家族/友/愛

家族に感謝

朝9時の礼拝サービスに義母が来てくれる。Temecula から1時間半もかけて、私を励ますために来てくれた。

二人の息子たちも現れなおびっくり。

皆よく応援してくれて、ありがとう!!

義母は夜までにまたでかけるところがあるからと、礼拝後、お昼もとらないまま”I love you” と言い残して帰っていった。

癌が分かってから、私は愛情を今までになく多くの人から受けとっている。

夫と私は夜チェスや本を一緒に読み、ダンスクラスに共に参加し、犬の散歩も、お買い物も、病院の訪問も、なにをするのもいつも一緒。

こんなに愛されているなんて! と、またしても思う。私は本当に幸福者!

息子たちがランチに誘ってくれ、3人でトーランスダウンタウンに出かけた。5月も半ばだというのに、今日は曇っていて外のテーブルでの食事はやや寒かったけれど、子供たちの思いやりに心はぽかぽか暖かい。

夜になると悪寒と頭痛、咳、発熱。薬をまた飲んで寝る。

ABEミュージック稼働日に

10年以上ピアノ講師をさせていただいているABEミュージック経営者のケイさんがフコイダンをお見舞いカードと一緒にくださった。

フコイダンは一瓶6千円もするのに、こんなにまで心配していただき、ここでも感謝!

夜は息子の亮と聰が来て、四人で晩ご飯。

楽しいおしゃべりと笑いでもりあがる。

帰り際、癌に勝つぞ!と4人で手を重ねて活を入れる。

二人が帰ったあと、ジョージと、子供たちが良い大人に育ったことを互いに喜び合った。

夜、日本の母にスカイプ。87歳の父が胆石で入院。力がすっかり抜けてしまったようだが、父が峠をこしたことで、少し元気を取り戻しているようだった。私も早く元気にならないと、老いと闘っている二人に癌の話は酷。日本行きキャンセルをなんとごまかそうと考え、気分が沈んだ。

夜、11時就寝。夜中、膝と肩甲骨が痛くて何度か目がさめた。咳も深くなっているようで、これらが癌と関係ないとよいのだけど、痛みがあると、すぐ癌との関係を疑ってしまう。夜が難しい。

次男とのボランティア

四肢麻痺留学生のTさんはウェッブデザイナーを目指していると聞いていたので、すでにウェッブデザイナーとして仕事をしている次男Sohをボランティアに連れて行って紹介した。

夜になって、Tさんからスカイプがあり、息子と会って、消えかけていた夢に火がついて、またデザイナーになりたいと多いに燃えて来たとうれしいことをおっしゃってくださる。

怪我をして障害者とならなければ、アメリカに来ることはなかっただろうし、息子と会うこともなかったと思うと、全ては運命だ、ともおっしゃる。運命というよりも、神様が全てのことを善としてくださるのだと思うと、私。

Tさんはフリースタイルのスキーヤーを目指していて事故に遭った。その時点で、彼の最初の夢は消えたが、障害者になってから新しい夢が生まれた。

私は癌と診断されたが、私の家族、友人、そして神との関係は今まで以上に密になった。

過去二年間、人生の目標を失いかけ、私の人生って何だったんだろうと疑問に思い悩んでいた。今その私には癌を打ち破るという明確な生きる目標ができた。苦難に出会った時から人生は一変する。でも、その苦難から生まれる夢や目標がある。どんな状況にあっても希望は決して失ってはいけないんだ。

次男はかつてADHD(集中力欠陥多動症)と診断され問題ばかりを引き起こす親泣かせだった。その息子が、今障害を持った青年の血潮を駆り立てている。うれしい。私たちの主は本当に全てを美しく変えられる。

父の日

抗がん剤投与から最初の二日は平穏に過ぎた。

しかし、その後胃腸の不快感、吐き気、口内炎、そして体力大低下の数日が過ぎた。

今日は、タマキュラから2時間かけて、義両親がアリゾナの義叔母をつれて 1日早い父の日を祝うためやってくることもあり、やや気分も良い。

息子たちが女の子たちと一緒にたくさんのバーベキューを用意してくれる。今日、私は私の人生で大切な5人の男達–日本の父、アメリカの父、二人の息子、そしてジョージに感謝をしたい。

87歳で、今は老人病院で生活する日本の父から、私はどんな環境にも順応し、最後まであきらめずに前向きに生きることを学んだ。

ユーモアが大得意で、いつも笑いの絶えないアメリカの父は日本人の私のことを涙を流すほどに心配ししてくれる。

二人の息子、亮と聰は弱った人、困った人に手を差し出せるやさしく且つたくましい大人に成長した。

そして私のことを誰よりも大切にし、常に神の方向を指し示し、夜も昼も守ってくれる夫ジョージに深ーーく感謝。

真紀子さんが、もしかしたらKathyは今世界で一番幸せかもしれないね、と言ってくれたけど、異議なし。

癌との闘病の中、私は今ほど自分が幸せだと感じたことがない。

with My loving family

ジョージ誕生日を祝う

日曜礼拝の後、病院に行って、火曜日に受ける抗がん剤のための血液検査。家に戻ってきた時には、すでに結果がコンピューターに送られてきていた。全て平均値内。問題なし!

