September, 2015

”私が泣く時”

「神様はなぜ私にこんな辛い思いをさせるんだろう。良い神様が見えない。」

だんだん進行していく癌に、信仰を揺るがされているとメールしてきた友がいた。

「辛い思いをさせているのは神様じゃないよ。神様はその逆。助けを求める私たちのそばにすぐに飛んできて、力をくださるお方。」

そう返事を出しながら、彼女のために祈っていた。そして見つけたこの歌。
私たちを愛してくださっている神様は、苦しむ私たちをみて心を痛め、私たちに愛を注いで下さる。苦しみを通り抜ける力をくださる。
友にこの歌をぜひ聞いて欲しい。


When I Cry (私が泣く時)

主よ、あなたが私にしてくださった全ての良い事を書き綴りながら、私は決して不平を並べることはしませんでした。
でも、今、私は希望を見失い、どうしてよいかわかりません。
私の世界は崩れ落ち、心は裂けている。でも、あなたの心も同じように裂けていると思うと慰められます。

<コーラス:
私が泣くとき、あなたも泣いている
私が痛みを感じるとき、あなたも痛みを感じている
大事な人を失ったとき、あなたも悲しみを感じている
そして、私がうなだれる時、あなたは、あなたの恵みで私を満たしてくださる。
なぜなら、私が泣く時のように、あなたの心を傷つけるものはないから>

暗闇の中で、顔を覆ってあなたに一人泣き求める
主よ、こんな思いをするのは初めてです
絶望の淵に立ち、失うものばかり
でも、あなたを信じています。
あなたは私がここを通り抜けられるように導いてくださる
私は一人ではないと知る事、それが救いです

<コーラス>

あなたは荒れ狂う海を静めたお方
あなたは、盲人の目を開いたお方
あなたは、天と永遠の全てを見通された
そして、その全てを通して私をご覧になった

<コーラス>
訳:和世

次はアブラキサン

今日、主治医のところに行って、次はアブラキサンとハーセプチンを始めることに話をまとめてきた。

期待していた免疫療法TILの治験は、癌細胞の中にあるリンパ球(白血球の一種)を取り出すのに、ベテスダまでいかなければならないこと。取り出したリンパ球を増やすのに、1−2ヶ月かかること。さらに、強化されたリンパ球を抗がん剤と一緒に体にもどすときは、危険が伴うため、4週間ICU(集中治療室)に入院しなければならないこと、等、負の要素が多すぎるため、これは将来の選択肢として残すことにし、まずはすでにある抗がん剤を使うことにした。

アブラキサンは、2度も使用したパクリと基本的には同じ薬なので、パクリが効果を失った今、アブラキサンも効かない可能性は高い。でも、主治医によると、パクリが効かなくなって、アブラキサンを使用するケースはたくさんあるのだと言う。もし効果を現すなら、寛解に持ち込んでくれたパクリと同じように、目覚ましい効果が現れるかもしれない。

パクリと同じ薬だというと、すでに悪くなっている末梢神経傷害の悪化も気になるけれど、いづれにしても使ってみるまではわからない。

一方、ホルモン陽性乳ガンの薬として認可されたアフィニトールをハーセプチンと一緒に使った場合、特定のHER2陽性乳ガンに有効であることがスレイマン先生の研究で明らかにされている。それで、私がその効果が期待できる特定のグループに入るかどうかを調べるため、ガン細胞の遺伝子検査もすることになった。

UCLAでおこなわれているMM−302と呼ばれるハーセプチンのような抗体薬の治験は、ジェムザール又はゼローダとの比較になるので、ジェムザール又はゼローダを使っていないことが治験参加条件となる。ゼローダはすでに使用してしまったから、ジェムザールはこの治験参加を考慮するようになる将来のためにとっておくことに。

スレイマン先生のおかげで、2重、3重に今後の治療策をたてることができた。アブラキサンの点滴は来週金曜日から。

副作用から守られ、効果が現れますように!

