October 2nd, 2015

なぜイエスを信じるに至ったか 証4:渡米臓器移植支援

渡航移植支援に関わり始めると、まもなく、患者家族が後を絶たずにやってくることを知りました。皆さん、外地は初めてという方たちがほとんどで、知人もいなければ、言葉の壁も厚いものがありました。

美佑紀ちゃんのときの通訳だった学生が就職でボランティアから離れると、私は病院に、通訳を探して欲しいと電話をしました。すると、何が間違ったのか、数日して、私にミーティングに来て欲しいという電話がかかってきました。

最初は何のことなのかわからず、”Yes”と答えたものの、もしかして、私に通訳しろって言ってるんだろうか?と気がつくと、そんなの絶対無理!と、蒼白。即断ろうと思いました。
すると、ジョージが電話の前に立ち塞いで言うのです。

「君は誰と結婚してるんだ? 何年結婚してるんだ? 君の英語が完璧でないのは知っている。でも、家族は今着いたばかりで、右も左もわからないんだよ。同じ日本人が困ってるんじゃないか。行きなさい!」

私は当時、現地の高校で通訳としてパートタイムの仕事をしていましたが、医療英語は生物の授業で生徒と学ぶものだけでした。ジョージが言っていることは、まるで清水の舞台から飛び降りることのようで、自信など、欠片もなく、辞書をかかえ、ドキドキしながら、ひたすら祈って病院へ行きました。

幸い、この時の通訳は数分で終わりましたが、以来、病院は日夜を問わず、一週間に何度も通訳を求めて電話をしてくるようになりました。とても一人では対応できないと困っていると、「僕に任せて。」と言い、ジョージは成人学校の自分の生徒をリクルートしに出かけました。

彼のクラスにはエリートサラリーマンの奥様たちがいましたが、最初は彼の呼びかけに誰も応答しませんでした。すると、ジョージの説教がまた始まりました。

「君たちは何のために英語を勉強しているの?優雅なゴルフコースでゴルフをしたいから?新しいキャリアを見つけたいから? 取る事ばかりだけれど、与えることはどうなの?」

家に戻ってくると、彼は何人もの名前が連なった、ボランティアのリストを見せてくれました。彼のおかげで、新しいボランティアグループが結成したのです。
名前も資金もないまま(一粒の麦という名前は10年後、非営利団体に格上げしたとき、初めて付けました。)、宣伝することもありませんでしたが、クチコミで、ボランティアは、一人抜ければ、また新しい誰かが加えられ、途絶えることなく与えられ続けました。

支援グループとして、私たちは、アパートを確保し、家具や生活用品を調達、車を運転されない方達のためには、病院やお買い物にご案内し、食事の差し入れをし、病院内外の通訳をし、会計の交渉をし、そして、手術や緊急事態には、それが朝の2時、3時であっても傍に付き添いました。そうすることにより、私は患者家族の方々の苦難、痛み、不安や恐怖、手術が成功したときの喜び、そして、大事な家族を失ったときの悲しみ等を目撃するようになりました。

どんなに時代が進化しても、死の前で私たちは無力です。喉の乾いた人が水を探し求めるように、私は聖書に助けを求め始めました。そして、気がついたのです。

私たちは「エデンの園」に住んでいるのではないということを。罪が偲び込んだこの世では、誰も明日の保障はないこと。今日生きられたら、それは神様からいただいた恵みであり、「よこせ」と要求できるものではないこと。仮に短い一生であっても、多くの人の心に触れることができたら、神の目には、自分勝手な90−100の人生より、はるかに実り多いものと映るのだろうということ。そして、神から離れた罪の代価である永遠の死から私たちを救い出すために、神は、イエスを身代わりにしてくださったこと。
そこまで気がついたら、もうイエスを拒む理由は全て消え失せました。1998年12月27日、イエスを私の救い主として受け入れ、ジョージの手により洗礼を受けました。神は、イエスは、ついに私の心を射落としたのです。

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洗礼式