家族/友/愛

明日から小旅行

聖地イスラエルに行ってみたい。

母が教会の旅行でイタリアに行くと言っていたけれど、それなら私もイタリアに行って、母と合流するのはどうだろう?

日本にも帰らなきゃなあ!

年取りすぎる前にハワイでスノーケリングもしたいなあ!

今年の夏には治療も終わるだろうと期待していた私は、全く何が待ち受けているかも知らず、いろいろ楽しい空想をしていた。

復活祭まではジョージが忙しいけれど、それが終わったらとりあえず休暇を取って、どこかに小旅行に行こうと話をしていたのに、転移騒動で、そんな話はとたんにたち切れ。

新しい治療薬のパクリが加わってからは、点滴も毎週になり、旅行の「り」の字も出なくなった。

それが、思わぬ下痢で、治療が中断すると、「シメタ!」と、再び旅行への願望が持ち上がった。

残念ながらこの週はジョージの都合がつかなかったのだけど、これをきっかけに、旅行の日程を6/1から6/4と決め、いろいろどこへ行こうかと考えていた。

結局ロスから北に車で6時間ほど走ったところ、サンフランシスコからなら南へ2時間ほどの、海沿いの小さな町、カーメルに行くことに決めた。

私は、キッチンがついていて、隣部屋や上階の音を気にしなくてよい貸別荘がホテルよりも落ち着けて、いつもお気に入りなのだけど、ジョージが家主に私が癌闘病中であることを告げると、いたく同情してくださり、なんと一晩余分に宿泊を許可してくださった。

「癌寛解を祈って、私からのプレゼント。よかったらどうぞもう一晩泊まってください。」

ウソー!ホント?信じられない!うれしい!

これを恵みと呼ぶんだよね。

明日午前中はESL (英語を外国語とする人たちを対象とした)聖書クラスの日なのだけれど、クラスが終わり次第出かけることに決めた。

到着するのは午後の7時を回るかもしれないけれど、夏時間の今は8時頃までは明るいから、道に迷うこともないだろう。

幸い下痢は止まっており、体調はまずまず。

美しい景色の中で、ゆっくり心も体も休ませてくることができますように。

行って来まーす!

「お父さんありがとう。」

今まで父の日の主導者は私だった。でも、私が癌になってからは、息子たちが積極的に動いてくれるようになった。

明日の日曜日は義父を訪ねる予定なので、1日早く、16日の今日、ジョージのための父の日のお祝いをした。

ジョージのリクエストでスペアリブのBBQ。息子二人と、義娘の3人で、デザートまで盛りたくさんの料理を用意してくれ、私は全てお任せで、キッチンから遠ざかっていた。

父親を喜ばそうと、喜んで料理をする3人を見て、私もとてもうれしかったけれど、ジョージの喜びはもちろん私以上。

私がジョージと再婚したとき、幼かった息子たちは片言の英語しかできなかったのに、水を吸い込むスポンジのようにジョージになついていった。

英語習得、学習障害、反抗期、進学、就職、そして巣立ち、結婚。文化の違う子育てでは、何度夜を徹して二人で話し合ったか分からない。様々な不安を乗り越えて、親孝行な二人に育ったのは、一重にジョージの努力と、神様のお陰。

「尊敬できる父を持って幸せ。。。」と書かれたカードを何度も見て、ジョージが目を赤くしている。

心がジンとして、こんな素晴らしい家族に恵まれた私も、癌の嵐の中にいてもとっても幸せと思った。天のお父様ありがとう!

ジョージと子供たち

副作用に負けず家族旅行

夏になってやっと止まったと思った鼻水がまたぽたぽたと絶え間なく落ちるようになった。何度も鼻をかんでいると、じきに鼻血がクリネックスににじみ出す。パクリを始めてからまた脱毛して、髪の毛どころか、眉毛もまつげもないのに、目の下には黒いシミがうきあがり、今度は鼻孔の入り口もひりひりと赤くなってきた。

鏡に映る火星人のような顔に向かって、

「♫ 真っ赤なお鼻のトナカイさんは、いつも皆の笑い者。。。♫♫」と指をさして歌ってみた。

金曜夜から土曜日丸一日は、やたらと眠くて、何をする気もおきず、ひたすら眠った。足が重くて、ひざを曲げようとすると足がパンパンになって。。。あれもこれも、全てパクリの副作用。

癌になってから3度目の誕生日(10/21)を、また今年も家族旅行で楽しもうと計画しているのに、こんな状態で大丈夫だろうかと、心配だった。

ところが、日曜日の夜に教会でウクレレのコンサートがあり、”How are you?”と次から次へと問いかけてくる皆に、笑顔をやっとの思いでつくりあげていたのが、演奏が始まって、一緒に歌を歌いだしたら、次第に元気が湧いてきた。気がついたら、手拍子を取りながら、お腹の底から思いっきり声を出して歌っていた。そして、コンサートが終わったときは、すっかり元気を取り戻していた。

副作用のピークを乗り越えた模様!

California Weekend Gateway HPより

旅行出発は木曜日、ESL聖書クラスの後。行き先は我が家のあるTorranceから東へ約2時間半走った山のリゾート地Idyllwild。

息子たちは金曜日においつくことになっている。前日の水曜日は点滴の日だけれど、偶然にも今週パクリはお休みで、ハーセプチンだけだから、このまま副作用は下り坂のはず!

