February, 2014

癒しの薬、プール、そして祈り

オリンピックをみながら考えること

「オリンピックはサーカスみたいだな。」と、ジョージが言う。

確かに。

空を弾丸のように飛ぶ、スノボーや、どうしてあそこまで体が曲がるのと思えるようにしなやかなフィギュアスケートを見て、超人間業に、ただただ、ため息をついている。

遠い昔、札幌オリンピックでメダルをとったアメリカの金髪でおかっぱ頭だったリン選手に魅されて、大学に行ったらフィギュアスケートするんだと決め、そして願い通り、スケート部に入部した。全然うまくならなかったけれど、オーダーメイドの白いスケート靴はまだ今も持っている。

優雅に氷の上を舞う選手たちを見ていると、すぐにでも氷の上に立って、真似してみたいという衝撃が湧いてくる。でも、そう思いつつ、観戦している私は、膝曲げさえ、手すりに捕まってなければまともにできない固まってしまった足を曲げたり延ばしたりしているありさま。

オリンピックの選手があそこまで体が柔軟で、力強いのは、トレーニングだけじゃなくて、何か薬とかも取っているのかもしれない。もし、そんな薬があるなら、私も試してみたい!

ネットで検索してみようか。。。

 

病人を癒す奇跡のプール:ベテスダ

イエスがいた時代のイスラエルには、身体障害者が入ると体が癒されるというプールがあったという。ベテスダ(Bethesda) と呼ばれるこの奇跡を起こしたプール跡は1950年代に発掘され、今度のツアーでも訪れることになっている。

イエスはここで、プールに入りたいと願いつつ、何年もそこに寝たきりでいた障害者に、「本当に治りたいのか?」と尋ね、「はい」という答えを聞くと、「立って、歩きなさい。」と命じ、彼を癒した。(ヨハネ5:6−9)

ベテスダに行って、この奇跡を思い出し、祈ったら、癌は完治し、この硬くなった体も、もとにもどるかも!

あれこれ想像しながら、イスラエル行きを楽しみに待っている。

Bethesda

ベテスダの遺跡

愛は負けない

バレンタインデーの昨日、ジョージから美しい花束とチョコレートを受け取り、私はまたハート型のクッキーを焼いた。

Flowers

今年は私たち夫婦にとって結婚20周年。

子連れの国際再婚は紆余曲折、結婚や親子関係の危機は何度もあった。それがここまでこれたのは、一重にジョージの努力と神様のかけがえのない恵みがあったから。

一人前に成長した二人の息子たちのことを、ジョージと再婚せず、日本で育てていたらどうなっていただろうと、ときどき考えることがある。特に注意欠陥疾患多動症でありながらウェッブデザイナーとなった次男のことを思うと、ジョージを父とし、アメリカで就職の場を与えられたことが彼の成功に多いに貢献したと思わずにいられない。

癌闘病のこの4年間、私もジョージにどれほど支えられてきたことだろう。彼がパーキンソン病になったのは、癌闘病が与えたストレスが原因だったかもしれないのに、いつも私を守ろうとし、神様の方角を指差し、私を、子供たちを導いてきてくれた。

神様は、出来の悪い私を知って、並ではダメと、超強力な夫をくださったに違いない。

貴方とどこまでも!

旧約聖書の中に、異邦人でありながらイスラエル人の姑についてイスラエルの民となり、イエスの家系に名前を連ねることになるルツという女性の話、「ルツ記」がある。

そのルツ記の中で、外地に出向いて未亡人となり、二人の息子も亡くし、故郷のイスラエルに帰ることを決めた姑ナオミが嫁のルツに、「あなたも自分の家にもどりなさい。」と親子関係解消を勧める。するとルツは涙を流して、

「あなたから離れて、家に帰れ等と言わないで下さい。あなたがどこへ行かれようとも、私はあなたについて行きます。あなたがどこに住まわれようとも、そこに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」と、姑ナオミとどこまでも運命を共にすることを申し出る。

「あなたの行くところ、どこへも私はついて行く。。。」

このルツの言葉を、バレンタインデーのカードに書き添えた。

イスラエルに行ったら、カナの教会で結婚の誓いを新たにする予定の私たち。

癌闘病を通して、神様は私たちの愛を強くされた。愛は決して癌にもパーキンソンにも負けない!

