なぜイエスを信じるに至ったか 証5: 移植支援は癌闘病の訓練場だった

イエスを私の救い主と受け入れたときから、全てが変わり始めました。移植支援は常に私を神に近づけ、聖書の言葉は息を吹き始めました。ドナーが臓器を提供し、患者さんが救われる度、それは、イエスの十字架の再現のように映りはじめました。血と涙を流し命を与えるドナーのイメージは、私たちに永遠の命を与えるために十字架上で苦しみ亡くなったイエスのイメージと重なり、イエスは私にとってのドナーであると思えるようになりました。
イエスが益々愛しくなると、ジョージとの間の喧嘩は途絶え、私たち夫婦の仲が良くなると、子供たちとの仲も良くなっていきました。

渡航臓器移植支援は、2009年、病院の大改装にともない、医療費がそれまでの1億円から2倍ほどに跳ね上がり、患者さんたちが、安い病院を求めて東海岸に向かうようになったところで終息を迎えました。

それから半年後、2010年5月、私は乳ガンの告知を受けました。私に思いもかけない形で移植支援という奉仕を与えられた神は、私の身に何が降り掛かるかをご承知で、この13年続いた奉仕のドアを閉じられたのだと、今にして思います。

がん告知は私の人生をひっくり返しました。狼狽し、もうこの世での時間は長くないのかもしれないと思いました。ならば、どう生きるべきか?間もなく死んで、天の父と出会うのであれば、もっと天の父がどんなお方なのか知りたい。そう考え、勤めていた学校区を退職し、聖書クラスと、教会と、そして癌闘病者支援に時間を注ぐことに決めました。
この決断は間違ってはいませんでした。今日に至るまで、私は信仰を深め、大勢の人たちと友情を育て、深めてこれたからです。大勢の友に囲まれ、親切を受ける度、それはやさしい神様がいつも私のそばにいて、「愛しているよ。」と言ってくださっているように感じます。

臓器移植支援をしているときは、他の人たちのために奉仕していると思っていました。確かに、神は、私を用いられましたが、同時に、神が私に臓器移植支援を与えられたのは、私を待ち受けていた新しい敵、乳ガンと闘うための準備、訓練のためだったのに違いないとも思えます。

患者家族の皆さんの、新しい臓器を願う切実な思い、ドナーとドナー家族が払う大きな犠牲、機械に頼らず、自分で呼吸できるようになるときの喜び。。。これらを目撃し、全ては神の恵み、ギフトだと学んだ事。あってあたりまえのものなど何もないと学んだこと。イマニュエル(どんな時も一緒)と呼ばれる神は嵐は止められない。でも嵐の中を一緒に歩いてくださる。そして、死は終わりではないということーーーー移植支援で学んだ全てのことが、今日まで癌闘病の武器となり、心の糧となってきました。

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