Idyllwildにはハイキングのコースがいくるもあるらしく、はたして、この重たい足でどこまで歩けるかは疑問だけど、少なくとも、皆の食事の支度ぐらいはできるだろう。ゆったりとした、広く、きれいなキッチンで料理をするのは、貸別荘を宿泊先として選ぶ、私にとっての楽しみの一つ。

来週25日には再びCTスキャンが予定されており、どんな結果がでるかと、これもまたハラハラ気になるけれど、とりあえず、旅行から戻る月曜日までは考えない。

神様が創造された美しい自然の中で、大好きな家族と一緒に過ごすこの週末がいよいよ近づいて、あーっ!うれしい!

\(^O^)/

 

風邪も一緒だった

山の木々が黄色や赤に色を変え、目の前にそびえ立つ岩山は壮大だった。

予定より大幅に遅れて到着したログキャビンは、暗く静まり返った森の中で、オレンジ色のキラキラと光るイルミネーションと季節のリースで飾られて、まるでクリスマスの美しいプレゼントのようだった。

ログキャビン玄関にかけたられたリース

フィンランドから輸入したというログキャビンの吹き抜けの天井は少なくとも15mはあるかと思うほど。広く、美しいキャビンの中で、秋を感じながら過ごした家族の時間は決して私の期待を裏切らなかった。

  

 

でも、旅行数日前から怪しく感じていた風邪も最後まで私と一緒。

旅行2日目は声が枯れて出なくなり、夜は悪寒と鼻で息ができないほどのひどい鼻ズまり。

翌日のハイキングは私だけ一人留守番だった。

Lake Hemetには虹マスが放流されているというはずだったんだけど。。。

日曜日は、休養したおかげで声がもどり、調子もよくなったと予定通り釣りにでかけた。

でも、曇が湧いて来て、

太陽が覆われてしまうと、とたんに寒くなり、1時間ねばるのが精一杯。どんな魚が釣れるかと期待してたのに、結局収穫はゼロ。

 

 

 

 

 

 

 

夜再び今度はしつこい咳にみまわれた。

帰宅後も、風邪の症状は抜けず、今日は抗がん剤の日だったのに、38度の熱のため、キャンセル。タイケルブもハーセプチンも大事を取って全て一週間お休みということになった。

インフルエンザの予防注射は2週間ほど前に済ませたのに、どうしてこんなしつこい風邪ひいちゃったんだろう?

昨夜の聖書クラスも、明日のホームレスシェルターでのボランティアもキャンセルしながら、抗がん剤を受けている私の体はやっぱり普通とは違うんだと自覚した。前向きにとは言え、身の丈をわきまえなければと思いつつ、私の癌闘病3年目の家族旅行を思い出に残るものにしてくれた皆と、神様に感謝!

 

私のバレンタイン

今年のバレンタインデーは木曜日、ESL (英語を第二外国語とする人たちのための)聖書クラスのある日だった。

クラスに集まって来た皆に、今日は何か特別な予定がある?と聞いたところ、こちらで医師になることをめざしている若い韓国出身のヘイユンが視線を机に落としながら言った。

「ワイフと今夜はどこか素敵な所へ食事に行きたいと思ったんだけど、彼女、今博士課程の論文製作中で忙しいから、代わりに僕に何か作って欲しいって言うんだ。でも、ぼくの国では、バレンタインデーは男性が女性からプレゼントを受けとる日なんで、ちょっととまどっている。」

韓国でも日本と同じ習慣があるらしい。

アメリカでは、バレンタインデーは、男女、既婚独身、年齢を問わず、「あなたのことが好きです。」と、愛を伝える日で、どこのお店もチョコレートや花、カードの特別コーナーがもうけられ、レストランは超満員、長蛇の列が出来る日となっている。

バレンタインデー名前の由来

ロマンチックな気分を味わうバレンタインデーだけれど、バレンタインの名前は、西暦270年頃、ローマに実在したValentine という牧師からきているのだそうだ。

当時、ローマではローマ皇帝をも含む複数の神を崇拝しており、これらの神を拒むキリスト教者は迫害の対象だった。バレンタイン牧師も例外ではなく、彼も投獄された。

バレンタイン牧師を慕う近所の子供達は、投獄された牧師を慰めようと、牧師の庭にある美しい花を牢屋に届けたが、その受け渡しを引き受けたのは、看守の盲目の娘だった。

盲目の娘と友情を深めていったバレンタイン牧師は彼女の目が開くようにと祈りを捧げ続け、そして奇跡が起きた。

彼女の目が見えるようになったことで、彼女の家族、親戚44人がキリストを信じるに至った。しかし、バレンタイン牧師は、このことを知った皇帝の怒りをかい、死刑を宣告された。

断首される前、盲目だった娘に宛てた最後の手紙の終わりの言葉は、

“From your Valentine (あなたのバレンタインより)”というものだった。

最後までイエスを第一とし、死を覚悟で他者に示した愛は、

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)と教えて、十字架の上でわたしたちの罪の償いをしてくれたイエスに倣ったものと、彼の生と死を尊び、以来クリスチャンたちは純粋な愛や友情を示す言葉として、手紙の最後に “From your Valentine”とサインするようになったのだと言う。