夕方からは、手作りのお弁当を持って、教会の恒例野外夏コンサートに家族で出かけた。17日がジョージの誕生日なので、今日は大きなケーキも持って、集まった人達とお祝いする。

海が180度に渡って展望できる崖の上に建つ私たちの教会はかつて、大富豪が奥さんへの誕生日プレゼントとして建てたという豪邸だったそうだ。

映画のシーンにも使われたことのあるこの美しい教会には、日本からも毎年何組かのカップルが結婚式を挙げにいらっしゃる。

左にはカタリーナ島が、右にはサンタモニカの町並みが見渡せるパティオにテーブルを並べて、水平線に沈んで行く大きな黄金色の夕日を眺めながらいただく夕食は、格別おいしく感じた。

手際の悪いところを数人の教会員の方に助けていただきながら皆さんにケーキを配った後は、噴水のそばに椅子を並べ、照明灯を備えた即席野外コンサート会場に移動。

ロックコンサートはリクエストしたジョージのためのハッピーバースデーの歌から始まった。70−80年代の曲は、私にもとても懐かしい。後ろでは、踊っている人たちも。皆が楽しんでいるのを見るのは、こちらも楽しい気分にさせられる。

コンサート終了後も、ジョージのお祝いは、我が家にもどって、なおも継続。プレゼントを渡し、いっぱい、いっぱい皆で笑って、今年も本当にHappy Birthday George!

妹が帰っちゃった

術後の面倒を見に来てくれていた妹由佳が帰国した。

彼女がいてくれた2週間はジョージと私にとってまるでバケーションのようだった。

食事から、洗濯から、全て安心して頼り切り、心の負担がゼロになり、ジョージは仕事に専念できて、私は自分が癌であることも忘れるほどに緊張感から解放された。

仕事を休んで介護に来ると言っていた義母もほっとしたに違いない。

手術が10月だったら、今年は国勢調査の町内役員なので渡米は無理と言っていた妹だったが、手術が9月に早まったことで、一週間でパスポートを申請し、自分の家族を後に残して文字通り飛んで来てくれた。

彼女をこちらに呼び寄せている間、老人病院に入院し、最近食欲が落ちていると聞いていた87歳の日本の父のことも心配だったが、父も持ちこたえてくれた。

家族離れて遠くに住んでいると、こんな贅沢は誰にもできるとは限らない。

こうして妹に来てもらうことができた私はまたしても恵まれていた。

由佳が帰って再び二人だけになった私たち夫婦は、ニーズを今回も満たしてくださった神に感謝した。

この恩を忘れず、私は早く元気になって、日本の家族、そしてアメリカの家族を精一杯大切にしていかなきゃ!

手術に先だち飛んで来てくれた妹を迎えて。

副作用ゼロで結婚式出席

森の中の結婚式

スイカよりも大きい白やオレンジのかぼちゃと色とりどりの落ち葉、ランタン、そして先祖代々の結婚写真で飾られた小橋を渡ると、 いくつもの木々が、まるで踊っているかのように、空高く曲がりくねった枝を延ばして緑の天幕をつくっていた。

そしてその空間に、両脇を落ち葉で飾る緑のバージンロードと、それを挟んで並べられた白い椅子たちが結婚式の始まりを待っていた。

まるでおとぎ話の中にでも滑り込んだみたい!

先週土曜日は、自宅から車で約2時間、Vista Valley カントリークラブの森の中で行われたメーガンの結婚式、披露宴に出席した。

紫のドレスを着たBridesmaid達が黒のスーツを着たGroomsmenにエスコートされて入場した後、 緑の木立の中から父親と一緒に現れた純白ウエディングドレスのメーガンは、森の妖精を思わせるようにそれはそれは美しかった。

この日は、4年前肺がんで亡くなったメーガンの祖父、ジョージのボブおじさんの命日でもあった。悲しみの日を喜びで塗り替えたいと敢えて命日を結婚式の日に選んだのだそうだ。

私もダンス!

完璧なほどに平安に包まれた森の中の結婚式とはうってかわって、屋内にもどっての披露宴は喜びが花火のように炸裂した。

食事の後にはダンスが始まって、私も、思いもかけず、4ヶ月ぶりにダンス。ジョージと踊っている自分が信じられなかった。

そして、脳卒中の後遺症から立ち直った義父とのダンスは、歩けなかった義父と、抗がん剤を受けている私が一緒に踊っていると、ほんと夢のようでうれしかった!