 

イスラエルの旅:1)最初の関門ー出国と入国

緊張する治安状況

日曜日、エジプトからイスラエルに向かう韓国クリスチャンを乗せたツアーバスが国境付近でテロに爆撃されたとニュースで聞いた。

イスラエルはシリア、ジョーダン、イラク、エジプト、サウジアラビア等のイスラム圏の国に囲まれており、敵対視されている。クリスチャンも、敵と見られている。

国境を挟んで北側にあるシリアは内戦が続いて治安がかなり悪化しているらしい。

こんな状況だから、入国審査は厳重で長蛇の列が予想される。

「癌患者ということで車椅子に乗せてもらったらそんな長い列もすぐパスできるわよ。」と誰かが言ったけど、これは、まんざら悪いアイディアじゃないかもしれない。

今一の体調

大寒波に襲われているという日本とは比にならないけれど、連日20℃を越えているロスに比べたら、やっぱりイスラエルは寒いようだ。特に朝晩は10℃以下になるみたい。

咳が抜けなくて、体調は今一のまま。

熱等でなければよいのだけれど。。。

無事出発できるか?

ロスからイスラエルまでは直行便で約13時間。時差は向こうが10時間早いのだそうだ。日本は17時間先だから、日本との時差は7時間ということになる。

家を朝9時半に出て、飛行機が飛び立つのは午後1時半。テルアビブ到着は向こう時間で19日の2時の予定。

去年の日本帰省では空港でチケットの確認ができなかったり、セキュリティーチェックでひっかかって、大変な目にあった。今回のツアーは皆アメリカのパスポートなのに、私だけ日本のパスポート。おまけにパスポート上の名前は旧姓石川のままだから、また航空券の確認ができないとか言われて、私だけ置いてきぼりなんてことにならなきゃいいのだけれど。

不安材料いろいろあって、心配。無事現地に到着してブログの更新ができますように!

イスラエルの旅:2) 3千年前の港町

無事出国、入国できて、聖書の舞台であるイスラエルについに到着した。降り立ったテルアビブの空港は大きくて、きれいで、入国審査も簡単なら、税関はなんと無人で、戦争のイメージは全くなし。ロスの空港の方がはるかに警備が厳重だった。
天気は快晴。日差しが強くて、夏そのもの!これが地中海性気候と呼ばれるものなんだろうか?

ヨッファ(Jaffa)

テルアビブから地中海にそって北に30分ほど走る。小さな商店が混み合って、狭い2車線だけの道路には中型車があふれ、ちょっと昭和30-40年ぐらいの日本をみているようだった。
すると、突然、石畳みの細い道と、肌色の石壁に、アーチ型の窓がついた、いかにも古い街並みが目に入ってきた。

到着したのは、旧約聖書ヨナ記に出てくるイスラエルで最も古い港町ヨッファだった。

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地中海に面したヨッファの港。向こう岸にみえるのはテルアブブ

ヨナ記は紀元前1000年頃の話だそうだ。ということは、この町は少なくとも3千年の歴史を持っている事になる。

ガイドの説明によれば、ソロモンがエルサレムに神殿を建てた時、材木を輸入したのもこの港町だったという。

新訳聖書使徒行伝( イエスがこの世を去った後、弟子たちの伝道を伝える書。西暦40年頃の話)には、この町で、イエスの弟子だったペテロが、聖霊の力によって病人を癒す奇跡をおこし、皮職人サイモンの家に泊まったとある。その時、イエスが十字架上で償った罪の報いは、ユダヤ人だけではなく、イエスを信じる全ての人のためだったと、神からの啓示を受け、この町から異邦人への伝道が始まったとあるけれど、そのサイモンの家もあった。

