しこり発見から治療開始まで

夜シャワーを浴びながら

夜シャワーを浴びながら左乳房に固いしこりがあるのに気づき、手を止めた。しこり=乳癌の等式がすぐ頭に浮かぶ。しこりを包むのに、指3本ほどがいる。大きいと感じる。 触ると腫れているように鈍く痛む。乳がんは痛くないと言ったから、と思いつつ夫にもしこりを見つけたことを告げ、床につく。

まさか。。。

まさかという思いを拭えないまま、医療の常識に従い、病院へ電話。乳房にしこりを見つけたと告げると、すぐ乳房センターにつないでくれ、一番早い予約は1週間後の午前中だと言われる。仕事を休まなければならないが、これは大切なことだからと、予約を優先。夫が、しこりが見つかっても、たいていの場合は癌じゃないからと、慰めてくれ、自分もそう思うことにする。でもやっぱりインターネットで、「乳がん」を検索している。

百々先生とのEメール

一粒の麦アドバイザーの百々先生から、夏に予定している帰省の際の再会についてメールをいただく。先生はかつて、移植の小児患者さんを何人もUCLAに送られた。先生とはもう何年もお会いしていない。しこりが見つかった不安を打ち明けようかと思いつつ、まだ癌と決まったわけではないのだからと、あくまでも 帰省するんだという強気で返事を送る。

大丈夫。癌なんかじゃないよ。

なくならないしこりとはれぼったい感覚がずっと一週間の間、雲のように心を覆ってやまなかったが、大丈夫。癌なんかじゃないよ、と自分に言い聞かせ、 RAMLA(過疎地医療ボランティアロス編)に一粒の麦ボランティアさんと午前11時より参加。極力忘れることに努める。

いよいよ外来日

診察にあたったNP(正看護士)が、「Cyst (液状のかたまり)かもしれないから、針をさして調べてみましょう。麻酔を使うからチクっとするだけ。」といいながら注射器を引き出しから出している。胸に注射などしたことない私は、ドキッとするけど、numb (感覚が失せる)という言葉を信じる。

たしかに麻酔の針はチクっとし、その後、痛みはないはずなのに、やっぱり痛いよ!

NPは注射器が水液を吸い上げるかどうかを見ていたが、何も出てこなかったようだ。

洋服を着るように言われ、「一週間後にマモグラムと超音波の検査の予約を入れましたが、もしキャンセルが出たら繰り上げますから。良い医療チームがついてるから何も心配しなくていいですよ。」と言って診察室を出ていった。

針をさされて、うずく胸をかばいながら、今日は休みをとったし、まっすぐ家に帰る気もせず、ショッピングモールへ寄ることにした。

癌の可能性?

水分がでなかったということはCystでないということだよね。Cystでないということは、癌の可能性が高いということ?———ショッピングモールを歩きながらもふつふつと疑問がわいてくる。そのうち、夫から携帯に電話がはいる。

「病院からマモグラムと超音波の検査を明日に繰り上げるという電話があったよ。」

明日?繰り上がった検査に、さらに不安を覚える。

モールの後でよった日本のスーパーで10年来の友人カレンとばったり会う。

「久しぶり!元気?」といつもの挨拶。

「実はね。しこりがみつかっちゃって。。。」

「ほんとに?結果が出たら知らせてね。」

「そうね。癌だったらお祈りしてもらわなきゃいけないからね。」と笑いながら別れた。

家には月曜休みの夫が心配そうに待っていた。

「Cystじゃなかったみたい。検査痛かったよ。」と告げる。

言葉少なげな夫は、きっと私と同じことを考えていたのだろう。

マモグラムと超音波検査

マモグラムの検査は40を過ぎたら2年毎にしなければならないようだが、私の家系に癌患者はおらず(PS:後から知ったことだが、叔母が胃がんだった。)、上下左右から乳房を押しつぶされる痛い検査が嫌でずっと検査を避けてきた。それでも、2008年に胸の痛みで何度も夜目をさまし、乳がんを心配して検査を受けた。このときは異常なしだった。2009年秋医療保険を現在のカイザー総合病院に変更した際、病院から何度もマモグラムの催促を受けたが、2008年にしたばかりと、 断ってきてしまっていた。(PS:していたら、もっと早期の段階で癌を見つけることができたのかもしれない。)