愛は癌に負けない

イエスが示した愛のモデルを学んだクラスの後、ヘイユンが顔を輝かせて言った。

「よし!今夜は彼女に僕の愛を伝えるため、がんばって素敵な夕食を作ってやる!」

そして、私も、赤いテーブルクロスをかけたテーブルに特別な食器を用意し、ジョージの好物のラビオリをのせて、内緒で焼いたハート型のクッキーを添えた。

Valentine's Day 2013

お花はジョージから私へのプレゼント

valentine's day cookies

始めて焼いたハート型のクランベリークッキと、右はジョージから私に、左は私からジョージにあてたカード

キャンドルライトと音楽と、ワインも一緒に、二人で特別な夜をつくった。

癌の嵐の中にありながらも、共に歩んでくれる人、支えてくれる人、私にも「私のバレンタイン」が与えられてる。

愛は癌に負けない!そう幸せを感じた一夜だった。

 

気配りが福を呼ぶ

金曜日、母の日のお祝いのため、義母を訪ねた後、介護ホームに入居している義父も訪ねた。

ここの入居者の一人にエバという今年98歳になるおばあちゃんがいらっしゃる。

車椅子に背中を丸くして腰掛けているその表情はほとんど変化がなく、お話も、モソモソとして、私には全く理解できないのだけれど、いつもきれいにまとめた髪に、大きなリボンをつけて、化粧もしていらっしゃれば、ネックレスも指輪もはめて、爪だって赤くマニュキアをして、それは可愛らしい。

昨日も赤いスカートに赤いカーディガンを羽織って、まるでお人形さんのようだった。

「こんにちは。御加減いかがですか?」と顔を近づけて挨拶すると、床に落とした視線は動く事がないまま、「アー、ウー」と、低い声で何かおっしゃる。

車椅子を押すお嬢さんが、「『あなたはお元気そうね』って言ってます。」と通訳してくださる。

そばにいた義父が皺だらけのエバの手を握ると、また「アー、ウー」と何かおっしゃる。「『彼は私のプリンスチャーミング』って言ってますよ。」とお嬢さんが言ったところで、皆の顔がほころんだ。

一人で歩くこともできなければ、身支度も、食事さえもできない。ただ車椅子に座っているだけの毎日だと思うのに、文句を言わず、依然気配りを知っていらっしゃるエバさん。

前向きに生きるか、悲観したり、恨みつらみを重ねて生きるかは、状況次第ではなく、私たちの意志によるのだとまたも思った。

エバさんのような暖かい人の回りには、たとえ目がみえなくなっても、耳がきこえなくなっても、話ができなくなったって、自然と人が集まってくるのだろう。

癌が末期になるにせよ、老衰していくにせよ、どんな形であれ、死が迫ってくるときは、体がぼろぼろになっていく。でも、車椅子になっても、ベットに寝たきりになっても、最後の最後まで、会う人たちに「お元気ですか?」「ご苦労様」と、労をねぎらい、感謝し、人のために祈り続けることができたら素敵だと思う。

土曜日の夜は子供達と二人の留学生が集まって、母の日を私のためにお祝いしてくれた。「幸せ!」と、うれしさを噛み締めながら、アメリカで学んだ一番大切なことーー大事な人たち、そして神様に、どんなに感謝しているか、その気持ちを言葉や態度で表現することーーーを、私もいつも実践し続けていきたいと思った。

母の日2013

 

 

 

 

 

ジョージの声が回復

ジョージの手術から1週間が経った。

手術翌日の声は術前よりさらに弱々しく、カサカサで、とても人前で話せるような代物ではなかった。過去3回の治療でもやはり手術直後の声は弱かったけれど、こんなにひどい状態じゃなかった。

いつも彼に励ましてもらってきた私が、今度は励ます番。

「『心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。』って聖書にもあるじゃない。神様を信頼しなきゃ。」

「明日になったら、きっともっと良くなるよ。」

等といいながらも、落ち込む彼を見ていると、私も一緒に落ち込みそうで、祈りにせいを出した。

手術から3日目の月曜日、わずかながらも声が強みを帯びてきたように感じられ、火曜日の聖書クラスでは、いつもなら水を何杯も飲んで喉を潤さなければならないのに、水に頼る回数を減らして2時間のクラスを全うすることができた。

依然鼻にかかったような、まだ完璧な声ではないけれど、本人は日ごとに強くなってきた声の質に大満足。

彼が元気になってきたから、私の心も軽くなった。

 

牧師の彼は、人が落ち込むとき、耳を傾け、祈り、励まし、勇気を与えるのが仕事だけれど、励ます側に回ってみると、それって本当に大変なことなんだと思う。

私の癌のこと、自分の健康のことも重く心にのしかかっているときでさえも、何人もの迷って悩む人たちのお世話をしてきた彼が信じられない。

なんで、こんな大変な仕事選んじゃったんだろう?と思いながらも、「神様の目に正しいことをしたいから。」というけなげな彼に脱帽。

彼に助けてもらうばかりの私だけれど、私も神様の力に頼って、彼を支えられる良きパートナーにならなければと思うこのごろである。

ジョージ5度目声帯治療終了

夫のジョージの声帯が麻痺して3年目。昨日は5度目の外科治療を受けに再び往復3時間のドライブをしてフォンタナ市まで出かけた。シリコンをふさがらない声帯の隙間に打ち込むという治療で、昨年は3度試みたのに、あまり良い結果が得られなかった。今年医師を変えて8月に再度同じ治療を、でも少しシリコンを打ち込む位置をずらしてしてもらったところ、今迄の中で最高の結果が得られた。でもシリコンは時間が経つと回りの組織に吸収されてなくなっていくとかで、その度シリコンを打ち直さなければならないのだそうだ。