イエスの弟子ペテロが泊まった皮職人サイモンの家

ユダヤ人のガイドが、ユダヤ人にとって、動物の死体に近づくことはご法度で、今でも動物臭い事は離婚の言い訳になるという。それを考えると、2千年も前に、ユダヤ人であるペテロがそんな、やみ嫌われていた皮職人の家に泊まったというのは、常識を破る、驚くべきことと説明したけれど、そんな常識をこえる神の計画にペテロが従わなければ、イエスの救済は世界に広まらなかったし、私も救われる事はなかった。

石壁建物の前で、曲がりくねった石畳みの階段で、建物を繋ぐ小さなトンネルの前で、白いウエディングドレスを来た美しい花嫁と、タキシードを着た花婿が何組か写真を撮っていた。ここは、絶好の記念写真撮影スポットでもあるらしい。皆、雑誌のモデルのように絵になっていた。

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夏の陽気も、ヨッファを出る頃には、嘘のようになくなって、持参した冬のコートを羽織る。寒暖の差がロスよりも激しい。
飛行機の中では一睡もできなかったので、ホテルに着いた時は、眠気と疲れで、クタクタ。明日は6時おきで、日本のツアー並みの強行軍だけど、これからの9日間が楽しみ!

イスラエルの旅: 3) 涙が止まらない

何処へ行っても、強い感動がこみあげてきて、涙が止まらない。

「富めるときも、貧しいときも、健康な時も、病めるときも、死が二人を分かつまで愛し続けることを誓いますか?」

カナの教会で、今日まで支えてくれたジョージの目を見つめながら、20年前に聞いた同じ問いを、同じ声で (私たちの結婚式も義弟が司った。)聞き、結婚の誓いを立て直した時。
Renewal of vow

イエスが洗礼を受けたヨルダン川で洗礼を受け直した時。洗礼

イエスが12人の弟子をみつけ、訓練し、奇跡を起こし、創造主である天の父がどんなおかたなのか、天の父の御国がどんなところなのか、どうしたら永遠の命が得られるのかを伝えたガラリヤ湖周辺を歩いた時。Sea of Galelli
そして、そのガラリヤ湖に浮かぶ船の上で、神への賛美の歌をイエスが使っていた同じヘブライ語で歌ったときも、感激で涙がとまらなかった。
この小さな国に、神は、私たちを悲しみや苦しみ、そして永遠の死という、罪の代価から救うために、その独り子を送られた。

イエスが生きた町に、イエスが渡った湖に私は立っている!

波もない静かな湖が、私をここに招いてくださったイエス様の広げた優しい手のように感じられて、ただ泣いた。ここに来れて本当によかった。

イスラエルの旅: 4) 死海で肌がツルツル

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ホテルの部屋から見た死海

イスラエル南、ヨルダン川が流れいる死海は海面より400mも低い、地表で最も低位置にあるという。
死海という名前は塩分濃度が海水より10倍近くも高いため、生物が何も生存しないことからついたそうだ。でも、ミネラルが豊富にふくまれているため、この海水や砂から化粧品や石鹸が製造されている。関節炎や皮膚病、神経痛にも効果があるらしく、まるで日本の温泉のようだ。標高が海面より低いと、紫外線が届かず、日差しが強くても日焼けの心配もないとか。。そんなことあるんだ。

Dead Sea

塩で白くなった水際

旧約聖書に出てくる、神の怒りをかって滅ぼされたとされる悪名高きソドムとゴモラの町は、この死海南方にあったとされている。詩篇の作者で、古代イスラエルを統一し、ソロモンの父となるダビデが、まだイスラエル初代の王サウルに仕えていた時、彼に命を狙われて逃げ回ったのも、この死海周辺の洞穴だったなら、紀元前250年頃書かれたとされる旧約聖書のイザヤ書写本が発見されたのもこの死海のそば。

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死海付近の荒涼とした岩山。ダビデはこんなところを逃げ回っていたと言う。

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死海のそば、クムランの洞窟で見つかったイザヤ書の写本

朝の9時前だったのにとても暖かくて、ツアーの仲間と一緒に死海に入る。湿疹が出た時のかき傷があちこちにあって、塩水がしみるかと警戒したけど、念願通り、全身浸かって、浮いた〜!