ウーマンパワー

検査室に入って検査技師が女性であることを知り、カイザーの乳房センターの職員が今のところ皆女性であることに気がつく。「男性は医療スタッフが女性であっても平気だが、女性はやはり同性でないと敏感だから」と技師が答える。そうなると、将来、病院は女性優位の職場となるのかなあ。。。と、ウーマンパワーと男性受難時代をまた感じる。

生検

検査後、技師が見入る超音波の映像を診察台から自分も眺めてみる。白い丸い陰が自分にもわかる。超音波を終えると、技師が、医師が検査結果を調べているが、生検(バイオプシー)も必要かもしれないから、これを読んでサインをして、と同意書を差し出す。

生検が、細胞の一部を切り取る検査だということは移植のボランティアを通して知っていた。昨日の外来時に診察室からもらってきたパンフレットにも、生検が針を乳房にさして、細胞摂取することが書いてあった。読んだ時、痛そうだと思ったが、「生検をします」ではなくて「するかもしれない」という言葉がオブラードのように私の思考を恐怖から遠ざけているようだった。

医師が入ってくると、すぐに、「生検をします。」と言われる。

Cystの検査のときと同じ、最初に麻酔がチクっとするだけ。あと細胞を切り取るときにガチャ、ガチャ、とこんな音が聞こえると、耳のそばで器具をならしてみせる。Numbという言葉をまた信じることにする。

医師と技師は超音波の映像を頼りに針をさし、細胞を切り取る。私の目も同じく超音波の映像にくぎづけ。ガチャ、ガチャ、と切り取る音と同時に、鈍い衝撃が伝わる。

医師が生検の最中に、「気がついてどれくらいになるんですか?」と聞いてくる。2週間と答えながら、もっと早くきがつかなきゃいけなかったのかなと思う。

結果が出るのは5日後と言われ、氷嚢をあてられて病院を去る。検査箇所が痛くて、またマモグラムの白い陰が目の裏に焼き付いて、今日は寄り道をする気にもなれない。

生検から2日目

生検から二日目。痛みはひく代わりにさらに拡大し、脇の下、肩、背中、はたまた右乳房にも広がり、不安がさらに膨らむ。 今度の日曜日は教会の日曜学校の担当日。先週から準備を始めておいてよかった。家に帰っても何も手につかない。

ここ連日百々先生と再三夏の再会についてメールでやりとりしているが、先生との軽い会話が、楽しい夏を思わせ、襲ってくる不安から救ってくれる。

乳がん告知

生検結果が出るのは5日後と言われたけど、そうすると週末に入ってしまう。もしかしたら結果は今日分かるのかもしれない、と思いつつ、 希望的観測はすっかり失せていた。

これはやっぱり癌なのかもしれない。

癌だったらどうしよう。

日本行きは?一粒の麦は?仕事は?日本の高齢の両親にはもう会えないわけ?乳房切断するの?髪の毛も抜けるわけ ?夫はひとりぼっちになっちゃうの?。。。亡くなった移植患者さんたちの顔が思い浮かんでくる。

帰宅の途中で、夫から携帯に電話が入る。病院から連絡があって、5時までに電話するようにと言っていたと言う。

時計をみたら4時半だった。検査の結果に違いないと思ったものの、やはり希望が見いだせない。

急いで家に戻って、ひるまずすぐ電話をする。名前とID番号を伝え、水曜日に検査を受けたことを伝えた。

「残念なお知らせですが、癌がみつかりました。」

受話器の向こうで、癌の名前とこれからの予約についての指示が続く。

心配そうに見ている夫。首をふってサインを送る。

「精神的サポートが必要かもしれないから、次の外来は誰かと一緒に来るのがよいと思います。私たち医療チームがついているから力をおとさないように。」そういって電話は切れた。