今回は前回よりシリコンの量を増やして、6ヶ月はもつようにとの目算。でも、その分治療にも時間がかかって、待合室に彼が戻って来たのは名前を呼ばれてから2時間以上たった後だった。いつものように治療直後は24時間話をしてはいけないことになっているので、簡単に「前より辛かった」とだけ様子を聞いた。でも、無事シリコンは定めた場所に打ち込まれた様子。

家にもどってきて、大好きなピザを食べた後は、部分麻酔がまだ効いているとみえて、ベットに横になった。

彼が休んでいる間、私は祈ってくださっている教会の人たちに治療が無事終了したことをメール報告。

牧師の彼にとって日曜日は稼働日だけれど、礼拝に出かけると、皆が話かけてきて話をせずにいるのは難しいだろうからと、長老牧師から特別にお休みをいただいた。月曜日は祝日なので、彼にとっては久しぶりの3連休。病院からは声が戻ってくるのは2週間後ぐらいと聞いている。今度も成功して、前回のように強い声がでてくれるとよいのだけれど!期待して祈る。

プレッシャーの後の感謝祭

感謝祭の一週間があっという間に過ぎた。

ホリデーシーズンの幕開けとなる感謝祭をプレッシャー抜きで楽しむためには、クリスマスと正月のピアノ演奏奉仕練習や、女性部聖書クラスの準備、ホームレスシェルター、癌家族支援の奉仕、そしてお世話になった方々へのお礼のメール等を感謝祭前に終えてしまう必要があった。そう思ったら、それが大きなプレッシャーとなり、あやうく感謝祭のお料理買い出しを忘れるところだった。

感謝祭(21日木曜日)前日は寝たのが夜中の2時頃だった。夜の10時を過ぎてから、アップルパイを焼き、七面鳥の詰め物を作り始めたから。全てはもっと早くに終わる予定だったのに、体は予定通りに動かなくて、のたりくたりしてたらそんな時間になってしまった。

案の定、感謝祭当日は6時起きで下準備をした七面鳥をオーブンに入れる予定だったのが、目覚ましのAMとPMを間違えて、起きたのは8時半。お昼の12時に子供たちがやってきて、狭いキッチンが食材と人でいっぱいになったらパニック状態になって、どこから手をつけていいのやら分からず、ただ円ばかりを描いていた。

でも、苦労した甲斐があって、6キロの七面鳥は無事においしく焼け、誰も時間を気にせず、感謝を分かちあって、今年もおもいっきり楽しく感謝祭をお祝いできた。

今年の私の第一の感謝は、もちろん、癌告知から4度目の感謝祭を家族揃って迎えられたこと。第二の感謝は日本帰省が叶ったこと。それから、二人三脚で私の闘病を支えてくださる主治医、癌緩解の決め手となったパクリを教えてくださり、今も毎日のように情報交換をし、励まし合っているドクターMさん、癌を通して巡り会った多くの癌友、絶え間なく私を励まし愛してくれる家族、友,、ブログを続けて読んで下さっている皆様。。。とリストは長く続く。

これも全て、私が命を預けた神様のお陰。間違った選択をいっぱいして、今だって明日を生きる権利等何も持たない私なのに、私の命を自らの血で買い取ってくださったイエス様のお陰。

4日間十分に休養して、さあ、明日からまたがんばる!

 

 

ペパーとの最後の晩

ペパー#1

ペパーの体から命がはなれていく。
時が一刻一刻と刻む度、ペパーの命も一歩一歩遠くへ去っていく。
2日前に突然自分の力で立ち上がれなくなって、病院へ連れて行った。
24時間点滴をして、迎えに行ったら、獣医から「昨日より状態はよくなった。もうしばらく一緒にいられるでしょう。」と言われ、缶詰のドッグフードも受け取って、元気になったペパーが、奥の部屋から歩いてでてくると期待した。
なのに、ペパーはアシスタントに抱かれてやってきて、車に乗せたら首をもたげることもできなかった。
浮き上がった気持ちは、たちまち沈んで、底知れなく重たくなった。
犬の一年は人の7年に値すると聞いている。ペパーは15歳だから、この世での時間が終わりに近づいていることは明白。
でも、獣医の言葉に夢を見た。
家にたどり着くと、分かったらしく視線をあわせる。
「おうちだよ。」と話しかけ、抱いて家に入る。
ファミリールームの陽だまり、水と餌のそばにペパーの布団を動かし、庭に通じるガラス戸を開けて、ペパー を寝かした。
ここが一番気持ちが良い場所のはずだから。
獣医をしている日本の義弟にペパーの血液検査の結果を送りながら、「苦しませるのは可哀想」とこちらの獣医に言われたけれど、安楽死をどう思うかとメールを打つ。
そしてファミリールームに戻ったら、お布団が空っぽでペパーがいない!
庭をみたら、ペパーが倒れている!
全身の力を出し切って、庭に出たんだ。
「ペパー」と呼ぶ私の顔を、瞳だけが動いて認識しているようだった。
再び抱きかかえるペパーの体が軽くて、涙が落ちてきた。
何よりも食べることが大好きなのに、餌どころか、水も受け付けない。
「神様、ペパーが苦しみませんように。ペパーと一緒にいれた長い時間に感謝します。ペパーをありがとう。」と祈ると、ペパーが元気に走り回っていた頃の姿が思い出されて、ポタポタとペパーの上に涙が落ちた。
私たち家族のうれしい時間も悲しい時間も見つめてきたペパー。
癌になってから、どれほど慰められてきたことか。ペパーTorrance Beach.

