で、説得力があった。

聖書は偶像崇拝を禁止しているけれど、私は二人の子供たちが口を揃えて「これがホントのイエス様」という写真に、この方が私の汚点の代価を全て払ってくださった命の恩人と、すっかり見とれている。

こんな素敵なイエス様が待っていてくださる天国なら、死ぬ事は終わりじゃなくて、始まり。暗闇じゃなくて、栄光。敗北じゃなくて勝利!

イエス様を知り得て本当によかった!

          

本の表紙と挿絵にあったイエス肖像画。Akian Kramarkという名の少女が9歳のときに描いた作品。

 

 

 

乳ガンで愛妻を亡くされた方からの手紙

40年前に、乳ガンで愛妻を亡くされた方から手紙をいただいた。

奥様は1957年、乳ガンと診断された。長女が生まれて5ヶ月、27歳だったそうだ。

まだ抗がん剤などない時代で、手術と放射線療法だけを受けた。そして5年後、癌寛解を祝った。

でも、それからさらに10年後、癌が再発。1年の闘病後、42歳でこの世を去られたそうだ。

彼女の名前は、教会の海に面した外壁の記念碑に他の死者の名前と共に刻まれ、彼は日曜日の礼拝の度、ここを訪れているとあった。

27歳とは、結婚生活を始めて間もないときだったのだろうと推測する。子供も生まれて、これから巣作りが始まるという矢先。どんなにショックだったことだろう。

でも、それから抗がん剤もなしで15年も生きられたことは、奇跡としか思えない。二人の、そして、二人を取り巻く大勢の人たちの祈りが天に届いたのだろう。

手紙をくださった彼は、今は白髪の、皺を刻む80代になられた。

絶える事のない奥様への愛と、苦労と、悲しみの過去を打ちあけてくださった彼のこと、何も知らなかったけれど、とても親近感を覚えた。

ある人の試練は、他の人の試練より辛く、人生は不平等なことばかりと思う。でも、神を信じる者が一人も滅びないようにと、天の父は一人子イエスを犠牲にして、私たちに平等に永遠の命をくださった。

いつか、全てが終わり、天の国に入ったら、私たちの愛する人達が、全ての涙や苦しみから解放されて、嬉々として天の父と一緒にいる姿をみるだろうと想像する。

「ですから私たちは、いま見えるもの、すなわち、身の回りの苦しみには目をとめません。むしろ、今は見えない天にある喜びを望みみているのです。苦しみは、やがて消え去ります。しかし、その喜びは永遠に続くのです。」(2コリント人への手紙4:18)

パウロはそう語っている。

死の呪文を破るために、神の子でありながら、人の子として生まれてきたイエスの生誕を祝う日、クリスマスがまもなくやってくる。

自らの命と引き換えに、私たちにとてつもなく尊い永遠の命をくださったイエス様がおられるから、冷酷な癌とも対抗できる。死にも耐えられる。

神様の祝福が美しく輝くツリーのように、手紙をくださった年老いた彼の上に、たくさん注がれますように、と祈った。

 

ダッグのメモリアルサービス

「大好きな音楽を聞きながら、孫たちがプールではしゃぐ声を聞きながら、彼は静かに旅たって行きました。」

腎臓と膵臓の同時移植から14年目、髄膜炎にかかり、1年近い闘病後70歳の生涯を閉じたダッグ。

家族から彼の最期の様子を聞いて、そんな逝き方も素敵だなと思った。

ハーバード経営学修士という学歴を持つエリート起業家であったダッグは、私が出会った時は、複数の非営利団体役員として、熱心にホームレスや貧しい子供たちへの奉仕を続ける人だった。

うちの教会では、毎夏近くの海でクルージングを楽しむのだけれど、出航直後、この行事が始まったときからのホスト役だったダッグのために皆で祈りを捧げた。

彼の体をもとにもどす薬がないことを知りながら、「こうしている方が気持ちがまぎれる」と、一人で参加した奥さんのジョーが、スナックの大皿を皆に運びながら笑顔で彼の分まで奉仕に徹していた姿が思い出される。