どっと心が重くなる。何も考えられないし、考えたくもない。

ソファーに夫と一緒に座り込んだ。

夫の顔を見ていると涙が出てきてしまう。思考が止まってしまったように感じながら、何かをしなきゃならないと思い、犬と散歩に出た。

夕飯の用意をしなければならないが、食欲もなければ、作る気もしない。残りものを冷蔵庫から出して食卓に並べてみるが、何を口に入れてもおいしくない。夫も同じ。ほとんど手をつけないで残してしまう。

夫が、「君が苦しい思いをしなきゃならないかと思うと耐えられない。」と言って泣く。夫を悲しませることが辛くて、私も泣く。

これから大変になるけど、自分たちには神様がいらっしゃる。それがなによりの強み。先のことは考えず、一日、一日を大切に、一緒に癌と闘おう!と誓い合う。

数人の友人に癌のことを知らせるe-mailを送る。どんなことがあっても信仰を失うことがないように。強く前向きでありえるように祈って欲しいとリクエスト。

就寝後、体中が痛くて、息苦しくて、まるで拷問でも受けてるみたい。一睡もできなかった。

たとえ「ガマの油」でも

ボランティアの日

午前中裕子さんと一粒の麦ボランティアのため四肢麻痺留学生さんを訪問。車の中で、裕子さんに癌のことを告げ、ボランティアができなくなった時は、彼女にコーディネーターを代行して欲しいと頼む。

留学生さんのアパートでは、お昼のおむすびを結び、裕子さんがお買い物にでている間、私は洗濯を頼まれる。ランドリーに行って、洗濯機をまわしていると、スーと頭が軽くなる。寝てないし、食べてないし、貧血かな?それともこれも癌のせい?と心細くなり、神に祈る。

帰途の車の中、裕子さんがボランティア以外にも、私に必要なことがあったらなんでも言って欲しいとおっしゃってくださる。やさしい言葉に感謝し、家に戻った。

フコイダン

食欲は相変わらずなく、体も痛い。少しでも寝なければとソファーに横になるがやはり眠れない。夫がくれた鎮痛剤で、やっと眠りが襲ってくる。

どれほど眠ったかわからないが、のりちゃんの元気な電話で目がさめる。

のりちゃんは97年、私たちの移植支援ボランティア活動が始まったとき、患者さんのアパートで共に寝泊まりして支援した元祖ボランティア。

日本での結婚式を終えてもどってきたばかり。

電話を切る前、彼女もクリスチャンだから、癌のことを伝えて祈ってもらおうと、癌であることを伝える。

すると、「フコイダン飲むといいですよ。」と抗がん作用があるという海藻の成分である栄養剤の名前を教えてくれる。

6ヶ月前に子宮がんの手術をした友達がたくさんフクイダンを持っているから、一瓶わけてもらえるか今から聞いてみると言ってくれる。

のりちゃんは元気のかたまりで、彼女と話をしていると、ほんと元気が湧いてくる。

フコイダンの名前を聞いて、さっそくネットで調べてみると、書いてあることはもっともらしく、さらに元気が出てきた。

夜9時すぎでもよければ、フコイダンをもっている友達が家に戻ってくるので、分けてもらうことができると再度の電話。

今は何の治療も始まっていないし、癌に効くというものならなんでも試してみようと、さっそく9時半の約束で出かける。

のりちゃんの話では、この友人の癌は4期だったというが、お目にかかると、彼女、ふっくらと顔色もよく、癌の患者さんとは思えないほど。

夜遅かったのに、快く応対してくださって感謝。

「がまの油」まがいの気休めかもしれないけど、今はわらをもすがる思い。さっそく夜から飲み始める。

母の日

教会で

日曜学校にはいつも以上に生徒が集まってきた。

昨年UCLAで心臓移植した8歳の夏くんが大好きな折り紙をいっぱい帰国時に寄付してくれた。それをつかってリリアの制作。

リリアはパウロから始めてイエスの話を聞き、イエスに従うことを決心したヨーロッパで最初のクリスチャンとなったギリシャ人。当時、紫の染料は高価なものであったそうだが、その紫の布を売買していた女性実業家だったそうた。

