神を待つ

待つのは辛い。

遠くにいる愛しい人に会うのを待つのも、テストの結果を待つのも、或は、レストランで食事が運ばれてくるのを待つのだって。

名犬ハチ公は、帰ってこない主人を何日も駅に迎えに行って待ったとか。可哀想に、きっと辛かっただろうな。

試練に出会っているとき、苦しみが終わるのを待つのは辛い。

でも、聖書は「神を辛抱強く(patiently)待て。」と言う。

patient という言葉は、聖書によれば、「長い苦しみ(long-suffering)」という意味でもあるそうだ。

“Love is patient”と、聖書は愛を、「長い苦しみに耐えること」と、定義している。神は私たちのためにとても辛抱強いから、私も愛する人のために、神のために、待つことを忍ばなければならない。

ESL聖書クラスで, 待っているのが辛いとき、どうするべきかと話合った。

私の答えは、第一に祈り、神の言葉、聖書に耳を傾ける。第二に、過去に神が何度も誠実に助けてくださったことを思い出し、だから必ず答えてくださると自分に言い聞かせる。第三に、同じ神を信じる者同士で励まし合う。

そして、もう一つ学んだことは、誰かのために働くこと。誰かを助けること。へこんでいる人を励ましたり、ただ、しばらく会っていない人に「元気?」と声をかけるだけだっていい。

自分が辛いときは、まず自分が元気にならなきゃと思うのが普通だけど、ジョージによれば、辛い時こそ自分から目を離し、人のために何かすべきだと言う。辛い時というのは、自分のことばかり考えて、内へ内へと沈んでいくから。

CT検査が来週の水曜日と決まって、癌が進行していたら、という不安が私を誘惑する。でも、神様はさっそく助けを送ってくださった。

数人のお年寄りに電話をして、会う約束をした。

私の命は神の手の中。神様に委ねて、私は神様のお手伝いに徹する。

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