クリスマスの始まり

いつになく、気持ちが沈んで元気がなかった。
ガンは肝臓に入っているかもしれない。
たくさん撮ったCTからくる放射線の影響がいづれ現れるかもしれない。
私が死んだら、ジョージは新しい恋人を作って、私は過去の人となるんだ。
等、等、一旦気持ちが沈み始めると、思考は悪い方向へと進み、悲しみが膨らんでくる。
何もやる気がなくなっていると、ジョージが、マザーテレサの本が映画になったから見に行こうと誘ってくれた。
外に出て行くのは億劫だったけれど、だからこそ行くべきだと、重い腰を上げて出かけた。

淡々とマザーの人生を描く映画は、人によっては退屈と映るかもしれないけれど、見終わった時、私の気持ちは180度変わっていた。

映画のタイトルは、「The Letters (手紙)」。

マザーテレサは、1979年にノーベル平和賞を受賞した、半生涯をインドのカルカッタで、貧民の中の貧民に捧げた人。この間、彼女は神を身近に感じることができず、その笑顔の陰で、孤独と苦闘していた。それにもかかわらず、彼女は神を、イエスを愛し続け、決して驕り高ぶることなく、「自分は神の道具である」と言い続け、その愛の奉仕を止まることがなかった。

同じ修道女という関係の中で上からの支援を得られず、またマザーに続こうとする若い教え子の親からも理解を得られないにもかかわらず、謙虚に辛抱強く時を待ったマザー。

朝から晩まで、足を棒にして奉仕を捧げるその人々、ヒンドゥー教徒たちから敵対視され、罵倒を浴びせられながらも、黙々と愛を実践し続けたマザー。

「主よ、私を平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。」
(http://www.okusawa-church.jp/inorisaei.htm 日本語訳より)

映画のクライマックス、ノーベル平和賞受賞式で、この聖フランシスの祈りを朗読したマザー。

何時間,何日、何年祈っても、神からの声を感じられず、暗闇の中にいたのに、私欲を持たず、ただひたすら神の意思を全うしたマザーの姿が、自分の事ばかり考え、自己憐憫に浸っていた私自分に語りかけた。

心を沈めていた不安、悲しみ、嫉妬、不満、怒りが全て解きほぐされ、代わりに新しい勇気と希望、愛を受け取って、家を出た時とは別人のようになって帰宅した。

1日経った今日は、大学聖歌隊によるクリスマスキャロルを聞きに行った。Untitled

美しく、力強い賛美を聞いていたら、私に再び希望と元気をくださった神の愛が胸に差し込んで、涙が溢れてきた。

厳しい試練が続いた今年だったけれど、美しく、喜びにあふれた圧倒的なクリスマスが締めを約束してくれている。
神様、ありがとう!

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