なぜイエスを信じるに至ったか 証2:詰めてきた愛

私の信仰の成長を心配したジョージは日本の教会に行くことを勧めてきました。

彼に言われた通り、小さな日本の教会を見つけると、初めてであった日本人牧師は、ジョージも英語教師になる前は牧師だったことを知り、日本の教会で一緒に働いて欲しいと言ってきました。それで、信じられないことに、突然ジョージはこの小さな日本の教会のパートタイム牧師となり、私は、まだ信者でもないのに牧師の妻となってしまいました。おまけに、通訳という大役を与えられ、嫌でもジョージの説教と、聖句に全神経を集中しなければならなくなりました。あくびをしている時間はもうなくなりました。

神様は第二の駒を動かされました。

私はクリスチャンではなかったので、ジョージと私は「同じくびき」で繋がれておらず、違った方向を向いて、結婚当初、喧嘩が絶えませんでした。

ところが、喧嘩をする度、ジョージは怒ってどこかに出ていくのに、必ず「ごめん。」と謝って帰ってくるのです。彼に「ごめん。」と言われると、「絶対謝らない!」とかたくなになっていた私の心もソフトになって、「ごめんね。」が言えるのでした。頭を下げることが大の苦手な私にとって、このように彼が謙虚になれることは不思議でなりませんでした。なぜなんだ?と思っていると、ある日、彼が祈っていることに気がついたのです。彼はよく、「神様は皆に手を差し伸べてくださっている。僕たちはその手を握りさえすればいいんだ。そうしたら、神様が僕たちを変えてくださる。」と言っていましたが、これだ!と思いました。彼が辛抱強く、謙虚になれるのは、神様の手を握っているからなんだと思ったら、私も握りたい!と、初めて神に近づきたいという願望を覚えました。

Geo holding God's hand

ジョージが神の手を握っていると気がつき、私も神に近づきたいと思った年に作ったジョージへの誕生日カード

神様は手を緩めることなく、いよいよ第三の駒を動かされました。決定打でした。

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