聖書には、動物のことは書かれていないけれど、こんなに忠実な生き物だもの。神様はきっと人と同じように、新しい体を授けて、神の御国で永遠に生きられるようにしてくださるだろう。
私より先に行って、私の番がきたら、きっと風のように快走して迎えてくれるだろう。

明日は長男の誕生日をここで祝う予定で、子供達がやってくる。
たとえ、ペパーの体が脱け殻になってしまっても、最後のお別れを皆としようと、ジョージが言った。

瞳ももう、動かなくなり、小さな体は、わずかに浮き沈みを繰り返している。でも苦しそうには見えない。
ペパーの物語は終わらない。慈悲深く愛に溢れた創造主がおられるから、彼のそばに行って、ペパーの物語は永遠に続くと信じる。
「神を信じるものが一人も滅びず、永遠の命を得られるようにと、神はその独り子をこの世にあたえてくださるほど愛してくださった。」(ヨハネ3:16)
聖書の言葉を思い出しながら、ペパーと、ここでの最後の晩をともに過ごす。

Peppar 2012  ペパーソックス

中央の赤い靴下がペパー用。もう一度いっしょにクリスマスをという願いはかなわない。

突然にイスラエル旅行

いつか行きたいと夢にみていた聖地イスラエルに、2月18日から10日間行くことになった。

イスラエルは、聖書によれば、「乳と蜜の流れる土地」として、紀元前約2000年、神がアブラハムに与えた地。この土地から、アブラハムの子孫が夜空の星のように増えていくことを、神は約束し、それから2000年後、救世主イエスが生まれた。

なのに、この国は建国から今にいたるまで戦火が絶えない。おまけに私は抗がん剤続行中だし、夢の旅行話が具体化することはなかった。

それが、先週、ジョージと同じように牧師をしている義理の弟夫婦から、彼の教会でイスラエルツアーを計画しているけれど、空席があるから一緒にいかないかい?と誘われた。

今年の3月で結婚20年の節目を迎える記念にイスラエルへ行けたらいいね、と、幾度となく話してきたジョージと私は、予期せぬ誘いにびっくり!

このツアーを毎年恒例行事として続けていると言う義弟によれば、緊張している危険な場所はごく一部に限られているから、そこさえ避けたら、あとは、何も問題がないと言う。

「何度行っても、感激して、心が洗われるよ。」

「イエスの最初の奇跡、結婚式場で水をワインに変えた場所、カナでは希望者に結婚の誓いを立て直す式を施すんだ。20周年記念を迎えるなら、二人も誓いを立て直したら良いよ。」とまで言われ、ジョージと顔を見合わせる。

「これホント?夢じゃない?信じていいの?」

「棚からぼたもち」「渡りに船」とは、このこと。旅行費用はコツコツと貯めてきたし、ジョージも休みが取れると言う。問題は、抗がん剤を受けてる私の体。

さっそく主治医にメールで相談してみた。

「すばらしいじゃない!二回目の点滴が旅程と重なるけど、帰国してからにずらせば良いから、行ってらっしゃい。」と、うれしい返事がもどってきた。

それでも、29日から始めるパージェタの副作用が気になってなかなか決断がつかない。向こうで体調崩したら嫌だし、と思いつつ人とこのイスラエル行きの話をしていると、気持ちがどんどん「行く」という方向に傾いて、こんなチャンスは2度とないと、ついに行くことを決定!

そう決めたら、うれしくて、副作用の心配もどこかへ飛んでいってしまった。

聖地を訪れたら、癌完治の奇跡も起きるかもしれないーーそんな希望さえも湧いてきた。

こんなに突然、簡単にイスラエル旅行が実現するなんて、これも神様からのギフトとしか思えない。

神様はいつだって素晴らしい!

愛は負けない

バレンタインデーの昨日、ジョージから美しい花束とチョコレートを受け取り、私はまたハート型のクッキーを焼いた。

Flowers

今年は私たち夫婦にとって結婚20周年。

子連れの国際再婚は紆余曲折、結婚や親子関係の危機は何度もあった。それがここまでこれたのは、一重にジョージの努力と神様のかけがえのない恵みがあったから。

一人前に成長した二人の息子たちのことを、ジョージと再婚せず、日本で育てていたらどうなっていただろうと、ときどき考えることがある。特に注意欠陥疾患多動症でありながらウェッブデザイナーとなった次男のことを思うと、ジョージを父とし、アメリカで就職の場を与えられたことが彼の成功に多いに貢献したと思わずにいられない。

癌闘病のこの4年間、私もジョージにどれほど支えられてきたことだろう。彼がパーキンソン病になったのは、癌闘病が与えたストレスが原因だったかもしれないのに、いつも私を守ろうとし、神様の方角を指差し、私を、子供たちを導いてきてくれた。

神様は、出来の悪い私を知って、並ではダメと、超強力な夫をくださったに違いない。

貴方とどこまでも!

