絶望の中に現れる神

祈っても、祈っても、願いは叶わず、死が訪れる時、「結局神も仏もいない。」と思ったとしても、少しも不思議じゃない。
そして、世の中、そんな理不尽な話は溢れるほどにある。

私は、臓器移植支援をしていた時、愛する子供や夫を亡くされた方々が、異国の地で受けた恩を胸に熱く感じ泣かれるのを見て、“イマニュエル“ (主は我と共に)と呼ばれる神を見たと思い、信仰を持つに至ったけれど、聖書が語る神は、絶望の中に、私たちが想像する神と違って、別の現れ方をする。

以下の話はクリスチャンサイトに見つけた、絶望の中に神を見る話。

チェンくんはわずか5歳で脳がんと診断された。そのわずか数ヶ月後、今度はチェンくんのお母さんが腎臓病と診断された。

Chan's story #1
2年間の闘病後、癌が進行し、チェンくんは視力を喪失、動けなくなった。同じ頃、お母さんも一生普通の生活はできないと宣告された。

Chan #2
医師たちは、チェンくんのこの世の時間が残り少ないこと、また、彼の腎臓がお母さんに何よりも必要な腎臓移植に完璧に適合することも知った。
しかし、母はチェンくんからの臓器移植を拒んだ。

Chan #3

お母さんがチェンくんからの臓器移植を拒否している会話を聞いた彼は、お母さんに自分の腎臓を受け取ってほしいと懇願した。

Chan #4

ガンが成長し、病状が増す増す悪化すると、自分が死んだらお母さんを救えると思ったチェンくんは、何もしないで、ただ死なせて欲しいと母に頼んだ。

Chan #5

目に涙を溜めながら、重たい心で、母は息子に頷いた。母にとって唯一の慰めは、息子の一部が自分と一緒にずっと生き続けるということだった。。

Chan #6

チェンくんは4/2静かに息を引き取った。そして、彼の尊い腎臓が母を救うため移植された

病院のスポークスマンは、「医療チームが移植前、チェンくんのために短い祈り、と黙祷を捧げた」と伝えた。

Chan #7

チェンくんの払った犠牲は、母だけでなく、他の臓器を提供されたもう二人の命も救った。

Chan #8

マタイ10:39
「自分の命にしがみつく者はそれを失うが、私(神)のために命を捨てる者は、それを見つける」

この世は仮の世界。永遠の命を受けて永遠に生きる世界が次にあると思えば、自分を救うことより、母を救うことを思ったチェンくんは、間違いなく永遠の命を受け取ったはず。

結局、チェンくんは助からなかった。母は一人ぼっちになった。なんと無情なことよ。と、思うか、

死んだ息子から臓器を受け取って、助かるなんて、ひどい母親だ!と、思うか、

神はチェンくんを用いられた。チェンくんの死は無駄にはならなかった。と、思うか、

それは、何を信じて、どの視点から物事を眺めるかによるのだと思う。

神の一人子でありながら、神を離れた罪の償いのために、無力な人間となってこの世にいらしたイエスを信じる私にとっては、希望も何もない悲劇に見えるチェンくんの話に一筋の光が見える。

イエスの生誕を心から祝う。Merry Christmas!

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