October 24th, 2014

死に会ってしがみつくところ

癌闘病同士をまた一人失った。
彼はわずか32歳だった。
非常に希な癌で、3年間必死に闘ったのに、”予後が大変悪い”という予測を翻すことができなかった。
同じ年齢の息子を持つ私には、苦戦を続けた彼の気持ちもさることながら、大事な一人息子の負け戦を見つめ続けた母の気持ちが痛いほど伝わってきた。

時代が変わり、文化が変わり、習慣が変わっても、人の苦しみ、悲しみは変わらない。
何百年、何千年も前に書かれた聖書には、そんな人間の性が様々な人物を通して幾話も語られている。
神の子でありながら人の子として生まれてきたイエスも、死の恐怖、孤独感、屈辱、絶望感、激痛、死と、私たちが経験する全ての苦痛を経験された。
十字架の傍には、息子の極刑を、一部始終、無力のまま見つめる母マリアがいた。
死に瀕している側であれ、それを見つめる側であれ、私たちはイエスやマリアに共鳴できる。
そして、話はそこで終わらない。
3日後に、イエスは蘇り、死を打ち破った。

人類の歴史の始め、アダムとイブが神を裏切り、その代償として死がこの世に入り込んだ時、いづれイブの子孫から生まれる者によって、人類はこの罪の呪いから解かれると予言した神の言葉が成就した。

イエスを信じる者にとって、死は終わりではない。

“御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持てるように“と、神ご自身がその一人子をわたしたちのために犠牲にされたから。
そこまで私たちのことを愛してくださっている神様がいらっしゃるから!(ヨハネ3:16)

今は試練の中にいても、この苦悩は長くは続かない。でも、その後に来る喜びは永遠に続くから!(第2コリント4:18)

“主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる”(詩編34:16)

聖書の言葉なしで、いったいどこに希望や力を求められるのだろう。
私には、ここしかしがみつくところはないと思える。

同じ信仰を持つ一人子を亡くした彼女が、これからも聖書に頼って力を得てくれることを信じ、そう祈る。