 

メモリアルサービスの日、ダッグの義姉妹が、ダッグといつも一緒に朗読したという詩編23を読んだ。

「主は私の羊飼い。私には乏しいことがありません。。。。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません。

あなたが私と共におられますから。。。

まことに、私の命の日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。

私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」

 

涙と笑顔を交えながら、子供や孫たちが代わる代わるに生前のダッグとの思い出と感謝を語った。

 

結婚50周年まで後2年というところでこの世の時間が切れてしまったのはとても残念なことに違いないだろうけれど、ダッグが家族に伝承した神への信仰と、家族の絆の強さを垣間見て、「死の陰の谷」を、きっとこの家族は神様に導かれて通り抜けていくことだろうと思った。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

主を信じる者にとって、葬儀はお別れの日ではなく、主の家への帰還を祝福する日。

希望と愛に溢れたメモリアルサービスを終えて、キリストを知り得た私たちは、本当に幸せ者と心から思った。

 

 

 

 

ペパーとの最後の晩

ペパー#1

ペパーの体から命がはなれていく。
時が一刻一刻と刻む度、ペパーの命も一歩一歩遠くへ去っていく。
2日前に突然自分の力で立ち上がれなくなって、病院へ連れて行った。
24時間点滴をして、迎えに行ったら、獣医から「昨日より状態はよくなった。もうしばらく一緒にいられるでしょう。」と言われ、缶詰のドッグフードも受け取って、元気になったペパーが、奥の部屋から歩いてでてくると期待した。
なのに、ペパーはアシスタントに抱かれてやってきて、車に乗せたら首をもたげることもできなかった。
浮き上がった気持ちは、たちまち沈んで、底知れなく重たくなった。
犬の一年は人の7年に値すると聞いている。ペパーは15歳だから、この世での時間が終わりに近づいていることは明白。
でも、獣医の言葉に夢を見た。
家にたどり着くと、分かったらしく視線をあわせる。
「おうちだよ。」と話しかけ、抱いて家に入る。
ファミリールームの陽だまり、水と餌のそばにペパーの布団を動かし、庭に通じるガラス戸を開けて、ペパー を寝かした。
ここが一番気持ちが良い場所のはずだから。
獣医をしている日本の義弟にペパーの血液検査の結果を送りながら、「苦しませるのは可哀想」とこちらの獣医に言われたけれど、安楽死をどう思うかとメールを打つ。
そしてファミリールームに戻ったら、お布団が空っぽでペパーがいない!
庭をみたら、ペパーが倒れている!
全身の力を出し切って、庭に出たんだ。
「ペパー」と呼ぶ私の顔を、瞳だけが動いて認識しているようだった。
再び抱きかかえるペパーの体が軽くて、涙が落ちてきた。
何よりも食べることが大好きなのに、餌どころか、水も受け付けない。
「神様、ペパーが苦しみませんように。ペパーと一緒にいれた長い時間に感謝します。ペパーをありがとう。」と祈ると、ペパーが元気に走り回っていた頃の姿が思い出されて、ポタポタとペパーの上に涙が落ちた。
私たち家族のうれしい時間も悲しい時間も見つめてきたペパー。
癌になってから、どれほど慰められてきたことか。ペパーTorrance Beach.

聖書には、動物のことは書かれていないけれど、こんなに忠実な生き物だもの。神様はきっと人と同じように、新しい体を授けて、神の御国で永遠に生きられるようにしてくださるだろう。
私より先に行って、私の番がきたら、きっと風のように快走して迎えてくれるだろう。

