ホスピスのYoutube ビデオを見た

人のお世話をするという意味のHospitalityと同じ語源をもつホスピス(Hospice)は、中世時代、病や怪我をした旅人が休む場所として生まれたのが始まりだそうだ。

それが、この世から次の世へと旅する人たちが泊まる場所、病を治す代わりに、痛みを緩和し、この世を去るためのお世話をする機関という意味に変わってきたと言う。

アメリカでは、医師、看護婦、ソーシャルワーカー、チャプリン(宗教的指導者)、ボランティア等がチームとなって、患者を別の場所に隔離する代わり、彼らの自宅を訪問、家族と一緒に看護するのが一般的だそうだ。

ビデオのタイトルは “Letting Go ”。

うまい日本語が思いつかないけれど、失うまいと執着しているものを離すという意味。

ビデオの中に、余命宣告された中年女性が、(ホスピスチームの一員ではない)神父と会話をしているシーンがでてくる。

神父は「神に不可能はない。自分も大腸癌だったけれど信仰によって救われた。あなたもきっと救われる。」と話し、彼女も、彼女の家族も、「神を信じます!一生懸命祈ったら、神は私をきっと治してくださる!」と信じて止まない。

でも、次のシーンで、ホスピスの一員が、「彼女の信仰は非常に強く、それが彼女の支えになっている。でも、その分、癌が治ると盲信し、今しなければならない“仕事”から逃避している。人生を振り返り評価することーーうれしかったことは何か、後悔することがあるなら、それを相手に伝えること、感謝や謝罪の言葉を残すこと、子供や孫へのアドバイス、遺言等、しなければならないことへの時間が失われている。」と、懸念して語っていた。

癌が進行して、やせ衰えても、家族は、まるで幻でも見ているかのように、「元気になってきたんじゃない?」と彼女を励まし、癌が大きくなっていると医師から言われると、「祈りが足らないのだと思う。もっと祈らなければ。」と、本人は答え、聖書を何度も朗読するのだった。

そして、死がいよいよ目前に迫ってきたとき、「絶対死んだらダメだ!僕が死ぬことを認めたら、母をがっかりさせることになる」と言う息子に、「お母さんは死を受け入れた。お母さんを離して行かせることが、お母さんをがっかりさせることになるのだろうか?」「癌が治らなければ祈ることはないということなのか?」とチャプリンが問う。

死と出会うとき、人は最初、「ウソだ!」と否定し、それは「なぜこんなことが!」という怒りに代わり、それから、もっと良い行いをしたら、もっと祈ったら、奇跡が起きるかもしれないというような、交渉の時期を通り、そして最後に、受容へとたどりつくのだと言う。

ビデオを見ながら、ホスピスが、ただ、体の痛みをやわらげるだけでなく、患者、家族が、後悔や無念を乗り越え、心に少しでも平安を見つけられるようにと、心の痛みをもやわらげることを目標にしていることがよくわかった。

そして、間違った希望を与える神父の言葉に、聖職者の役割の難しさをも思った。

神には確かに不可能なことはない。

でも、神様の計画は必ずしも私たちが望むことと同じではなく、自分の祈りは必ず受け入れられると思うことは、傲慢な思い込みなのだと思う。

イエスは待ち受けている十字架刑に怯え、この運命から逃れたいと血の汗を流して祈ったと聖書にある。

でも、祈りの最後、「これが貴方の御心であるなら、私は敢えて受け入れます。」と付け加えた。

私たちの祈りも同じでなければならないのだと思う。

そして、そうできるのは、死の向こうにも希望があるから。

この世の苦しみは一時のことで、その後に待っている喜びは永遠に続くから!

神様はいつだって素晴らしい!

sunset

友達が映した教会付近から見た夕焼け。神様の創造力、偉大さを思う。

 

夕焼け

 

2 thoughts on “ホスピスのYoutube ビデオを見た

  1. 緑さん
    コメントありがとうございました。
    癌と診断された当初、自分の願いと神様の計画とが異なっていたらと思ったら、「貴方の御心が叶いますように」と祈ることは、怖くてできませんでした。でも、友が「それなら、『怖いです。貴方の御心に従えるよう、力をください。』と祈れ」と助言してくれました。今日までこれたのは、そんな祈りが聞き入れられ、確かに神が、私に一日、一日を生きる力を与えてきてくださったからと思っています。情けないこんな私をも愛して下さる神を知り得たことは私の一生で最高の出来事でした。

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