東海岸からやってきた叔父、叔母、従姉妹達も含め、たくさんの親族が、再会を喜び、若い二人の門出を喜び、そして、 この良き日を共に祝えた私のことも、心から喜んでくれた。

天国って、きっとこんな風に美しく、平安と喜びに満ちているに違いない!

副作用がなくて実現した本当に、本当に美しく楽しかった週末明けの今日18日は再び点滴の日。
今週もまた副作用なしの恩恵にあずかれますように。

上はメーガンとお父さん、下はメーガンとお婿さんのマイク

実現した家族旅行

「おかあさん、誕生日はどうしたい?」息子が質問してきたのはメーガンの結婚式の数日前のことだった。

新しい抗がん剤が始まっても副作用がないので、この調子でいけるなら家族でどこかに出かけたいと考えた。

メーガンの結婚式に元気一杯参加できたことで、希望がさらに湧き、一週間前にビッグベアレイクの貸別荘に予約を取った。

ビッグベアレイクは我が家から内陸東に向かって車で約3時間のスキーリゾート地。

先週ロスは珍しく連日雨で、金曜日家を出たときは曇り空。

フリーウァイ210を降りてピンカーブの山道を上りだしたあたりからは10m先も見えないほどの深い霧だったけれど、 目的地についてみると雲の上に登ったかのような晴天だった。

雪はまだなく、湖にはたくさんの水鳥が休み、それを囲む山々は緑の針葉樹の間に黄色に色を変えた木々が点々と混ざり合って、願っていた通りの美しい秋の景色だった。

土曜日には息子たちも到着し、いよいよ修学旅行並みの賑やかさ。

ビレッジのショッピング街や湖の回りの探索、別荘の中ではゲームを楽しんで、夜には熱々のアップルバイで56回目の誕生日を皆と一緒に祝った。

家族旅行は昨年8月ジョージの誕生日にサンディエゴに行って以来だったけれど、何回繰り返しても楽しい!

癌の闘病中にもかかわらず、思わず叶った2泊3日の家族旅行。

神様はいつだって素晴らしい!

大好きなこの家族と美しい時間を再び深—く感謝した週末だった。

子供達と

Big Bear Lake の夕焼け

 

 

義娘とクッキー作り

甘いものは癌によくないというので、これから控えるつもりだったけれど、昨日は例外!義娘ピンキーに誘われて一緒にクッキーを焼いた。

フィリピンで生まれ育ったピンキーは次男の聡と結婚して3年になる。先週訳あって仕事を辞め、次の仕事が見つかるまで私とつきあおうと決めてくれたようだ。

両手に一杯材料をかかえやってきた彼女が選んだレシピはチョコチップスの入ったブラウンクッキー。

私もクッキーを焼くのは何年ぶりだけど、ピンキーもお菓子作りは今日が始めて。

それでもレシピは初心者の私たちにやさしく、わずか30分ほどで、手の平ほどの大きなクッキーを20枚以上も焼き終えた。

できあがりに満足して、二人で喜んでいると、丁度ジョージが帰ってきて、家中に立ちこめたクッキーの甘い香りに彼も思わず唸り声。

クッキーの後は夕食のチキングラタンにとりかかる。こちらは、私から若妻ピンキーへの料理伝承。

夜、ピンキーからメールが入って、聡がクッキーもグラタンもとても喜んでくれたと伝えてきた。

二人の笑顔を想像しながら、私も大満足。

ピンキーと、次回は、毎年クリスマスシーズンにたくさんのクッキーを焼く義母を先生に、 3人で一緒にクリスマスクッキーを焼こうと約束する。

お砂糖や小麦からはできるだけ離れるべきだけど、 義母と義娘と楽しい時間を過ごすことはもっと大切と、次回のクッキー作りを楽しみに待つ。

父の死

父の人生を刻んでいた時計が止まった。本日日本時間の11月15日朝、87歳で父が逝った。

今年1月に会ったのが私にとって最後の父との面会であった。いつもは1週間ほどの短い帰省なのが、 旅券が失効していることを出発間際まで気がつかず、日本での再発行となったため、結果、思いもかけず3週間を父の介護をして過ごした。

父は大正13年7月17日5人兄弟の3番目として日本が当時併合していた北朝鮮で生まれた。幼いときに父を亡くして、一家揃って帰国。第二次世界大戦のときには21歳で、駐屯先の広島で被爆した。終戦後1年、白血病で入院生活を余儀なくされたと言う。兄と弟は戦死。一人残った男子ということで、母方の家業である電気工事会社を受け継ぎ4年前に退職するまで事業の舵を取った。