明日は長男の誕生日をここで祝う予定で、子供達がやってくる。
たとえ、ペパーの体が脱け殻になってしまっても、最後のお別れを皆としようと、ジョージが言った。

瞳ももう、動かなくなり、小さな体は、わずかに浮き沈みを繰り返している。でも苦しそうには見えない。
ペパーの物語は終わらない。慈悲深く愛に溢れた創造主がおられるから、彼のそばに行って、ペパーの物語は永遠に続くと信じる。
「神を信じるものが一人も滅びず、永遠の命を得られるようにと、神はその独り子をこの世にあたえてくださるほど愛してくださった。」(ヨハネ3:16)
聖書の言葉を思い出しながら、ペパーと、ここでの最後の晩をともに過ごす。

Peppar 2012  ペパーソックス

中央の赤い靴下がペパー用。もう一度いっしょにクリスマスをという願いはかなわない。

Good Bye ペパー

Good Bye=神様が共にいますように

さようならを英語ではGood byeと言うけれど、Good byeのもともとの意味は“God be with you”(神様が貴方と共にいますように)だと言う。

昨日14日、午後3時40分頃、子供たちの到着を待たず、ペパーは天に召された。

ペパーはいつも私が台所で料理をするのを見るのが大好きだったので、最後の時間、台所が見えるダイニングテーブルのそばに布団ごと移動させ、料理をした。私からペパーへの最後のプレゼント。

料理の香ばしいにおいをかぎながら、ペパーは旅立っていった。

最後の息を引き取るとき、目を大きく見開いて、声にならないまま4回ほど口を大きく開けて吠えたけれど、イエス様が迎えに来たのがわかって吠えたんじゃないだろうか、と想像している。

夜、子供たちが集まったときには、ペパーを囲んで、ペパーとのたくさんの思い出を分かち合った。そして、ペパーという素晴らしいギフトを与えてくださった神様に再び感謝し、“Good bye“を言った。

Good byeが「さようなら」だと思うと悲しみが倍増するけれど、「神様がいっしょにいますように」と思えば、心の痛みが癒える気がする。

ペパーは寿命を全うし、私たち家族にたくさんの喜びと慰めを与えるという生の目的を達成し、最後まで健康で、私を煩わせることなく去っていった、良い子だった。そして、今は創造主、天国のパパのところで喜んでいる。。。。と頭では理解していても、刻々と死に衰えていった姿と、冷たくなった遺体が涙を誘った。

神様の約束

死を迎える人や後に残る家族に寄り添うのが仕事の牧師であるジョージと、昨夜からずっと死について話しあった。

死は神様が創造されたものではない。死は神様にとって、滅ぼすべき「最後の敵」であると、聖書は語る(コリント人への第一の手紙15:26)。

万物、生あるもの全てが、必ずいつか死という別れを経験する。それがもたらす恐怖、肉体的、精神的な苦しみ、空しさ、悲しさの深さを痛感して、死が「最後の敵」と呼ばれる理由がよく分かったという私に、ローマ書8章に書かれたパウロの言葉を繰り返し読めと、ジョージが言った。

 

「けれども、私たちがいま味わっている苦しみなどは、後にいただく栄光に比べたら、取るに足りないものです。 神様がお造りになったものはみな、やがて神の子供たち (イエスを救い主として受け入れる人達)が復活させられる日を、忍耐と希望をもって待ち望んでいます。 その日には、 いばらやあざみ、罪、死、腐敗などは跡形もなく消え去り、私たちを取り巻く世界は、 神の子供たちが喜びをもって味わう、罪からの輝かしい解放にあずかるからです。 動物や植物のような自然界のものでさえ、このすばらしい日を待ち望みながら、病気 や死の苦しみにうめいていることを、私たちは知っています。 。。。。 その日には、神様 が約束してくださった新しい体、すなわち、もはや病気にかかることも死ぬこともない体 をいただくのです。」(ローマ書8:18−23)

 

段ボール箱の中にお花といっしょに冷たく、硬くなったペパーを入れ、また泣いた。

明日、動物の死骸を処理するアニマルコントロールの職員に引き渡すときも、きっと泣けるだろう。

でも、ジョージに教えられた聖句を読んで、朽ちてゆくこのペパーの体は抜け殻、見るに堪え難かった死にゆく姿も、今は神のもとで新しいペパーにと生まれ変わっていると、やっと確信が持てた。

この世はなんと素晴らしい創造主を持っていることだろう!