神の子イエスは私たちを救うため、死の代価を払うためこの世にいらした。

死の苦しみを味わったイエス様だから、私たちが通り抜ける苦痛を全てわかってくださる。

「私たちの苦痛をご存知のイエス様がいつも一緒」子供たちに伝えるメッセージが自分の心にも響く。

日曜学校の後、礼拝へ参加。

すぐ後ろの席に座っていた 副牧師のマイク、シニア牧師婦人のバーバラが、いつも以上に強く肩を抱いてくれる。彼らはすでにジョージから私の癌のことを聞いているのだ。うれしくて、胸が熱くなる。

食卓で

午後、息子たち亮と聰&お嫁さんのピンキーが集まって、母の日の昼食を共にする。

息子たちも、昨夜ジョージからすでに癌のことを聞いているが、いつものように、元気いっぱい、笑顔で家にはいってくる。

エネルギーが家中にあふれてうれしい。食事の前に、「おかあさんへの感謝のことば」が一人一人から述べられる。

いつも以上に心が敏感になっていて、涙が抑えられない。

ジョージは聖句を読もうとし、声がつまる。

美しい花と、たくさんの食事と、笑顔、笑いーーやさしい家族に囲まれて、私は本当に幸せ者!

職場への報告

勤め先の学校校長に癌であるため、これから欠席が増えることを伝えた。

同じ職場に、やはり癌を経験した人、治療を受けている人がいるそうだ。

とても同情し、理解してくれ、体のことを第一に考えるようにと言ってくれる。

私は中学からこの小学校に特殊教育補助教員として3週間前転任を命じられたばかり。

ろくにまだ仕事もしていないのに、このように親切な言葉をかけていただき、感謝する。

2回目外来

外来NP(正看護婦)とパイオプシーの結果、治療の方法、今後の予定について夫と共に話を聞きに行った。

彼女は乳がん専門NP歴16年のベテラン。

癌の広がり具合については、2期の終わりかもしかしたら3期の始めかもしれない、手術は早ければ5/21日と言われる。

乳がんが正確に何期であるかは、開けてみた結果判明するのだそうだ。

生検後痛みだした右の乳房、脇の下について質問すると、両乳房が同時に乳がんにおかされることはほとんどゼロに近いと言う。おそらく生検の後遺症。

転移については、癌はそんなに早くは進行しないと、私の不安は打ち消された。

乳房切除の手術の 際、染色剤をつかって、癌から一番近いリンパを探し、そこにがん細胞があるかどうかを検査。癌があるとわかったら、リンパ節を切除し、CTスキャンで全身の転移の可能性を調べると言う。

でも、すでにマモグラムでリンパにも腫瘍があることがわかっている。

乳房切除の覚悟はできているけど、リンパ節を切り取ることについては、リンパ節水腫という後遺症が心配。

転移があるなら化学療法から始めて、癌腫を縮小し、切除する部分をできる限り最小限に抑えることはできないのか?