長女の私には、就寝時に絵本を読んでもらったり、一緒にお風呂に入ったり、床屋さんに一緒にいったりと、妹たちにはない懐かしい思い出がある。出張の度に鞄一杯おみやげを買って帰ってきてくれる父を、幼い私はまるでサンタクロースでも待つかのように待ちどうしがったものだった。

自分がクリスチャンになってから、ずっと日本の家族もクリスチャンになって 欲しいと願ってきたが、2年前、 「覚悟をしてください」と言われた肺炎から奇跡的に回復した際、父はついにイエス様を救い主として受け入れることを決心した。丁度帰省することができた私は、父に自宅での洗礼式を薦め、私も証人として立ち会った。カソリック式で与えられた洗礼名は光の意味の「ルシオ」だった。

今年の正月、父の車椅子を押しながら、母と3人で教会に礼拝にいった。雪の舞う寒い日曜日であったが、帰宅した後、「行ってよかったなあ」と満足げに語った父の言葉をその笑顔と共に私はずっと忘れないだろう。

私が離日すると同時に体調を崩し、 養護老人ホーム入居。そして老人病院へと人生の階段を下り始めたが、視力や聴力の衰えも目にみえて、食べる喜びもままならず、一人病院のベットで死を待つだけの生活はどんなにか辛かっただろうと思う。なのに文句をほとんど言わず、静かに現状を受け入れていった父は、最後まで前向きであったと、心から尊敬する。

悔やまれるのは、今年の夏もう一度帰省して父に会うはずだったのに、癌でそれが叶わなかったこと。辛い思いをしているときに、もう一度そばにいってあげたかった。この後も、抗がん剤治療中の私は葬儀にも参列できない。

でも、私には今父がどこにいるかはっきりとわかる。父は私たちの創造主のもとにいる。創造主のもとで、今までないほどに幸せであるに違いない。そして私は父と再会できる!

父が私たち家族に与えてくれた全てのことに感謝し、父を召された神に感謝する。

神様はいつだって素晴らしい!

09年1月1日洗礼式を終えた後の父(前列右端)と

感謝度200%の一週間

最高に楽しかった!

ピンキーと義母と一緒にクッキーを焼いた火曜日も、教会のPatと朝食を一緒にした水曜日も、5時間かけて七面鳥を焼いた木曜日も、そしてジョージと二人だけのBig Bear Lakeの旅行も、楽しい時間は一寸も途切れることなく、今日無事帰宅するまで、ずっと続いた。

抗がん剤やり直しと聞いたときには、感謝際もクリスマスも今年は楽しめないのかと思った。

胸のCTを取った先週は癌の再発という不安に感謝祭の一週間をだいなしにされるかと思った。

でも、祈りのかいがあって、感謝度200%、例年以上に楽しく、忘れられない一週間を過ごす事ができた。

毎年11月第四木曜日の感謝際は、人々や神様に感謝をする日。我が家では、感謝祭の御馳走の前で、 集まった一人一人が感謝の気持ちを述べ、主に祈りを共に捧げることが慣し。

今年私は癌との闘病という厳しい状況の中におかれ、父をも失った。

でもそれだけが全てではない。

楽しいこと、うれしいこと、多くの祝福も、癌と対抗するようにたくさん与えられている。以下、私が感謝をするトップ10。

感謝のリスト

#1。今年も七面鳥を焼くことができ、そして、家族と一緒に楽しい感謝祭のテーブルに集えたこと。

#2。精神的にも物理的にも今まで以上に私を支え、励まし、祈ってくれる夫と子供たち

#3。カリフォルニアのみならず、東海岸、ジョージア、アリゾナ、中近東、オーストラリア、そして日本と、アメリカ中、世界中に散らばった日米の親族たちが、私のために日々祈り、メールや手紙で絶えず応援してくれていること。

#4。中学時代の友人は私の代わりに父の通夜に参列してくれた。高校時代の友人は、私を励ますために集まり、一粒の麦に寄付を送ってくれた。教会のメンバーからの励ましの言葉、お見舞いのカード、食事の差し入れ、そして祈りは今も途絶えることがない。職場の同僚、臓器移植家族&一粒の麦ボランティアの皆からも同じように絶え間なく応援を送ってもらっていること。

#5。原爆から生き残り、今年87歳でこの世を去るまで、私たちに 経済的潤いを与え続けてくれた父と、 たくさんの楽しい思い出。

#6。手術の時、アメリカまで手伝いに来てくれた妹由佳と、長女の私に代わって、ずっと日本の父母の面倒をみてくれてきた末の妹夫婦真弓と清隆さん。

#7。勇敢に乳がんと闘い、ブログを通してたくさんの情報を与えてくださる私の前を走る大勢の日米の女性たち

#8。私との質疑応答に十分な時間を裂き、e-mailでの質問にも迅速に答えてくれるカイザーの主治医とナベルビンを推薦してくださったUCLAのDr.Graspy.