5週間ぶりの点滴

16日まで予約は取れないと言われたのを、無理を頼んで、昨日、新たな抗がん剤の点滴に行ってきた。

点滴室は満席で、予約の1時半に到着したものの、実際に点滴が始まったのは午後3時。

まずはアブラキサンから。
パクリと同質でありながら、アブラキサンの場合は、事前に取らなきゃならない薬はなく、点滴時間も30分で終了。

その後は、2010年の告知以来、ずっと続けてきたハーセプチンだったのだけど、5週間お休みが入ったら、初回と同じ扱いになると、普通なら30分で終わるところを90分かけての点滴。

ハーセプチンの副作用である発熱や悪寒等が起きるかもしれないと言われて帰宅したら、案の定、夜になって、からだが熱っぽくなり、頭痛や胃のムカツキまで現れ、ソファーに横になったら、もう起き上がる気力なし。iPad から賛美歌をひたすら聞いて過ごした。こんなに堪えたのは久しぶり。

これからアブラキサンは3週連続1週お休み、ハーセプチンは毎週というスケジュール。大変なのは初回の今回きりだけだとよいのだけど。。

血液検査もアブラキサンを受ける前日に3週連続で受けなければならないらしい。リンパ水腫で使える腕は右側だけなので、採血は胸に埋め込んだ点滴用のポートからすることにした。ポートからだとアザになることも、痛みもほとんどなく、予約は取らなきゃならないけれど、楽チン!

スレイマン先生は最低3クールは続けなさいとおっしゃったので、次のCTは11月末になる模様。副作用の心配がなければ、しばらく平安が保障される。

効果が現れてくれたらなお万歳!
どうか、そうなりますように!

早くも苦戦

先週金曜日の点滴から早くも一週間が経ち、明日はまた点滴日。先週は点滴後結局3日も熱が出て、週末は何もできなかった。

月曜日になって体調が戻り、ピアノのお稽古やホームレスシェルターでのボランティア、聖書クラスは予定通りこなせ、友達がくださったコンサートチケットも無駄にせずに楽しめたのは幸いだった。

今日は明日の点滴のための血液検査に行ってきたけれど、結果は、案の定白血球の値が下がっていた。熱を出していた時は今日の値よりもっと低かったのかもしれない。
でも、一週間前よりも免疫力が落ちていることになるから、この分だと、明日点滴後はまた発熱するかも。

これって、ハーセプチンのせいというよりアブラキサンのせいなのかもしれない。免疫力を保つことを期待してAHCCは毎日3g取ってきたけれど少なくとも今の状態では期待外れ。今夜からもう1g増やしてみようと思っている。

恐れている末梢神経障害も時々、足の裏や手の指先を切ったような痛みを感じ、こちらも早くも悪化症状が現れている様子。

まだ始めたばかりなのに、こんなんで3クールも続けられるだろうか?

神様、貴方だけが頼りです!

祈り

時計はまだ朝の3時ちょっと前を示していたけれど、頭がどうにも冴えてしまっているので、起きることにした。
土曜日朝、ジョージと久しぶりにビーチを散歩したら、わずか30分ほどだったのに、すっかり疲れてしまって、家に戻ってきてから午後はずっと昼寝をしてしまった。
早く目が覚めてしまったのはそのせいだったかもしれない。
でも、アブラキサンとハーセプチン2週目の今回は初回であった先週末に比べ、熱もないし、食欲もあるし、散歩もできたんだから感謝、感謝。

起きてメールを開けると、参加しているネット上乳癌コミュニティーからのメールを見つけた。
「肝臓に転移した癌が成長して、一番大きいのは7.5cm、その他にも3cm以上のものが20個ちかくある。どうしたらいいだろう?誰か母を助けて!」

手術は?放射線療法は?とか、頭に浮かんだけれど、私にアドバイスできそうなことは何もない。私の癌も将来こんな風に大きくなるのかもしれないと思いつつ、「癌って、止められない病気なんだ。」と、客観的に見ている自分がいる。

