April, 2014

待つのは辛いよ。

CTスキャンを取ったのは先週の月曜日3/31のこと。技師は結果がでるまで5−7日と言ったのに、今日(9日)になってもまだ届かない。

先週金曜日に催促のメールを出したら、看護婦から電話があって、「まだです。速くして欲しいと催促しておきますが、7−10日ぐらいかかります。」と言われてしまった。こんなに待つの始めて。

スキャンを取るときは、金具のついているブラは外さなければならない。受付で、そしてCTの技師からも、2度も確認されて、その都度、家を出る前にブラを外して、金具のないキャミソールに着替えたのだから大丈夫と、自信に溢れて「ハイ」と答えた。

ところが、夜寝る前、服を脱いだら、なんと、キャミソールの下にブラがあった!着替えたつもりだったのに、ウソー!信じられない!何考えてたんだろう?!

とっさにブラを握って、ワイヤーが入っていないか確かめる。ペコペコ曲がるからこれはワイヤーではないだろう。でも、後ろのフックは。。。金具だよ!それも6つもあるー!

検査の結果が遅れているのは、私が間違えちゃったから、解読できなくて遅れているんだろうか?

オバマケアで医師の数が減り、患者が増大したからよけい時間がかかっているんだろうか?

それとも、何か怪しい所見がみつかったから?

月曜日までは平安にあせらず過ごしたけれど、7日と言われた月曜日を過ぎたら、落ち着かなくなった。

CT検査の前には血液検査をして腎臓機能を確かめるのだけど、実は手違いがあって、CTに先立ち2日前にしたはずの血液検査はビタミンDの値を調べただけで、肝心の腎機能の値は含まれていなかった。受付で再度出直しと言われたのを、「日本に行くんだからなんとしても今日検査を終えたい」と粘ってよかった。こんなに時間がかかるんじゃ、検査をずらしていたら、結果は日本で、ということになっただろう。良い結果ならよいけれど、悪い結果を日本で聞くなんて、絶対避けたいからね。あー、明日は届くだろうか?待つのって本当に嫌!

すっきりしなかったCT結果

「全体的には良い結果でしたが、小さい変化がいろいろ見つかりました。」

CT検査から11日たった今日、定期検診で会った医師から結果について報告を受けた。

まず、2012年に転移がみつかった同じ胸部縦隔リンパ腺に8mm大のやや前回より目立つリンパが2つ見つかった。リンパ節は1cm以下が普通サイズなので、医師はこのまま観察を続けましょうとおっしゃった。

それから肝臓に5mmの病変。これも5mmと大変小さいので、今の時点では何とも言えず、腫瘍科医は専門医に相談するとことになった。

さらに食道と胃の付近に静脈瘤らしきものも見つかった。こちらも消化器系の専門医と相談。

というわけで、医師は”good =良い”と言ったけれど、私にとってはなんだかすっきりしない結果に思えた。でも、今すぐどうこうしなきゃならない問題ではなさそうだし、頭のコブはすっかりひいたし、これからは来週からの日本行きを楽しむことに集中しようと思う。

忘れ物しないように、さあ荷造り開始!

 

母と過ごした聖金曜日

今日の金曜はイエスが十字架にかけられた日。

日本に来ている私は、3年前洗礼を受けた86歳になる母と、母が通うカトリック浜松教会に出かけて、この特別ミサに参加した。

聖書によると、金曜日前日の晩、弟子ユダの裏切りによりローマ兵に捕らえられたイエスは、そのまま最高司祭のところに連れていかれ、そこで神の子と名乗る恐れ多き神への冒とく者として死刑の判決、そして殴る蹴るの虐待を受ける。

当時のイスラエルはローマの支配下にあったため、翌日金曜日の朝にイエスはローマ総督ピラトの家に連れていかれ、罪状を受け入れたピラトの命令により、鞭打たれ、それからすぐ刑場であるゴルゴタまで十字架を背負わされて連れていかれた。