#9。紅葉と雪景色の美しさを満喫できたBig Bear Lakeへの2回の旅行

#10。 ジョージ、義父とダンスをすることができたメーガンの結婚式

苦痛や不安と隣り合わせでも、私の感謝リストはまだまだ続く。これも主が私をしっかり抱き抱えてくださっているから。

声を大にして叫びたい。

「神様は本当にいつだって素晴らしい!」と。\(^O^)/

再び父の日

癌になってから2度目の父の日。

金曜日には、車で約90分離れたホームに入っている義父を訪ね、今日は子供たちも一緒にお昼をしながらジョージに感謝の気持ちを表した。

日本の父がもういなくて、寂しいけれど、食事の席に皆が揃うと、

「日本のお父さんは、皆が経済的に困らないようにと一生懸命働いてくれた。それを決してわすれちゃいけないよ。日本のお父さんの分まで乾杯しよう。」とジョージが亡くなった父に敬意を表してくれた。

ジョージと結婚するまで、祝日、祭日は、お休みをとったり、特別なお料理を食べるから楽しみだったわけで、誕生日などは子供の行事ぐらいにしか考えていなかった。

それが、ジョージと結婚してから、このような節目を祝うことが家族の絆を強めるのにとても大切であることを知らされた。ただケーキや特別なお料理を一緒に食べるからじゃない。感謝の気持ちを、カードや言葉で正面から表すから。

毎日お弁当を作ったり、洗濯したり、話を聞いたりすることで、愛情表現をしているつもりでも、言葉に託すことが、これらの愛情行為を何倍にも強化することをジョージによって知らされた。

感謝の気持ちを表す場が増えると、自分がどれほど恵まれているかということにも気がつく。

ジョージと巡り会ったことで、人生がとても豊かになったと伝えると、ただ、聖書の教えに従っているだけと、彼は感謝の矢印を神に向ける。

巡ってくる父の日を、あと何回祝えるかわからないけれど、義父に、そしてジョージに精一杯感謝の気持ちを現し続けていきたい。

母がやって来る

84歳の母が日本からまもなく、7/6にやって来る。本当は、私が日本に行きたかったのだけど、今年も治療の延長で、帰省のメドがたたないでいたら、従姉妹や妹たちが説得して、「もう齢だから、無理。」と言っていた母をかつぎだしてくれることになった。

確かに腰が丸くなって、足もすっかり弱くなった母だが、妹が前日、母のところに泊まり込んで、母を浜松駅まで送り出し、そこからは、3人の従姉妹たちが面倒みてくれることになっている。

母にとっては、これが最後のロス訪問となるだろうし、3人の従姉妹たちをロスに揃って迎えることも、恐らくこれが最初で最後だろう。わずか一週間の滞在だけど、思いっきり楽しい時間にしたいと、旅行が決まった一月ほど前からいろいろ計画を立て始めた。

従姉妹たちは、私や、高齢の母に気を使い、ただ、私と会えたらそれでいいと、観光リクエストもなく全く謙虚。家を出て独立した息子たちも一緒に母に無理をかけないで楽しい時間を過ごすためには、お決まりの観光コースに毎日出かけるより、どこか美しいところに貸別荘を借りて、のんびり過ごすのが一番と、貸別荘探しを始めた。
車で3時間以内の範囲で、暑くなく、自然の美しいところと、探しついたのは、ロスの北にあるサンタバーバラとソルバングというデンマーク村。それでも、夏休みの始まったこのハイシーズンに、週末2泊のみでの貸別荘探しは、予想通り難しく、何十件とあたって、全て空振り。あわやあきらめるしかないかと思っていたところ、やっと一件、「まだ予約可能ですよ。」と返事がきた。

エアコンもバスタブもなく、シャワーだけだけど、家主はとても親切で、良心的。

「乳がんの治療で日本に帰れないので、代わりにこちらにやってくることになった母たちと思い出に残る旅行をしたくて。。」と、説明すると、「そんな特別な旅行のために私の家を利用してくれるなんて、私にとっても大光栄です。私の母も75歳で乳がんやったけど、85歳になる今も元気ですよ。あなたも大丈夫!お母様共々、お会いできるのを楽しみにしています。」と返事をもらった。

母たちとの再会も、ソルバングへの旅行も可能となって、これは神様が私の願いを叶えてくださろうとしていると思い、様々な心配事には蓋をして押し入れの中に押し込むことに。どうか母達の滞在中、何事もなく、安全で楽しい時間を過ごせますように!

