治験の悲劇は将来のため

ワクチン治験の説明書には、それが将来の治療のための研究であり、患者が受ける利益は何もないかもしれれない、リスクを伴う治験への参加は、患者である本人の意思、と明記されている。

癌治療は当たるも八卦、当たらぬも八卦のギャンブルだけど、未知の部分が大半を占める治験はさらに大きなギャンブルであると、再三感じてきている。そんな治験に参加する場合、トリオジャパン(臓器移植支援非営利団体)支部長だった故荒波さんが生前おっしゃったように、「将来の利益のため」ということを常に覚えておかなければならないということを再認識した出来事が起きた。

このブログで以前紹介したTIL(腫瘍内浸潤リンパ球)療法という、これから私が行く、アメリカ国立癌研究所で行なわれている治験に参加された乳がん女性が亡くなられた。

この治療は、癌細胞を認知しない生まれ持った白血球を認知できるように改良して体内に戻すという、私が受けたいと願う樹状細胞ワクチンと似ている治験で、私自身、丁度一年ほど前、試したいと考慮した。でも、患者をこの治験で亡くしたという医師の手記を見つけ、怖くなってやめた。その後、さらに、この治療では、強い抗がん剤を使って、持ち前の白血球を全滅させ、改良した白血球をその後に総入れ替えするという具体的な治療法を知り、これは命がけだと思った。

過去のブログでは、この治験に賭け、生還した女性を紹介した。でも、今回命を落とされた女性は、白血球を全滅させたところで、恐れていた感染症にかかってしまった。医療チームは急いで改良した新しい白血球を患者に戻した。すると、たちどころに癌は縮小していったらしい。でも、感染症で機能不全を起こした複数の臓器は回復することがなかった。

きっと元気になれると、希望を高く掲げた「天」から悪夢の「地獄」に急降下したその一月の間の本人、家族、そして医療チームの心境を想像すると、言葉もない。

人が何人も亡くなるような治験があっていいのか、と思うけれど、治療の安全性を調べるのが治験の目的であるならば、これも治験の現実なのかもしれないとも思う。

医療が進歩する陰には、きっとこんなたくさんの犠牲があるのだろう。
これから治験参加を願う私の耳に、荒波さんの言葉が響く。

亡くなった彼女は、「もし地に落ちて死ななければそれは一つのままです。でも、死ねば豊かな実を結びます。」と聖書(ヨハネの福音書12:24)が語る一粒の麦になったのだと思う。

壊れたガラスの破片から美しいステンドグラスができるように、神様なら、死に終わる悲劇も、そこから美しいものを生み出してくださる。彼女の死は将来の奇跡への治療へと結びつく。

そう信じて、祈る。

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