心乱れて、祈ること

むち打ち刑と死刑を宣告されたクリスチャン妊婦

ナイジェリアで187人ものクリスチャン女学生が、過激イスラム教徒に誘拐されたと聞いたと思ったら、今度は、アフリカのスーダンで、27歳の妊婦が、クリスチャンと結婚し、イスラム教徒になることを拒んだからと、100回のむち打ち刑と、絞首刑を言い渡された、というニュースを聞いた。続けざまに届くクリスチャン迫害のニュースに心が乱れた。

ニュースによると、この女性はイスラム教徒の父と、クリスチャンの母の間に生まれた。父は彼女が6歳のときに姿を消し、以来、クリスチャンの母に育てられた。

シャリア(Sharia)と呼ばれるイスラムの法律の下では、イスラム教を捨てることは死刑に相当する犯罪で、クリスチャンと結婚することは姦通と認められ、むち打ち刑に当たるのだそうだ。

3日間の悔い改め猶予を与えられたが、彼女は、「自分はイスラム教徒であったことは一度もなく、生まれたときからクリスチャンで、これからもクリスチャンであり通す。」と拒否した。

聖書には、イエスを筆頭に、信仰を理由に迫害され、殺される人たちが、イエスの前にも後にも、何人も登場する。でも、それは過去の歴史の中のことと信じたがっていた自分がいた。

100回もむち打たれたら、それだけで死んでしまう!そんな惨いことがスーダンに生まれたというだけで、なぜ無実の女性の上に起きなければならないんだろう。

神様は何をしてるの?! どこにいるの?!

と、信仰が揺らぐ。

でも、何度も問い返しているうち、むしろ、このスーダンの女性がここまで強くいられるのは、聖書の中の人物と同じように、彼女が神と共にいるからに違いないと思えてきた。

私にはとてもじゃないけど想像することさえ恐ろしい。ガンの恐怖は、彼女が直面している恐怖に比べたら、幼稚園レベルにさえ思えてくる。

こんな弱い信仰で、どうするんだろう。

レースを完走した癌友

ここまで書いて、悲しい知らせが届いた。

余命半年の宣告から1年半を壮絶に闘ってきたトリネガの癌友が亡くなった。死を覚悟した最後となったメールで、彼女は「これから待ち受けている運命に出会う強さと勇気を祈って欲しい。」と伝えてきていた。

死を直視しながらも、家族のためにアメリカ中、世界中に生きる道を模索し、いくつもの手術と、過酷な抗がん剤治療に耐え、仕事も続けた彼女の勇気と闘志には、全く目を見張るものがあった。

肉体の死が誰にとっても避けられないものである以上、持てる力を全て出し切って闘った彼女は、敗北したのではなく、人生のレースを勇敢に完走したのだと私には映る。そして、今は天の父と、イエスと、それから彼女の先にいった肉親の父とも一緒になって、歓喜に満ちている姿を想像する。

「がんばったね!ゴールインおめでとう!」そう天を仰いでエールを送りたい。

 

「恐れるな、貴方は私のもの。貴方が深い川を渡るときも、私は貴方と共にいる。抑圧という火の中を歩くときも、貴方は焼かれない。私が貴方の神だから。貴方は私の目に尊い。私は貴方を愛している。」(イザヤ書43:1−4)

 

神の約束を信じて、もっと力と勇気を得て、私も癌友のようにレースを完走したい。

スーダンの女性を始め、虐待や死の恐怖に瀕している多くのクリスチャンたちが救われるように、耐える力が続けて彼らに与えられるように、癌友の残された家族が、たくさんの愛に包まれて、この悲しみから癒されることを、心から祈る。

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