泊まる予定の貸別荘

矢のように過ぎ去った一週間

家中をお花で飾り、ベットにはフレッシュなシーツと枕を用意、大型レンタカーを借りた。あまり歩けないという母のために、車椅子の手配もして、いよいよ空港へ。

1時間以上待っても出迎えゲートに母たちが出てこないので、これは母に何か起きたのかもしれないと心配する私やジョージの予想を裏切って、2年ぶりに会った母は杖さえもいらず、すたすたと笑顔で歩いて出て来た。

これが私たちの楽しかった一週間の始まりで、昨日帰路につくまで、教会の人たちとのロスアンゼルス港のクルージング、聖書勉強会の生徒さん、ジョージのお母さんと一緒のドライブ、息子たちとの2泊3日のソルバングへの旅行、最後はロス市内観光と、めいっぱい行動した。

貸別荘キッチンで朝食の用意                                夜は息子たちがBBQ    

その間、私たちは毎日よく笑い、よく食べ、よく歩き、よく買い物をし、そして、台所狭しと、共に料理した。

夜は息子たちがBBQ

「それ、私も着てみたい。貸して!」「70%オフだったから日本円にしたらxx円よ!お買い得だったよね!」等と、買い物を楽しんだ晩は、買った洋服を代わる代わるお披露目してファッションショー。

またある晩は、継父であるジョージが語る大変だった親業や、信仰で救われた話を声を静めて聞き入り、涙を流すほどに皆感動。

息子たちがソルバングに合流してからは、7月生まれの義娘ピンキーと8月生まれの母の誕生日も祝って二人を驚かした。

ケーキのキャンドルを吹くピンキーと母

暑さは全く気にならず、母も私も元気で、最後まで最高に楽しかった!!
「ジョージがついていてくれるから、和世はこうして強くいられる。ありがとうございます。」と母が礼を言えば、

「和世がいつも笑顔でいれるのは、彼女の信仰が強いから。1年以上にもおよぶ闘病生活はヒヤヒヤの連続だけど、神様はいつも私たちを励まし続けてくださって、今週はこうして皆をここへ送ってくださった。和世のために来てくれてありがとう。」とジョージも一人一人に礼を返す。

通訳をする私も、テーブルの回りに座っている皆もジーンと胸があつくなって、涙もポロリ。

こうしてめでたし、めでたしで終わった1週間、「また来年も来てね!」と見送った後の今日は、さっそくハーセプチンの点滴と心エコーを取りに病院へ。

タイケルブは3錠に増やして10日が経ったが、幸いまだ湿疹は出ていない。\(^0^)/

笑うと免疫力が高まるというけど、従姉妹たちとホントによく笑ったから、このままタイケルブを続けられるといいな!

Santa Barbaraのダウンンタウンでランチ

Lake Arrowheadで誕生日

57歳の誕生日。乳がんになってから2度目の誕生日。年を取ったと思えば聞こえは悪いけど、癌闘病を続けて今年もまた誕生日を祝えたと思うと、感謝の一言!

昨年の誕生日はBig Bear Lakeに家族揃って出かけたけれど、今年はBig Bearから約42km北、ロスから車で約2時間のところにあるLake Arrowheadに行って来た。今年は78歳になる義母も一緒。

貸別荘から見た夕日に輝くLake Arrowhead

雲一つない真っ青な空の下に、緑の針葉樹にすっぽりと囲まれた、鏡のように輝く湖は波もなく静かで、岸辺には、いくつものボートが行儀よく並んでいた。夏には、きっとこのボートを走らせる人で賑やかだったんだろう。

湖の回りを歩くと、黄色、オレンジや赤に色を変えた秋の葉は色鮮やかで、まるで神様のキャンバスの中にでもいるよう。巨大な松ぼっくりをいくつもぶるさげ、まっすぐ天に延びる松の木は、それだけで、オーナメントをつけた天然のクリスマスツリーのように雄大で、私たちを見下ろしていた。

皆で落ち葉の上にころがるどんぐりをいくつも拾い、村では、オレンジのかぼちゃで装われた10月祭を楽しみ、年がら年中温暖で季節感のないロスからやってきた私は、深まる秋を感じられて、うれしかった。

でも、なによりうれしかったのは、やっぱり子供たち、義母、そしてジョージと過ごした家族の時間。

宿となった貸別荘には明かりが足りなかったり、6人で座るには、テーブルが小さすぎたり、キッチンには、十分に道具が揃っていなかったりと、難点はいくつもあったものの、一人も愚痴をこぼさず、知恵を出し合って、臨機応変に対応、食事の後も夜がふけるまでゲームを楽しんだ。こんなことができるのも、私を愛してくれる素晴らしい家族のおかげ。