ペパーがいなくなってとても寂しい私だけれど、立ち直れそう。

神様の約束を信じて、明日もう一度”Good bye”とペパーを見送ろう。

Good Bye Pepper

ペパーを収めた、花屋からもらってきたバラ用の箱。   箱に書き添えたメッセージは;Good Bye (神様と共に)ペパー 愛しているよ!                                        PS:天国でまた会おうね

心乱れて、祈ること

むち打ち刑と死刑を宣告されたクリスチャン妊婦

ナイジェリアで187人ものクリスチャン女学生が、過激イスラム教徒に誘拐されたと聞いたと思ったら、今度は、アフリカのスーダンで、27歳の妊婦が、クリスチャンと結婚し、イスラム教徒になることを拒んだからと、100回のむち打ち刑と、絞首刑を言い渡された、というニュースを聞いた。続けざまに届くクリスチャン迫害のニュースに心が乱れた。

ニュースによると、この女性はイスラム教徒の父と、クリスチャンの母の間に生まれた。父は彼女が6歳のときに姿を消し、以来、クリスチャンの母に育てられた。

シャリア(Sharia)と呼ばれるイスラムの法律の下では、イスラム教を捨てることは死刑に相当する犯罪で、クリスチャンと結婚することは姦通と認められ、むち打ち刑に当たるのだそうだ。

3日間の悔い改め猶予を与えられたが、彼女は、「自分はイスラム教徒であったことは一度もなく、生まれたときからクリスチャンで、これからもクリスチャンであり通す。」と拒否した。

聖書には、イエスを筆頭に、信仰を理由に迫害され、殺される人たちが、イエスの前にも後にも、何人も登場する。でも、それは過去の歴史の中のことと信じたがっていた自分がいた。

100回もむち打たれたら、それだけで死んでしまう!そんな惨いことがスーダンに生まれたというだけで、なぜ無実の女性の上に起きなければならないんだろう。

神様は何をしてるの?! どこにいるの?!

と、信仰が揺らぐ。

でも、何度も問い返しているうち、むしろ、このスーダンの女性がここまで強くいられるのは、聖書の中の人物と同じように、彼女が神と共にいるからに違いないと思えてきた。

私にはとてもじゃないけど想像することさえ恐ろしい。ガンの恐怖は、彼女が直面している恐怖に比べたら、幼稚園レベルにさえ思えてくる。

こんな弱い信仰で、どうするんだろう。

レースを完走した癌友

ここまで書いて、悲しい知らせが届いた。

余命半年の宣告から1年半を壮絶に闘ってきたトリネガの癌友が亡くなった。死を覚悟した最後となったメールで、彼女は「これから待ち受けている運命に出会う強さと勇気を祈って欲しい。」と伝えてきていた。

死を直視しながらも、家族のためにアメリカ中、世界中に生きる道を模索し、いくつもの手術と、過酷な抗がん剤治療に耐え、仕事も続けた彼女の勇気と闘志には、全く目を見張るものがあった。

肉体の死が誰にとっても避けられないものである以上、持てる力を全て出し切って闘った彼女は、敗北したのではなく、人生のレースを勇敢に完走したのだと私には映る。そして、今は天の父と、イエスと、それから彼女の先にいった肉親の父とも一緒になって、歓喜に満ちている姿を想像する。

「がんばったね!ゴールインおめでとう!」そう天を仰いでエールを送りたい。

 

「恐れるな、貴方は私のもの。貴方が深い川を渡るときも、私は貴方と共にいる。抑圧という火の中を歩くときも、貴方は焼かれない。私が貴方の神だから。貴方は私の目に尊い。私は貴方を愛している。」(イザヤ書43:1−4)

 

