Choice

Choice=選択という言葉をこちらでよく聞く。

“It is your choice to be content or not.
「満足するかどうかは貴方の選択しだい。」

みたいな表現は私たちに自由意志があることを尊重しての表現だと思っている。

自由意志は、神様が人を愛しているからこそくださった大切なギフト。

どれを選ぶかで当然結果は異なってくる。

けれど、神様は導きこそくだされ、嫌という者を無理やりひっぱっていくようなことはなさらない。

全ては自己責任。

試練に出会うとき、私にはいつもchoiceがある。

なぜこんなことになっちゃったんだろう?と解決にならない「なぜ?」を繰り返す。

過去を振り返って、あの時はよかった。あの時、ああしておけば、こうしておけば、と過去を恋しがり後悔に暮れる。

もうダメだ、もうやり直せない、と諦めてしまう。

これも、xxのせい!と責任を他に転嫁する。

他の人たちが自分より幸せに見えて、嫉妬したり、自己憐憫にひたる。

明日は?来月は?来年は?と、不確実な心配をいくつも積み重ねていく。

神様なんていない!と、信仰を捨てる。

それか、
「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。」(詩編42)

と書き残したダビデ王のように、余命数週間を懸命に生きるローレーンのように、窮地にあっても神を信じ、神の導きに従うことを選ぶ。

どれを選ぶかは私のchoice.

事態がどんなに変化しても、私のchoice次第で希望や勇気を見出すことはできる。

そう教えてくれる聖書は、灯台の灯りのように静かに私を導いてくれている。

それを見失わないようにしなければ!

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