先週火曜日の聖書クラスで見に行った映画”War Room”は、とても心に響いたけれど、それは、祈ることの大切さを教える映画だった。

ただ、願い事のリストを列ね、最後に「アーメン」と付け加えるんじゃなくて、神が自分に何を求めておられるか、それに聞き従う用意ができたとき、初めて、本当に自分が願い求めている物が何なのかを知り、それを受け取るのだと、神との会話、祈りの場所であるクローゼットを”war room”と呼ぶ主人公の一人が語っていた。
ジョージは、他者の為に祈るときは、自分だったらこう祈って欲しいと思うように、祈るべきとも言っていた。

私にはアドバイスはできないけれど、祈ることはできる。

同じ病気で苦しんでいる人たちの涙、絶望感、恐怖、苦痛を取り除き、新しい治療の道を開いて、平安と希望を与えてくださいますようにと、祈ることはできる。

癌が小さくなって、大好きな人たちと少しでも長く一緒にいれるように、そして何よりも、神の約束を信じ、何が起きようとも揺るがない強い信仰が育つように!

また脱線

今週の血液検査で白血球(好中球)の値がさらに下り、基準値を割ってしまったので、今日の点滴は無理かもと思っていたら、予想通り、アブラキサンは中止となった。
明日から白血球の数を増やす薬を3日注射して様子を見ることになったけれど、アブラキサンは3週続けて1クールなので、規定量の63%しか受けられなかったことになる。
全く残念。。。淋しい。
ハーセプチンだけ点滴してもらい、その後は用心のために、胸のレントゲンと尿検査を受けた。
それから薬局に回って、注射用の薬を購入。
白血球増幅の注射を打つのは5年半ぶり。あの時も自分で打ったから今回だってできるはずだけど、どうやってするか、すっかり忘れてしまったので、看護婦さんから再指導を受けた。
薬局を出た後は3日ほど前から痛み出した下腹部の診察をうけるため、時間外外来へ。
白血球の値が低い以上、どんな病気になってもおかしくない。
臓器移植をした患者さんは、免疫抑制剤を一生取り続けなければならないけれど、このせいでウイルスや細菌に侵されやすく、命を落とす例もあることを知っている。
些細な症状であっても油断は大敵。すぐの予約がとれなかったので、時間外外来に行ったのだけど、待ち時間は2時間半だった。結局、尿路感染の可能性ありということで、抗生物質の処方をしてもらい、再び薬局へ。
朝家を出たのは8時半ごろだったのに、病院を出たのは4時半過ぎだった。
スーパーに寄って家にたどり着いた時にはヘトヘト。
明日は元気を取り戻したい。

なぜイエスを信じるに至ったか 証1. 最初の私

イエスは私にとって、何よりも大切な心の支え。癌という巨大な敵を前にして、狼狽しながらも、また立ち上がって冷静をとりもどせるのは、全てイエスのお陰。その大切な愛しいイエスとどう出会い、なぜ信仰を持つにいたったか、いつかこのブログにも書き記したいと思っていた。その時期が来たと信じ、数回に分けて私の信仰の軌跡を綴ってみる。

証:1。最初の私

主はいつも私によくしてきてくださいました。私がまだ主を知らない以前から、私を見守り、恵みと慈悲に溢れる驚くべき計画に従って、今日までずっと私を導いてきてくださいました。私のことをこんなにも愛して下さっている神がいると知ったことは、人生の中で、最高の出来事でした。

日本はクリスチャン人口が5%以下と言われていますが、私の両親もご多分にもれず、先祖や複数の神を崇拝していました。でも、隣が教会だったことから、私を日曜学校と、教会に付属する幼稚園に入れました。私は、どちらも大変気に入って、園長先生がされるイエス様のお話も、皆で歌う賛美歌もとても喜んでいました。お箸の使い方を習うように、祈りも自然と身につけ、毎晩のように祈っていたものです。
でも、大きくなるに従い、だんだん心は他の興味や願望で満たされていき、中学になって、モルモン教徒に会うと、「私たちが本当のクリスチャンです。私たちの教会にいらっしゃい。」と誘われ、一方、日曜学校の先生からは、「かかわらない方が良い。」と言われ、初めて、キリスト教にも正しいもの怪しいもの、いろいろあるのだと知り、宗教は危険だと、以来、教会に行くことも、祈ることも止めました。20数年後、今の夫、ジョージと出会う迄は。