今日まで、未曾有の試練を走り抜く中、彼らは変わらず私を支えてきてくれた。

「家族や友は、楽しいときも、苦しいときも、互いに寄り添うためにあるんだよ。」というイエス様の声が聞こえるよう。

誕生日ケーキのキャンドルを吹き消しながら、来年もまた家族揃って楽しい旅行ができますようにと、願いを掛けた。

死が二人を分つまで

「死が二人を分つまで、健康なときも、病めるときも、富めるときも、貧しいときも、良い時も、悪い時も、

愛し続けることを誓いますか?」

土曜日午後、十字架の前で、「はい。」と日本人の若い二人が結婚の誓いをたてた。

青いカリフォルニアの海と空がみえる、ステンドグラスに飾られた私たちの教会には、年に数組、日本からも結婚式を挙げにやってみえる人たちがいる。

「愛するということは、好きという感情とは違います。何も燃えるものを感じないときでも、相手に尽くすことを選ぶ、それが愛するということです。」

「互いに尽くすこと、相手のために、互いに自分を投げ出すこと、それが結婚です。」

「これから出会うたくさんの試練を、愛のモデルであるイエス様を見つめて、二人揃って乗り越えていくとき、お二人の関係は三角形の頂点に近づく二辺のように緊密に、強くなっていくんですよ。」

「そして何年も先の結婚記念日に、互いの目をみつめあい、手を握り合って、今日の日があったことを心から喜びあえますように。。」

ジョージの言葉を通訳しながら、胸がジーンと熱くなる私。純白のウエディングドレスを着た花嫁の涙をみたら、私の目も涙で曇ってしまった。

人生の大切な契りを結ぶ二人と共に、私も“幸せ”のエネルギーを胸一杯吸い込んだ。

こんな美しい良き日を司るジョージのお手伝いができて、私も彼と結ばれてよかったと思う。感謝!

風邪にも負けず感謝祭

アメリカの11月第四木曜日は感謝祭。

数日前から咳や鼻水、そのうち頭痛まで始まって、あわや今年は七面鳥なしの感謝祭になるところだった。

前日、頭にはクモの巣でもはったような気分。エネルギーのバロメーターはすっかり低下してしまい、なんとかベットから這い出すと、化粧をする気にもなれず、すっぴんのまま、鼻の下を赤くして、注文していた生の七面鳥をスーパーに取りに行った。

いつもなら、感謝祭の当日は、6時起きで七面鳥を焼くのだけれど、いったん横になったら、もう起きれなくなっちゃうんじゃないかという気がして、とにかく、できるところまで料理を始めておこうと思った。

ジョージにとって、感謝祭の七面鳥料理は、日本のお節のように、生まれたときから欠かしたことのない、大切な伝統料理。集まるのは私たち夫婦と子供たち合わせて5人だけであっても、七面鳥なしの感謝祭なんて、考えられない。皆とてもがっかりしてしまう。

解熱剤とビタミン剤を飲んで、マスクをし、鼻水を拭き拭きがんばった。

ジョージが心配して、今は亡きペギーおばさんが教えてくれたという、民間療法、ブランディー、ハニー、レモンの入った紅茶をつくってくれる。

飲んだら、たちどころに胸が暖かくなって、即効果あり!

そのうち、嫁のピンキーからメールが入って、次男の聡も風邪で、仕事早退して夕方から寝込んでいると知らせてきた。

ブランティーティーがいいから試してごらんと返事をし、ジョージには、翌朝、万が一起きれなかった場合は、用意のできた七面鳥を朝7時にオーブンに入れてね、と頼んで早々に床についた。

朝になったら、ジョージのつくってくれたブランティーティーがよかったみたい。予定通り6時半に起きることができた。

よかった!と思ったのも束の間、そのうちひどい声で、聡から電話が入る。

彼の方はダメらしい。

あらあら、そうなると、来れるのは長男の亮だけ?

5キロ近い大きな七面鳥と、たくさんのお料理を無理して用意しているけれど、今年はたったの3人きりの感謝祭になっちゃうのかなあ?

ジョージは、今日は中止して、土曜日に変更しようかとまで言い出した。

でも、もう半分以上つくっちゃったし、土曜日はまた誰がこれるかわからないし。。

残念だけど、このまま遂行して、ピンキーにお料理だけ取りにきてもらおう。

そう思っているうち、また聡から電話で、薬を飲んだら少しよくなったので、がんばって来ると言ってきた。

というわけで、12時には、なんとか全員集合。伝統を破らず、今年も七面鳥を囲んで、皆で感謝の言葉を分かち合うことができた。

 

私の一番の感謝は、もちろん、今年も癌に負けずに感謝祭を迎えられたこと。

そして私を絶え間なく支援し続けてくれる、家族や友人、医療関係者たち。

夏の楽しかった母や従姉妹たちとの旅行。

最良の健康保険を与えてくれた職場。

「辛いときこそ、感謝を数えることが大事。それが幸せを呼ぶカギだから。」ジョージの言葉に大きくうなずいて、皆で揃っていただいた七面鳥は、今年もとってもおいしかった!!

