仲違いか、団結か

敵が現れたとき、勝利を得るためには、同盟者と仲違いするより団結した方が良いに決まっている。
でも、現実はなかなかそう簡単にはいかない。

子供が学校で問題をおこしてくる、病気になる、経済問題がおきる、等々、円満な家庭に危機が訪れると、「おまえが。。」「あなたが。。」と相手を責めたくなる。

渡航臓器移植支援をしていたとき(1997−2009)、60組近い家族に出会ったけれど、移植を待っている大事な家族の症状が悪化してくると、言葉も文化も違う海外で、ストレスが増大し、ほとんどの家族がそんな危機を乗り越えてくれたものの、夫婦仲が緊張し、「離婚」という言葉まで浮上するほどにエスカレートするケースもあった。

神様との関係も同じ。

人生の嵐に巻き込まれると、より神に強くしがみつく場合と、「神なんていない。」と、神に怒りを覚え、信仰を捨てる場合とがあるのだと思う。

その違いは、どんな神を期待しているのかによるのだと思う。

神様がいたら、自分の願い事はなんでも叶えられるはず、と考えているとしたら、がっかりする場合が多いだろう。

同じ渡航移植支援の中で、大事な家族を失いながらも、「ここで受けとった親切への感謝の気持ちは言葉では現せない。」と、涙を流して語ってくださった家族が何組もあった。
その涙をみたとき、私は、「貴方を決して一人にしない。」と約束してくれた、イマニュエル(主は我と共に)と呼ばれる神がいると確信した。

今、嵐を消し去ってくれる神ではなく、嵐の中を一緒に歩いてくださる神様。

そして、最後の最後には嵐を消し去り、永遠の幸せを可能にしてくださる神様。

イマニュエルと呼ばれる神に気がついたときから、私も渡航移植家族と同じように、いくつもの嵐が襲ってきても、「こんなにもたくさんの恵みと勇気、励ましを与えてくださって!」と、感謝の気持ちに立ち返ることができるようになった。

人生の嵐は、試練は、夫婦の絆、家族の絆を強め、そして神との絆を強めるためにあるのだろう。
だから、結婚のとき、「富めるときも、貧しいときも、健康なときも、病む時も、死が二人を分つまで愛します。」と、誓うのだと思う。

どれだけ謙虚になり、どれだけ神を愛し、誠実でありえるか、そんなテストが、人生の試練であり、神と仲違いする代わりに、神とより団結することが、勝利のカギであり、またかけがえのない報酬なのだと思う。

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