ダビデの祈り

「神よ、どこにおられるのですか?」
「何をしてるのですか?」
「いつまで沈黙されるのですか?」
「私の祈りを無視しないでください!」

旧約聖書詩篇に書かれた、紀元前2千年頃 イスラエルを統一したダビデの祈りは驚くほど大胆だ。
それだけ、彼は窮地に追いやられ、生き延びるのに必死だったということなんだろうけれど、私も同じように、もっと積極的に求めて祈って良いのだと思った。

神様は願い事をなんでも叶えてくれる打ち出の小槌でも、魔法のランプでもなく、私たちの罪からの救済という壮大な計画を実施される、ベストをご存知の創造主であるから、私の思い通りにではなく、主の思い通りに事が運ぶようにと祈らなければならない事は、イエスの祈りから学んだ。それでも、ダビデは本音で感情をぶつけ、声を大にして懇願している。

ダビデは、イスラエル王になった後、人妻と浮気をし、それがバレそうになると、忠実な部下であった彼女の夫をわざと激戦地に送って死なせてしまった、不倫と殺人という大きな罪を犯した。それにもかかわらず、目に入れても痛くないと言うほどに神に愛された。それは、彼の祈りがただ大胆に要求するだけでなく、

「私の汚れた心をあなたの永遠に変わらない愛で、雪のように白くしてください!」
「あなただけが私の神です。」
「喉の渇いた鹿が、水を探し求めるように私もあなたを探し求めます。」
「あなたは私の隠れ場、私が立つ岩です!」
「あなたの名前を高らかに永遠にほめたたえます!」
と、迷い子が親を探すように、神をとことん慕い、100%完全に創造主である神のみに頼り、自分の過ちにも正直であったからなんだと思う。

無理に決まってる、祈ったって無駄、と思える時、とかく祈りも消極的になってしまう私だったけれど、ダビデのように、もっと積極的に祈っていこうと思った。誰よりも私のことを愛してくださっている神様だから、感謝を忘れず、正直に、神の教えに耳を傾けながら、全てを信頼して、彼を求めていきたい。

2 thoughts on “ダビデの祈り

  1. 本当ですね〜
    これは 目から 鱗です。
    私も お祈りの時 心のどこかで
    (こんな小さいこと祈っても。。)とか
    自分は 本当にこうなってほしいと思っていても
    どうせ神さまのご意思通りにしかならない、positive な意味ではなくnegative に思っている自分に 気がつくことがあるんです。
    私達は みんな 神さまの子供達。
    未熟な私達であることは 神さまは 100も 承知なのだから 声をあげて 素直に 祈ってもいいわけですね。
    もちろん 心を 真っ白にする努力と祈りを行いながら。。ですね!
    同感です!

  2. Eさん

    早速のコメントありがとうございました!ダビデがこんなにも感情をあらわに祈れたのは、それだけ神様と親密な関係にあったからなのだと思います。どんな時も神を求め、たとえ「どこで何してんだ!」って怒っても、創造主から離れることがなかった。神様はそんな関係を私たちにも求めているんじゃないかな、と考えています。大胆に祈りながら、たとえどんな試練が続いても神から離れない。それを詩篇から学んでいます。

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