癌になったのは罰が当たったから?

お寿司に箸を延ばしながら、癌友が言った。
「癌になったのは、罰が当たったんだと思うの。私、若い頃、さんざん悪い事しましたから。」

人生に惨事が起きる時、彼女のように考えることは少なからず誰にもあるのだと思う。

聖書は、この世に死や災いがあるのは、人が神から離れた罪のせいだと説明する。でも、その罪はイエスの十字架によって償われた。
神から離れた、この歪んだ世界にいる以上、災いはなくならないけれど、神様は私たちを許してくださった。

サマリアの女

Samarian Woman

聖書の中に、サマリアの女の話(ヨハネ福音書4章)がある。
サマリア人はユダヤ人と異教徒の間に生まれた人種で、ユダヤ人は忌み嫌っていた。
ユダヤ人にとって、サマリア人と話を交えることはタブーで、まして、それが当時二等階級だった女性であれば、それはあってはならない、とんでもないことだった。

井戸に水を汲みに来ていたそのサマリア人である女に、ユダヤ人であるイエスは話かけた。
「喉が渇いた。私に水をくれないか?」

びっくりした女とイエスの間に会話が始まり、イエスは自分が救世主であり、「生きた水」、すなわち、罪を償い、永遠の命を彼女に与える用意があることを伝える。

女は、5回結婚し、今は別の相手と同棲中だった。愛を求めながらも、何度も失敗を繰り返してきた薄幸な女だった。
こんな女に、軽蔑することもなく、叱責をすることもなく、まして罪を与えることもなく、逆に、イエスは救済の手を差し伸べた。

過去のことまで全てを言い当てたイエスに感動した女は興奮して町に帰り、町中の人たちを連れてイエスのところに戻ってくる。そして、大勢のサマリア人がイエスを救世主と信じるにいたる。

誰からも蔑められていた罪深い女は、一躍神の大切な僕となったことになる。

癌友の言う通り、私たちは皆罪人。
でも、神様の恵みは、罪よりもはるかに大きい。

試練は、罰ではなく、神様に近づくチャンスなのだと信じる。

2 thoughts on “癌になったのは罰が当たったから?

  1. ある人は重い傷害をもって生まれ、ある人は若くして亡くなり、またある人は戦争や飢えに一生苦しみます。イエスが十字架で私たちの罪を償ってくれなければ、不公平なこと、不理屈なことばかりで人生おしまい。野獣のように回りを蹴落として一番になるしか幸せは獲得できないとさえ思えます。罰をのがれ、永遠の命を得るチャンスが平等に与えられたのは、私たちはイエスを認めないのにもかかわらず、彼が身代わりになって罰を受けてくれたからこそでした。受けとる資格などないのに与えられる愛、それが神の恵みと聖書は教えています。こんな神様を私は他に知りません。

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