神様はいつだって素晴らしい!

ジョージの新しい声はまだ聞けない

15日11時半にジョージは手術室に向かった。そして、医師が私を待合室に探しに来たのは12時半前だった。

「もう終わったんですか?どうでしたか?」

医師からの言葉を待ちきれずに質問する私に、彼は、「良くなったと思います。」と答えた。

ベットの上で看護婦さんたちに囲まれながら上半身を起していたジョージは、喉に何か詰まっているように感じると、咳払いばかりし、「それ、ダメですよ。」と注意されていた。

声帯がまだ腫れているらしい。

受けとった術後の指導書には、回復までには1週間から2週間かかるので、その間はできるだけ会話を避けるようにとあった。

風邪をひいたときのように、鼻にかかった、弱い声。夜、息子夫婦がやってきて、すこししゃべりすぎてしまったようだ。

今朝はさらに話しづらそう。

時間の経過と共に、新しい力強い声が聞けるよう続けて祈っている。

ストレス続きの中の息抜き

真っ青な空を見上げて、鯨を見に行きたいと思った。

冬から春にかけて、私たちの住んでいる近くの海岸線を毎年鯨が移動する。つい先日、シロナガスクジラの親子が泳ぐのを見たという話を聞いたばかり。

イルカは何度も泳ぐのをみたことがあるけれど、鯨にはまだ出会ったことがない私は、相変わらず声が戻らず、休みを延長したジョージを誘って鯨をみつけにドライブに出た。

ジョージの手術の日は肌寒い雨模様だったけれど、今日はぽかぽかと暖かく、雨が空を清めて、海の向こうのカタリーナ島もはっきりと見える。

鯨展望地点にたどりつくと、望遠鏡やカメラをさげた人達が数人海を眺めていた。

鯨の数を数えた表には、今日は2頭のコクジラが観察され、これで昨年の12月からは700頭の鯨が観察されたと示されていた。

2ヶ月半で700頭ってすごい数!これは、鯨が見えるかもしれない、とワクワクし、目を皿のようにして四方の海を眺めてみる。

1時間ほど、海岸線を散策しながらねばってみたものの、残念ながら今日は鯨にであうことはできなかった。

でも、美しい自然をジョージと一緒に楽しめたのはプラスだった。

気分が盛り上がったついでに、夜は焼き鳥屋さんへ。

おちょこを傾けながら、応援してくれている大勢の人たち、年がら年中温暖な気候、そして日本食が簡単に食べられる町トーランスに感謝。

困難は続くけど、私たちは大丈夫。神様が一緒だから。と、二人で確認しあった。

ジョージとがんばる

消えてしまったジョージの声

ジョージの声帯の手術から1週間が経った。でも、彼の声はよくなるどころか、術前以上にでなくなってしまった。

牧師で、人前で話すことが仕事なのに、電話で話もできなくなってしまって、日曜礼拝も、Ash Wednesdayと呼ばれる、復活祭前の特別礼拝も、聖書クラスも次から次へとキャンセル代行をお願いしながら、ついに休みを切り上げて声なしのまま仕事に戻った。

入院している2人の教会員を見舞うというので、私も一緒に同行。

皆さん、ジョージの笑顔を見て喜んだのも束の間、すぐに彼の異変に気がつき、「どうしたんですか?」と質問された。

会話を続けようとするのだけれど、彼の弱い声は、テレビやベット脇の機械の音に簡単にかき消されて相手に伝わらない。

しかたがないので、私が拡声器になって、代わりに彼の言葉を伝えた。

 

声なしのジョージでありながら、それでも、家族の方々は彼の訪問と祈りを喜んでくださっているようだった。

 

次の策

ジョージの医師は、最初の手術がうまくいかなかったら、次のオプションとして声帯を動かす手術がある、とおっしゃったけれど、日本の妹がそんな手術をして、声を完全に取り戻した男性のビデオを送ってくれた。

ジョージの今の声は、ちょうとこの男性の術前の声と同じ。

 

それなら、まだ声がもどる可能性はあるかもしれない。

 

ビデオをみて元気が湧いて来た!

 

彼の次の外来は29日の水曜日。そして、私の指の手術は3月2日と決まった。

 

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書40:31)

 

聖句に背中を押されて、ジョージとがんばる。