旧約聖書の中に、異邦人でありながらイスラエル人の姑についてイスラエルの民となり、イエスの家系に名前を連ねることになるルツという女性の話、「ルツ記」がある。

そのルツ記の中で、外地に出向いて未亡人となり、二人の息子も亡くし、故郷のイスラエルに帰ることを決めた姑ナオミが嫁のルツに、「あなたも自分の家にもどりなさい。」と親子関係解消を勧める。するとルツは涙を流して、

「あなたから離れて、家に帰れ等と言わないで下さい。あなたがどこへ行かれようとも、私はあなたについて行きます。あなたがどこに住まわれようとも、そこに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」と、姑ナオミとどこまでも運命を共にすることを申し出る。

「あなたの行くところ、どこへも私はついて行く。。。」

このルツの言葉を、バレンタインデーのカードに書き添えた。

イスラエルに行ったら、カナの教会で結婚の誓いを新たにする予定の私たち。

癌闘病を通して、神様は私たちの愛を強くされた。愛は決して癌にもパーキンソンにも負けない!

 

イスラエルの旅:1)最初の関門ー出国と入国

緊張する治安状況

日曜日、エジプトからイスラエルに向かう韓国クリスチャンを乗せたツアーバスが国境付近でテロに爆撃されたとニュースで聞いた。

イスラエルはシリア、ジョーダン、イラク、エジプト、サウジアラビア等のイスラム圏の国に囲まれており、敵対視されている。クリスチャンも、敵と見られている。

国境を挟んで北側にあるシリアは内戦が続いて治安がかなり悪化しているらしい。

こんな状況だから、入国審査は厳重で長蛇の列が予想される。

「癌患者ということで車椅子に乗せてもらったらそんな長い列もすぐパスできるわよ。」と誰かが言ったけど、これは、まんざら悪いアイディアじゃないかもしれない。

今一の体調

大寒波に襲われているという日本とは比にならないけれど、連日20℃を越えているロスに比べたら、やっぱりイスラエルは寒いようだ。特に朝晩は10℃以下になるみたい。

咳が抜けなくて、体調は今一のまま。

熱等でなければよいのだけれど。。。

無事出発できるか?

ロスからイスラエルまでは直行便で約13時間。時差は向こうが10時間早いのだそうだ。日本は17時間先だから、日本との時差は7時間ということになる。

家を朝9時半に出て、飛行機が飛び立つのは午後1時半。テルアビブ到着は向こう時間で19日の2時の予定。

去年の日本帰省では空港でチケットの確認ができなかったり、セキュリティーチェックでひっかかって、大変な目にあった。今回のツアーは皆アメリカのパスポートなのに、私だけ日本のパスポート。おまけにパスポート上の名前は旧姓石川のままだから、また航空券の確認ができないとか言われて、私だけ置いてきぼりなんてことにならなきゃいいのだけれど。

不安材料いろいろあって、心配。無事現地に到着してブログの更新ができますように!

イスラエルの旅:2) 3千年前の港町

無事出国、入国できて、聖書の舞台であるイスラエルについに到着した。降り立ったテルアビブの空港は大きくて、きれいで、入国審査も簡単なら、税関はなんと無人で、戦争のイメージは全くなし。ロスの空港の方がはるかに警備が厳重だった。
天気は快晴。日差しが強くて、夏そのもの!これが地中海性気候と呼ばれるものなんだろうか?

ヨッファ(Jaffa)

テルアビブから地中海にそって北に30分ほど走る。小さな商店が混み合って、狭い2車線だけの道路には中型車があふれ、ちょっと昭和30-40年ぐらいの日本をみているようだった。
すると、突然、石畳みの細い道と、肌色の石壁に、アーチ型の窓がついた、いかにも古い街並みが目に入ってきた。

到着したのは、旧約聖書ヨナ記に出てくるイスラエルで最も古い港町ヨッファだった。

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地中海に面したヨッファの港。向こう岸にみえるのはテルアブブ

ヨナ記は紀元前1000年頃の話だそうだ。ということは、この町は少なくとも3千年の歴史を持っている事になる。

ガイドの説明によれば、ソロモンがエルサレムに神殿を建てた時、材木を輸入したのもこの港町だったという。

新訳聖書使徒行伝( イエスがこの世を去った後、弟子たちの伝道を伝える書。西暦40年頃の話)には、この町で、イエスの弟子だったペテロが、聖霊の力によって病人を癒す奇跡をおこし、皮職人サイモンの家に泊まったとある。その時、イエスが十字架上で償った罪の報いは、ユダヤ人だけではなく、イエスを信じる全ての人のためだったと、神からの啓示を受け、この町から異邦人への伝道が始まったとあるけれど、そのサイモンの家もあった。