神の約束を信じて、もっと力と勇気を得て、私も癌友のようにレースを完走したい。

スーダンの女性を始め、虐待や死の恐怖に瀕している多くのクリスチャンたちが救われるように、耐える力が続けて彼らに与えられるように、癌友の残された家族が、たくさんの愛に包まれて、この悲しみから癒されることを、心から祈る。

もし運命を知っていたら

二年前にご主人様を亡くし、一月ほど前には一人娘をも癌で亡くしたAさんが言った。
「夫の家系は皆癌で亡くなってるの。もし、娘も癌で死ぬと知っていたら、私は彼女を産んでいたかどうか分からない。」

「そうですね。」と、相づちを打ちながら、妊娠中にテストをして、胎児に障害があると分かったら中絶できる時代であることを思った。
愛する子供が苦しんだり、死んでいくのなど、誰もみたいはずがない。
でも、次に出てきた言葉は、
「でも、娘さんと、素晴らしい時間をいっぱい過ごせて、楽しい思い出がいっぱいできたのは、それが何もなかったよりよかったんじゃないでしょうか。それに、神様の国で再会できるという約束があるし。。。今は、一日千秋の思いであっても、その時が来たら、きっと、あっという間だったと思いますよ。私はジョージとの間に子供を作らなかった事を後悔してます。」
というものだった。
神様が人間を創造されたのは、愛し合う対象が欲しかったからと言うけれど、人という文字が、倒れる一人と、それを支えるもう一人のイメージから出来たというのと同じように、人間は、愛し合うために生まれてくるのだと思う。
ならば、例えそれが短い時間であっても、愛されること、愛することを経験できることは、十分に意味があることだと思う。

「今の子供達は、家族と一緒の夕食の席でも、下を向いて、携帯に夢中になっている。会話も何もなくて、つまらないったらありゃしない。」
と話が発展していき、その通りだと思う。親子の絆、兄弟の絆、夫婦の絆のありがたさや価値を知らずに育つなんて、もしかしたら、というか、神様の目から見たら、恐らく癌で死ぬよりもっと悲劇に映るだろう。

先のことを知って、回避できることは、確かにたくさんあるのだろうけれど、知らなくて幸いなこともたくさんあるのだと思う。未来の予言は聖書だけで十分。クリスタルボールはないほうがよい。

“Give your entire attention to what God is doing right now, and don’t get worked up about what may or may not happen tomorrow. God will help you deal with whatever hard things come up when the time comes.”ーThe Message: Matthew 6:34

(神様が今なされていることに、全ての注意をむけなさい。そして、明日起きるかもしれない、あるいは起きないかもしれないと心配しないことです。神様が、時に合わせて、どんな困難であろうとも、乗り越えられるよう助けてくださるからです。–マタイ6:34)

死に会ってしがみつくところ

癌闘病同士をまた一人失った。
彼はわずか32歳だった。
非常に希な癌で、3年間必死に闘ったのに、”予後が大変悪い”という予測を翻すことができなかった。
同じ年齢の息子を持つ私には、苦戦を続けた彼の気持ちもさることながら、大事な一人息子の負け戦を見つめ続けた母の気持ちが痛いほど伝わってきた。

時代が変わり、文化が変わり、習慣が変わっても、人の苦しみ、悲しみは変わらない。
何百年、何千年も前に書かれた聖書には、そんな人間の性が様々な人物を通して幾話も語られている。
神の子でありながら人の子として生まれてきたイエスも、死の恐怖、孤独感、屈辱、絶望感、激痛、死と、私たちが経験する全ての苦痛を経験された。
十字架の傍には、息子の極刑を、一部始終、無力のまま見つめる母マリアがいた。
死に瀕している側であれ、それを見つめる側であれ、私たちはイエスやマリアに共鳴できる。
そして、話はそこで終わらない。
3日後に、イエスは蘇り、死を打ち破った。

人類の歴史の始め、アダムとイブが神を裏切り、その代償として死がこの世に入り込んだ時、いづれイブの子孫から生まれる者によって、人類はこの罪の呪いから解かれると予言した神の言葉が成就した。