転移があるかどうかを まず知りたいと、リンパ生検と右乳房の超音波をリクエストした。

腫瘍科医とも予約をとりたかったが、すでに外科医との予約が5/17に入っているので、それを待ってからと、あきらめる。

検査の予約は一週間後の5/19に予定された。

元気が戻ってきた

月曜日から元気も食欲ももどってきたので、夜は毎晩ジョージと覚えたてのチェスを楽しんだ。

水曜日の夜は 数週間前から始めたダンスクラスにもに参加。久しぶりに汗をかきながら新しいステップを楽しんだ。

夜、日本の妹たちに癌がみつかったので、夏の帰省があやしくなってきたことを伝える。

高齢の両親には告げようか、どうしようか? 悩む。

百々先生から「医学は 神の足元に近付くように日進月歩の進歩をしています。安心して、神と人間が作っている神の領域に任せてください。」とメール有り。

クリスチャンシスター

昨日はクリスチャンフレンドのスーザンが励ましに来てくれた。

そして、 今夜は、マギーとビルが、 夫と私を夕食に招待してくれた。

マギーは私を喜ばすため、始めての和食に挑戦。おいしくて、なによりその心使いがうれしい。

カソリック系の小学校教師マギーは毎日生徒と私のためにお祈りをしてくれていると言う。

転任前の職場で共に聖書を読んだディナとキャシーも聖句を送ってくれ、毎日のように祈ってくれていると言う。

私にはこのようなクリスチャンシスターがあることを改めて感謝する。

リンパ節生検

超音波で腫瘍を眺めながら、医師が針をさす。

その後、この腫瘍が先のマモグラムで見つけた物と同じかどうか、再度マモグラムをとって確認。

同じだったからよかったけど、そうでなかったら、腫瘍が増えていたことになる。

このバイオプシーで癌がわかったら、転移の確率が高いということで、さらに全身のCTスキャンを受けることになる。

胸の腫瘍が癌だったんだから、こちらもおそらく癌だろうと思うのに、ここらへんから医師たちが癌の進行は遅いから、一月ぐらいは転移の心配はいらないと、検査の間隔があくようになるのが心配を仰ぐ。

気分を紛らわしたく、又のりちゃんを誘ってご主人の亮太さんも一緒にお昼を食べる。

話題があちこちにとびながら3時間があっという間に過ぎた。

ABEミュージック稼働日に

10年以上ピアノ講師をさせていただいているABEミュージック経営者のケイさんがフコイダンをお見舞いカードと一緒にくださった。

フコイダンは一瓶6千円もするのに、こんなにまで心配していただき、ここでも感謝!

夜は息子の亮と聰が来て、四人で晩ご飯。

楽しいおしゃべりと笑いでもりあがる。

帰り際、癌に勝つぞ!と4人で手を重ねて活を入れる。

二人が帰ったあと、ジョージと、子供たちが良い大人に育ったことを互いに喜び合った。

夜、日本の母にスカイプ。87歳の父が胆石で入院。力がすっかり抜けてしまったようだが、父が峠をこしたことで、少し元気を取り戻しているようだった。私も早く元気にならないと、老いと闘っている二人に癌の話は酷。日本行きキャンセルをなんとごまかそうと考え、気分が沈んだ。

夜、11時就寝。夜中、膝と肩甲骨が痛くて何度か目がさめた。咳も深くなっているようで、これらが癌と関係ないとよいのだけど、痛みがあると、すぐ癌との関係を疑ってしまう。夜が難しい。

リンパ節にも癌

リンパ節生検の結果が癌と出た。

最初のマンモグラムでリンパ節にも腫瘍があると分かった時点から、これも癌と思っていたから予想範囲のこと。

リンパ節に癌があることがはっきりして、転移の可能性有りということになったので、来週はスキャンの予約、癌科医との予約についても後日連絡があると病院から電話があった。

はやく腫瘍科医と会って、化学療法から始める可能性を尋ねたい。

ジョージの説教

礼拝でジョージが「水の上を歩く」と題し、マタイ14章22−33を読みながら皆に癌のことを告げた。

荒れ狂う波や風に目を向けたら恐ろしいけど、イエスから目を離さず、イエスを信じて嵐の水面を歩こう。

たとえイエスから目を離し、波間に落ちても、イエスを呼べば助けてくださる、と。

説教の後、何人もの人が、私も癌だったのよ。でも元気になれた。がんばって。と声をかけてくれた。

ペギーは25年前余命6ヶ月と宣告された皮膚がんに打ち勝った。

元気になったら何がしたい?と彼女。

「もしも元気になったら。。」と答えて、「違う。『もしも』は余分よ。」と訂正される。

元気になったら、日本の家族にまず会いたい。

それから、応援してくださる人たちを皆招待して、どこまでも誠実でいてくださる神様に感謝を返す、大きなパーティーを開きたい。

ペギーは25年前余命6ヶ月と言われた皮膚がんを打ち破った。

腫瘍科医との予約

腫瘍科医との予約が10日後の6/4と連絡が入った。

ジョージが遅すぎないかと質問すると、「外科医は大丈夫と言った。」との返事。

癌の転移の可能性があるのに、腫瘍科医と6/4まで会えないなら、治療が始まるのはさらに先になることになる。

しこり発見から一月が経とうとしているのに、そんなにのんびりしていていいのかなあ?  再び不安を覚える。

私の不安を知って、同僚のディナは毎日のようにメールをくれる。

恐れるな。貴方を愛してくれている神を信頼しろ。貴方のために毎日祈っているよ!と。