結婚は人生を変えます。私の場合も例外ではありませんでした。
アメリカに来て、ジョージと出会い、結婚するとき、彼は一つだけ条件を付けました。
「僕と一緒に神様を探し求めてくれないか?」

当時、彼は成人学校の英語教師で、私はごく一般的な日本人。すなわち、宗教は持たないといいつつも、超自然能力があると言われるものは、お守りでも、占いでも、何でも信じていました。イエス様や天地を創造された神様のことなど、ほとんど知らなかったのに、生意気にも、
「問題なし!私、昔日曜学校通ってたの。聖書読んだことあるし、イエス様のこともう知ってるよ。クリスマスは彼の誕生日でしょ。イースターは復活祭。ね!」

等と答えました。
ジョージが私に頼んでいることは、スタバにでも毎日曜日行くぐらいのこと。簡単、朝飯前!と思っていたのです。

ところが、教会通いが始まってみると、当時の私の英語力は大変乏しく、牧師の言っていることはチンプンカンプン。何も分からなくて、退屈でしかたりませんでした。

ジョージは同じ頃、自宅で、自分の生徒を招き、聖書の勉強も始めました。自宅での勉強会でしたから、もちろん私も参加しましたが、私の態度は依然生意気なものでした。

「アダムとイブが最初の人間?私の先祖?ウソー!私の先祖はお猿さん。人間は猿から進化したんでしょ?アダムは930歳まで生きたですって?そんなおとぎ話みたいなこと、マジに信じろなんて言わないで!」と、バカにしていました。

一方、日本の伝統行事を子供達に伝えたくて、季節の節々に人形やお飾りを出し、お供えやらしていると、「何をしてるの?」「これはどういう意味?」「誰にお供えしているの?」等とたちまちジョージの質問の的になりました。お祭りや季節の行事は全て宗教行事、アダムとイブの話と同じように非科学的であることに気がつかず、クリスチャンになるということは、日本人を辞めることのように思えて、ひたすら抵抗を感じて止みませんでした。

すると、神様が駒を動かされたのです。

なぜイエスを信じるに至ったか 証2:詰めてきた愛

私の信仰の成長を心配したジョージは日本の教会に行くことを勧めてきました。

彼に言われた通り、小さな日本の教会を見つけると、初めてであった日本人牧師は、ジョージも英語教師になる前は牧師だったことを知り、日本の教会で一緒に働いて欲しいと言ってきました。それで、信じられないことに、突然ジョージはこの小さな日本の教会のパートタイム牧師となり、私は、まだ信者でもないのに牧師の妻となってしまいました。おまけに、通訳という大役を与えられ、嫌でもジョージの説教と、聖句に全神経を集中しなければならなくなりました。あくびをしている時間はもうなくなりました。

神様は第二の駒を動かされました。

私はクリスチャンではなかったので、ジョージと私は「同じくびき」で繋がれておらず、違った方向を向いて、結婚当初、喧嘩が絶えませんでした。

ところが、喧嘩をする度、ジョージは怒ってどこかに出ていくのに、必ず「ごめん。」と謝って帰ってくるのです。彼に「ごめん。」と言われると、「絶対謝らない!」とかたくなになっていた私の心もソフトになって、「ごめんね。」が言えるのでした。頭を下げることが大の苦手な私にとって、このように彼が謙虚になれることは不思議でなりませんでした。なぜなんだ?と思っていると、ある日、彼が祈っていることに気がついたのです。彼はよく、「神様は皆に手を差し伸べてくださっている。僕たちはその手を握りさえすればいいんだ。そうしたら、神様が僕たちを変えてくださる。」と言っていましたが、これだ!と思いました。彼が辛抱強く、謙虚になれるのは、神様の手を握っているからなんだと思ったら、私も握りたい!と、初めて神に近づきたいという願望を覚えました。

Geo holding God's hand

ジョージが神の手を握っていると気がつき、私も神に近づきたいと思った年に作ったジョージへの誕生日カード

神様は手を緩めることなく、いよいよ第三の駒を動かされました。決定打でした。