イエスの弟子ペテロが泊まった皮職人サイモンの家

ユダヤ人のガイドが、ユダヤ人にとって、動物の死体に近づくことはご法度で、今でも動物臭い事は離婚の言い訳になるという。それを考えると、2千年も前に、ユダヤ人であるペテロがそんな、やみ嫌われていた皮職人の家に泊まったというのは、常識を破る、驚くべきことと説明したけれど、そんな常識をこえる神の計画にペテロが従わなければ、イエスの救済は世界に広まらなかったし、私も救われる事はなかった。

石壁建物の前で、曲がりくねった石畳みの階段で、建物を繋ぐ小さなトンネルの前で、白いウエディングドレスを来た美しい花嫁と、タキシードを着た花婿が何組か写真を撮っていた。ここは、絶好の記念写真撮影スポットでもあるらしい。皆、雑誌のモデルのように絵になっていた。

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夏の陽気も、ヨッファを出る頃には、嘘のようになくなって、持参した冬のコートを羽織る。寒暖の差がロスよりも激しい。
飛行機の中では一睡もできなかったので、ホテルに着いた時は、眠気と疲れで、クタクタ。明日は6時おきで、日本のツアー並みの強行軍だけど、これからの9日間が楽しみ!

イスラエルの旅: 3) 涙が止まらない

何処へ行っても、強い感動がこみあげてきて、涙が止まらない。

「富めるときも、貧しいときも、健康な時も、病めるときも、死が二人を分かつまで愛し続けることを誓いますか?」

カナの教会で、今日まで支えてくれたジョージの目を見つめながら、20年前に聞いた同じ問いを、同じ声で (私たちの結婚式も義弟が司った。)聞き、結婚の誓いを立て直した時。
Renewal of vow

イエスが洗礼を受けたヨルダン川で洗礼を受け直した時。洗礼

イエスが12人の弟子をみつけ、訓練し、奇跡を起こし、創造主である天の父がどんなおかたなのか、天の父の御国がどんなところなのか、どうしたら永遠の命が得られるのかを伝えたガラリヤ湖周辺を歩いた時。Sea of Galelli
そして、そのガラリヤ湖に浮かぶ船の上で、神への賛美の歌をイエスが使っていた同じヘブライ語で歌ったときも、感激で涙がとまらなかった。
この小さな国に、神は、私たちを悲しみや苦しみ、そして永遠の死という、罪の代価から救うために、その独り子を送られた。

イエスが生きた町に、イエスが渡った湖に私は立っている!

波もない静かな湖が、私をここに招いてくださったイエス様の広げた優しい手のように感じられて、ただ泣いた。ここに来れて本当によかった。

イスラエルの旅: 4) 死海で肌がツルツル

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ホテルの部屋から見た死海

イスラエル南、ヨルダン川が流れいる死海は海面より400mも低い、地表で最も低位置にあるという。
死海という名前は塩分濃度が海水より10倍近くも高いため、生物が何も生存しないことからついたそうだ。でも、ミネラルが豊富にふくまれているため、この海水や砂から化粧品や石鹸が製造されている。関節炎や皮膚病、神経痛にも効果があるらしく、まるで日本の温泉のようだ。標高が海面より低いと、紫外線が届かず、日差しが強くても日焼けの心配もないとか。。そんなことあるんだ。

Dead Sea

塩で白くなった水際

旧約聖書に出てくる、神の怒りをかって滅ぼされたとされる悪名高きソドムとゴモラの町は、この死海南方にあったとされている。詩篇の作者で、古代イスラエルを統一し、ソロモンの父となるダビデが、まだイスラエル初代の王サウルに仕えていた時、彼に命を狙われて逃げ回ったのも、この死海周辺の洞穴だったなら、紀元前250年頃書かれたとされる旧約聖書のイザヤ書写本が発見されたのもこの死海のそば。

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死海付近の荒涼とした岩山。ダビデはこんなところを逃げ回っていたと言う。

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死海のそば、クムランの洞窟で見つかったイザヤ書の写本

朝の9時前だったのにとても暖かくて、ツアーの仲間と一緒に死海に入る。湿疹が出た時のかき傷があちこちにあって、塩水がしみるかと警戒したけど、念願通り、全身浸かって、浮いた〜!

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そして水から出たら…ワーイ!本当に肌がツルツルになった!

もっと入浴できたら、硬くなった体も、末梢神経症害も治るかもしれないのにと、心を後に残しながら、いよいよ最後の目的地、イエスが十字架刑にかけられ、復活し、そしてこの世の終末、再来すると予言される町、エルサレムに向かった。

楽しくて癌のこと忘れてる

日本での時間は、家族や懐かしい友と会って、楽しい日々の連続。

ロスの家には病院からいくつも電話がはいっているらしい。向こうに戻ったらすぐ点滴で、その後は色々な検査が待っている。

でも、日本にいる私はガンのことなどすっかり忘れて、食も会話もカラオケさえもして満開の桜のよう!幸せ気分一杯!