十字架刑はローマの刑法で、極刑であったらしい。刑の執行が急がれたのは、土曜日がユダヤ人にとって休息日で、働いてはならないことになっていたからだろう。

ローマ兵たちはイエスから服を剥ぎ取ると、「イスラエルの王様!」とからかいながらイバラの冠を頭にかぶせ、つばをはきつけ、頭を殴った。

刑場に集まった群衆は、「神の子なら十字架から降りてみろ!」とやじった。

刑は6時間にも及び、旧約聖書イザヤ書によれば、十字架上のイエスは、血だらけで、ほとんど人の様相を留めなかったとある。

正午頃から空は暗くなり、午後3時頃、ついにイエスが息絶えると、大地は大きく揺れ、祭司しか入ることができなかった神殿のカーテンが上から下まで真っ二つに裂けた。

神と人とを隔てていた原罪(神から離れ、自分の思いのままに生きる罪)が、イエスの断末魔の苦しみと死を持って取り除かれた瞬間だった。

どんなに善行を重ねても報いることのできない人の罪は、神が授けられたひとり子の犠牲によって許された。

そして十字架刑から数えて3日目の日曜日、イエスは復活する。原罪の代価である死が打ち破られ、イエスを信じる者に勝利があたえられる日となる。

拒絶、屈辱、虐待、そして死を受けた救い主のことを、弟子のヨハネはヨハネ福音書の中で、

「彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」と語っている。

イスラエルで訪れた、イエスが捕らえられる前に恐怖に襲われて祈ったゲッセマネの園、十字架を担いで歩かされたドロロッサの通り、十字架にかけられたゴルゴタ、そして埋葬された墓が、ミサの間、スライドショーのように頭に蘇った。
神の愛を知り得たこと、母もまたイエスを信じる者となって、ともにこの復活祭を祝えることが、またもう一つの奇跡のように思え、心から感謝した。

神様はいつだって素晴らしい!
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(上の写真はプロテスタント版のガイコツの顔に似たゴルゴタとそのすぐそばにあるイエスが葬られたとされる墓。中央の穴が入り口)

 

 

 

 

楽しくて癌のこと忘れてる

日本での時間は、家族や懐かしい友と会って、楽しい日々の連続。

ロスの家には病院からいくつも電話がはいっているらしい。向こうに戻ったらすぐ点滴で、その後は色々な検査が待っている。

でも、日本にいる私はガンのことなどすっかり忘れて、食も会話もカラオケさえもして満開の桜のよう!幸せ気分一杯!

昨年は、小学校時代の友達と約半世紀ぶりの再会を果たしたけれど、昨日は大学時代の友と卒業以来の再会をした。幼稚園から大学まで出会った友の中で、欠けていた最後のピースである大学スケート部の友と再会できて感激だった。一緒に寝起きして、猛練習に耐えた友との会話は尽きることがなく、別れが惜しまれた。

東京からその後は横浜に行って、夫の下で結婚式をあげたカップルと再会。帰宅したのは夜の11時を回っていた。

私には誇るキャリアも財もないけれど、そして癌闘病はまだまだ続くのだろうけれど、こうして再会を喜んでくれる大勢の友が全国にいて、心から愛してくれる家族が日本にもアメリカにもいて、これがきっと幸せの味、天国の味なんだろうなと思う。こんなにも素晴らしい様々な人たちを私の人生に送ってくださった神様は、本当にいつだって素晴らしい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一粒の麦

10年前、ロスで肝臓移植をされたIさんご夫妻と数年ぶりにお会いした。肝移植後、もともと弱かった腎臓が免疫抑制剤の副作用でさらに弱くなり、2年前には奥様がドナーとなって、腎移植もされたと伺っていたけれど、お会いすると肌は輝いて、なんだかとても若返ったように見受けられた。

体調はすこぶる良く、やりたいことが一杯あって、今まで以上に忙しくされているとおっしゃる。

「やりたいことって、例えば何ですか?」と伺うと、「老人介護です。」と答えられた。

30余年の闘病中、ドナー家族も含めた、お世話になった大勢の方々への恩返しの気持ちを込めて、すでに14人入居できる施設を3つも作られたそうだ。これらの施設は皆低所得者のためのもの。

Iさんは、若いころ起きた交通事故で輸血を受け、その結果、肝炎になった。肝炎は肝臓がんへと変化し、手術を求めた名医からは、もう手遅れとサジを投げられた。にもかかわらず、自分でみつけた別の医師を、住まいのある盛岡から四国まで訪ねて、そこから不死鳥のように蘇った。

Iさんが作った施設では、ご老人が最期を迎えるときも病院に移さないで、家族と共に看取ることを心がけているという。若い人たちに、自分がアメリカで体験した、互いに寄り添うことを知ってほしいからとおっしゃる。

「大人の学校」と名付けられた施設にはIさんが作詞された「校歌や(ブレザーの)制服もあるのです。」と、照れくさそうに笑って見せてくださったビデオには算数や習字のお稽古、料理や体操の時間に取り組む楽しそうなご老人の姿が映されていた。

「すごい!」と感心する私に、これらは分校で、これから本校を作りますと、冗談まじりで答えられた。

「一粒の麦」という、渡航移植支援から癌闘病者支援へと移行した私達の非営利団体にGeorgeがつけてくれた名前は、「地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死 ねば、多くの実を結ぶ」というヨハネの聖句から引用したものだけれど、Iさんの上に落ちたドナー(臓器提供者)という麦は、Iさんを通して多くの実を結んだと思った。

そして、身の回りのお世話をさせていただいた私も、そんな実りを見ることができて本当にうれしく思った。

試練も涙も、美しいものに変えられる神様。そんな神様は、やっぱりいつだって本当に素晴らしい!