もし、裏切られたら

薬を変えても変えても効かなくて、あっという間に亡くなってしまった。死の床についた癌友のそばには53年間喜びも悲しみも共に過ごし、親身に看護した白髪の旦那様がいた。
癌闘病が過酷であっても、愛するパートナーが最後まで一緒にいてくれる、それが結婚をしている者の強みだと思っていた。
でも、結婚しているからといって、全てが全てそうではないことを思い知った。

治療費が重なって、それが大きな借金となると、癌になったことを責められる人がいる。
脱毛したり、乳房がなくなったり、あるいは癌や治療のせいで夜の交わりがなくなると、浮気をされる人がいる。
癌患者の会にいって聞いた話は、癌が奪うものの大きさを思い知らすものだった。

癌に体を蝕まれ、財産をなくし、そして誠実と信じていた生涯のパートナーにも裏切られて死ぬなんて、そんな悲しい話があるだろうか、とショックを受け、なんてひどい男たち!と怒りも覚えたけれど、伴侶の立場になってみると、彼らもまた癌の犠牲者で、結局は皆弱い人間なんだとも思う。

人生の風向きが変わり、自分ではどうしようもなくなった時、現実から逃避したくなることはよくあること。
ある人にとって、それは酒であり、ドラッグであり、ギャンブルであり、あるいは、結婚外の恋愛、セックスであったりするのだろう。

手の届くところに聖書があったとしても、試練は同じようにやってくる。
私は恨みつらみを並べたてずに、相手に献身できるだろうか? 感謝の言葉を伝え続けられるだろうか?
ヒステリックにならず、相手の重荷を理解し、受け入れることができるだろうか?
間違いを犯した伴侶、心をギザギザに引き裂くほど裏切った相手を許すことができるだろうか?

神からの助けなしで、自分だけの力じゃ私には絶対何もかも無理だろう。
裏切られ、激しい屈辱を受け、死の十字架にかけられながらも「父よ。どうぞ彼らをお許しください。彼らは何をしているかわかっていないのです。」とイエスは祈った。
そんなイエスに恵みと愛を懇願し、仮に相手が最低のろくでなしで、一人死ななければならないことになったとしても、平安を見つけられたらと、そう思いを巡らし、願う。

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