昨年は、小学校時代の友達と約半世紀ぶりの再会を果たしたけれど、昨日は大学時代の友と卒業以来の再会をした。幼稚園から大学まで出会った友の中で、欠けていた最後のピースである大学スケート部の友と再会できて感激だった。一緒に寝起きして、猛練習に耐えた友との会話は尽きることがなく、別れが惜しまれた。

東京からその後は横浜に行って、夫の下で結婚式をあげたカップルと再会。帰宅したのは夜の11時を回っていた。

私には誇るキャリアも財もないけれど、そして癌闘病はまだまだ続くのだろうけれど、こうして再会を喜んでくれる大勢の友が全国にいて、心から愛してくれる家族が日本にもアメリカにもいて、これがきっと幸せの味、天国の味なんだろうなと思う。こんなにも素晴らしい様々な人たちを私の人生に送ってくださった神様は、本当にいつだって素晴らしい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから4年

昨日は母の日だった。

教会の日曜学校では、「お母さんは、神様がくださった、宝石にも勝るギフト。お母さんの言うことに従うことは、神様を喜ばすことにもなるんだよ。今日は一杯感謝の気持ちを表そうね。」と、話した。

それから礼拝サービスにでて、午後には息子達がお寿司とロブスターを持ってやってきてくれた。

楽しいひと時を過ごしながら、4年前の母の日をおもいだした。
癌告知を受けた直後の日曜日。ショックと不安で、心は鉛のように重く、魂は枯れ葉のように吹かれていた日。

あの時も、私は日曜学校で教え、礼拝に出て、そして午後を子供達と一緒にすごした。聖書の言葉と、友人、家族の優しさが、ひとしお強く感じられて、目頭が緩んで仕方がなかった。

あれから2度再発をし、2度脱毛して、手術は肉芽腫も含めたら3度し、抗がん剤治療は途絶えたことがない。

でも、家族はいつも私の周りにいて、私を励まし支え続けてきてくれた。

先のことは考えず、一日、一日を聖書の言葉を頼りに生きて、いつの間にか4年が経った。
この愛しい家族に感謝しながら、これも奇跡だな、と思う。

母の日カード

 

 

君を守る

病院に癌治療のため入院した方を見舞いに行った。

看護婦がやってきて彼女をトイレに誘うと、そばで付き添うご主人様がすかさず、歩行器をベットのそばに動かして、彼女が倒れないように、後ろから見守る。

その確実で機敏な動きを見ながら、彼女が手厚く看護されていることを悟った。

癌は突然私たちを戦場の前線にひきづり込む。そして、患者も家族も、混乱した状態の中で、即座に闘う方法を学ばなければならない。

高額な医療費のプレッシャーを受けながら、給料を家に運ぶため職場には休まず通い、その上、妻をかばい看護し、ベットの横でラップタップを打ちながら、彼女の病気についてモーレツに学び、アメリカ中の病院に助けを求めるメールを発信しているご主人様。笑顔の下でどれほどの重荷を背負っていることだろう。白髪で、顔には皺を刻む小柄な彼が、とても大きく、勇ましく見えた。

そして、私の夫、ジョージも同じ。

「神に誓って、君を守る。」

「君の面倒は僕がしっかりみるから。」

癌が戻ってきたという報告を受けてから、何度そう言ってくれたことか。

父の日に、成人した息子たちがやってきて、BBQを料理してくれた。年と共にたのもしくなってきた二人だけれど、心の中で祈った。

「息子たちがジョージのようになりますように。貴方を信じ、貴方からやさしさと力を受け取って、大事な伴侶を、子供たちを守り抜ける強い男になれますように!」と祈った。

 

 

 

2度目の子離れ

「おかあさん、Big News!」

そう言って、ウェッブデザイナーをしている次男から電話があった。

マイホームは昨年購入したし、昇進もこの間あったばかりだし、もしかして「赤ちゃん?!」と聞くと、”No.”

株主がFacebookに代わった勤め先の会社がサンフランシスコに移動すことになったと言う。

それに伴って息子もサンフランシスコに行くことにしたと。。。

「引っ越しの費用は全部だしてくれて、給料がX%、ボーナスもY%増えてね。。。」と、電話の向こうで息子がうれしそうに興奮している。

「そう、すごいじゃない。よかったね!」

そう答えながらも、私の思考はそれにはついていかず、代わりに寂しさがじわじわと広がりだしているのを感じた。

 

二人の息子たちが大学を卒業して家を出るとき、ジョージは、「靴下一足も残して行くな。」と言った。一人前になるということは、洗濯ものを持って帰ってくるような甘えた関係を持つことじゃない。完全に独立した大人になるためには、くぎりをつけなければならない。そういう意味だった。

あの時、すっかり空っぽになった部屋を見て、私は3日泣いた。

でも、息子たちは祝日の度に我が家を訪れ、家族旅行も折々にし、私が癌になってからは、メールや電話はもちろんのこと、日本食を持って、それはよく見舞いに来てくれた。

カドサイラ(T−DM1)の認可陳情署名をしようと決めたときも、「おかあさん、何人の署名が必要なの?1000人なら僕が集めてみせる。」と言って本当に1000人の署名を集めてくれた次男。このブログも彼が作成してくれたもの。

その次男が8時間もドライブしなきゃならないサンフランシスコに行ってしまうなんて。。。

世の中、子供が親元を遠く離れて生活する例は何も珍しくない。私自身、アメリカまで来てしまった。

再び体験する子離れ。あー辛いな!