イエスを信じる者にとって、死は終わりではない。

“御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持てるように“と、神ご自身がその一人子をわたしたちのために犠牲にされたから。
そこまで私たちのことを愛してくださっている神様がいらっしゃるから!(ヨハネ3:16)

今は試練の中にいても、この苦悩は長くは続かない。でも、その後に来る喜びは永遠に続くから!(第2コリント4:18)

“主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる”(詩編34:16)

聖書の言葉なしで、いったいどこに希望や力を求められるのだろう。
私には、ここしかしがみつくところはないと思える。

同じ信仰を持つ一人子を亡くした彼女が、これからも聖書に頼って力を得てくれることを信じ、そう祈る。

安楽死を選んだ脳癌女性のこと

11月1日、安楽死を合法とするオレゴン州で、余命6ヶ月と宣告された脳癌29歳の女性が、一月ほど前YouTubeで予告したとおり、薬によって死を遂げた。
癌が全てを奪う前に、威厳を持って自ら命を断ちたいという意志にもとづいて彼女が亡くなると、彼女を“勇気ある女性”と賛美する記事がいくつも目にとまった。
でも、私には彼女の選択を美化し、彼女が主張した“死の権利”を広めることは非常に危険なことと思えてならない。

癌の脅威は言われなくてもわかる。
病気の進行のみならず、抗がん剤、手術、放射線療法によっても痛めつけられる体のことを考えたら、恐怖で凍りついてしまっても無理はない。
とても美人で結婚したばかりの彼女が受けたショックと恐怖は相当なものだったのだろう。
でも、自分から死を選ぶことが勇気のあることになるんだろうか?
彼女は自殺ではないと言ったけれど、どこが違うんだろう?
私たちは自殺する人たちに同情こそすれ、勇気があったなどと賛美はしない。
神風特攻隊や、忠臣蔵のように、他のために死を選ぶのなら別だけど、癌が怖くて死を選んだのは、希望を失ったからなのだろう。
勇気とは違う。
これは、恐怖に負けて、生きることを諦めてしまったとても残念なケースだと思う。

彼女の死を伝えるたくさんの報道の中に、同じ癌で、同じように余命宣告されながら、13年もサバイブしている人の記事があった。
彼に生きる力を与えてくれたのは家族であり、友人であり、そして信仰だったと言う。
余命宣告を受けながら生き延びている人は少なからずいる。自ら命を断ってしまったら、奇跡が起きる余地もない。

別の同じ脳癌と闘う女性は、「癌になってから自分は今迄以上に感謝の気持ちが増え、人の痛みが分かる人間になれた。癌闘病が、私を変えた。」と彼女に決断を翻すことを懇願した。
一見、過酷に見える癌闘病も、心の持ち方次第で祝福に変わる。

ジョニー多田という若い時の事故で四肢麻痺となり、今は世界中に車椅子を送るチャリティーをしているクリスチャンも、安楽死を選んだ女性になんとか自殺を止まって欲しいと説得した一人だけれど、彼女の話は、死んだら、誰もが天国に行くのではないということを思い出させる切実なものだった。

「死後の世界を変えてくださったお方はただ一人。イエス様だけが死を打ち破り、永遠の命への道を開いてくださいました。安楽死の薬は一時的な救済でしかありません。あなたの痛みや死を変えることのできる唯一の御方に心を開いてください。貴方の決断、致命的で、最悪、絶望の極めとなる結果を、どうかもう一度じっくりと、長い目で眺めてみてください。」

死後、目を開けたら、そこは喜びも愛もない、神のいない闇の世界だったとしたら。。これこそ悪夢!

この世に生まれるのも、この世を去るのも、決めるのは創造主、神様の仕事。
どれほど長く生きるかではなく、与えられた時間をどう生きるかが、私たちに与えられた課題。
耐えられないと思える災いも、苦しみも、イエス様と一緒なら耐えられる。
死の向こうにも希望がみえる。
死の影の谷を一緒に歩いてくださると約束してくださった神様がおられるのだから、死にたいと思っても死んだらいけない!
最後の息をひきとるまで、イエスという希望を見つめて、私たちをとてつもなく愛してくださる神への感謝を持って生きなければ!

私のヒーロー:余命数週間の19歳

死ぬ権利を主張して、自ら命を断った脳癌女性のブログにコメントをくださった方から、同じように脳癌で余命数週間と宣告されながら、バスケの試合に出た19歳女性がいると知らされた。
さっそく検索して、それがLauren Hill(ローレーンヒル)という女性であると知った。

Prom Queen

高校プロム女王(卒業ダンスパーティー、人気投票一位)に選ばれた時のローレーン

19歳なのになぜ?! こんなに身も心も美しい彼女がなぜ?!

神様のなさることは分からない。

でも、一つだけ確かなのは、彼女は世界中の人に勇気を与えているということ。
治療法のないこの恐ろしい癌のことを世に知らせているということ。

彼女は地に落ちて、たくさんの実をつける一粒の麦。私のヒーロー!

昨年10月、18歳の誕生日から49日目に非常に珍しく、手術が不可能なDIPG (びまん性内在性橋グリオーマ)という脳癌で、長くて余命2年と宣告された。

DIPGというのは呼吸をコントロールする脳幹の中で、昆虫の触覚のように神経細胞の回りに根を延ばしていく、普通なら小児に発生する癌。予後は悪く生存率はゼロだそう。

診断をくだされたとき、両親は気分が悪くなって、一瞬気を失いそうになったのに、彼女が医師に質問したことは、小学生の時から始めた大好きな「バスケを続けられますか?」だった。

大学に進み、抗がん剤や放射線療法を受けながら、明日はもう起き上がれないかもしれない、という思いの中、彼女は大学での初試合に参加したいという夢を持って、バスケ部に入部した。

stretching

その直後、今年9月、医師は「もう何も打つ手がない。残された時間は後数週間」と告げた。
時間がなくなる前に、彼女の夢をなんとか叶えてあげたい。
大勢の支援者たちの努力で、11月15日に予定されていた試合は11月2日に繰り上げられた。
DIPGの治療研究への寄付となる1万枚のチケットは販売開始後わずか数分で完売したそうだ。

「絶対諦めない。生きることを忘れて身をひくことなど、一度も考えたことがない。」

そう言う彼女が、泣き崩れたことがあった。
そのとき、彼女は神様に、なぜ自分は生まれたのか?問いたと言う。
「貴方が私をこの世に送られた目的が何であれ、私はそれを果たす用意ができています。」
そう祈り、そして、
「しゃべれない子供たちに代わって、(この知られていない癌のことを)できる限りあらゆる機会を利用して世に知らせていく。」
それが、自分の生の目的と悟った後は、国内外を問わず、インタビューは全て受けている。

「なぜ私は生まれてきたか、それを忘れないことが、私の原動力です。」

癌の嵐を見ないで、イエスのみを見つめて前進する彼女。

シュートで4点を獲得する機会と、彼女のチームに勝利を与えた夢の試合が終わると、1万人の観客から大喝采を浴びて、「人生で今日が最高の日です。」と涙に声を詰まらせて喜びを表現したローレーン。

神は彼女の頭に油をそそぎ、彼女の盃は溢れた。

tears

癌は彼女の体を容赦なく蝕んでいる。刻々と時間を奪っている。
でも、彼女は負けていない!
ステロイドで顔は浮腫んでも、目や耳、筋肉が衰弱していっても、彼女は輝いている!

誰よりも一刻、一刻を大切に生きている!

Lauren、貴方は満開の桜のように、最高にきれいだよ!「なぜ?」という問いは、もう関係ないね!

Tshirt

「22(Laurenの背番号)のためにプレイする。
 ”強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるから。” –ヨシュア記1−9」
  と書かれたLaurenチームのTシャツ