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そして水から出たら…ワーイ!本当に肌がツルツルになった!

もっと入浴できたら、硬くなった体も、末梢神経症害も治るかもしれないのにと、心を後に残しながら、いよいよ最後の目的地、イエスが十字架刑にかけられ、復活し、そしてこの世の終末、再来すると予言される町、エルサレムに向かった。

イスラエルの旅:5)クライマックス

ダビデの町エルサレム

黒い帽子に黒いコートを着たのはユダヤ人。スカーフで頭を覆い、足まで隠す長いドレスを着たのはモスラムの女性たち、バックパックを背負った旅行者たちの大半は、多分クリスチャン。

ダビデがイスラエルを統一して以来、三千年の古い歴史を持つ、石壁で囲まれた旧エルサレムの町の中は、世界中の人で溢れていた。
ここは、ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教の聖地で、何度も奪い合いが繰り返され、幾重にもその爪跡が遺跡となって残っている。

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2000年前再建された壁は、エルサレムが略奪される度に埋められていった。右端が現在の町のレベルで、左端は2000年前の壁レベル

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なげきの壁は、イスラエル神殿時代のものが残存する唯一の場所で町の西側に位置する。   イスラエルの神殿は破壊されたものの、ここが神の霊に一番近いと信じる人たちが、壁に向かって聖書を朗読し、祈り、泣いていた。皆から預かった祈りの紙片をこの壁の隙間に残してきた。

刑場への道、ドロロッサ

ダビデの町を再建したヘロデ王が統治者だったときに生きたイエスは、彼が再建した神殿で何度も神の国について説き、神の子であると名乗り、悔い改めを求めた。そして、過ぎ越しの祭りで賑わうこの町に、救世主と大歓迎をうけて迎えられた数日後の金曜日、反感を買った宗教家たちの陰謀により、神を名乗る冒涜者として十字架刑にかけられた。

死刑を宣告されたイエスが、刑場であるゴルゴタの丘まで、重たい十字架を背負って歩かされたとされるドロロッサの通りを歩いた。

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左右に荷物をぶら下げたロバが通れる幅が標準だったという狭い通りは、今は観光客目当ての小さな商店が隙間なく立ち並び、店主はお客の呼び込みに忙しい。

スリに注意しろと言われ、バックパックを子供を抱くように、前向きにしょう。
広場にでると、銃をかかえた若い兵士たちが隅々に立っていて、そのうち、スピーカーからモスラムの祈りの時間を知らせる長いサイレンのような読経が耳をつんざくように聞こえてきた。

ゴルゴタの丘や、イエスが葬られ、三日後に復活されたとされる墓地の跡には荘厳な教会が建てられていて、カトリック、ギリシャ正教会等、複数の教会が共有している。ここでも所有権を巡って争いがあったらしい。

イエスが、極刑という形で私たちの罪を清算し、復活という形で死を打ち破ってくださった最も神聖な場所のはずなのに、彼が、「ここは私の父の家だ!金儲けの場所ではない!」と怒って、神殿の周りにあった市場を蹴散らした二千年前と同じように、今もここは欲と権力の争いが渦巻いていると思えた。

オリーブ山

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バスからみた神殿東側にあるオリーブ山。 中央にあるのがゲッセマネに建てられたBasilica of the Agony の教会。

 

 

イエスが入都したとされる東門の外には、イエスの祈りの場所だったオリーブ山がある。

文字通り、オリーブの木がいくつもあって、この山の中にゲッセマネがあり、今は教会が建てられていた。

Gethsemane Olive Tree

樹齢1000年というオリーブの木があるゲッセマネ

ゲッセマネは、イエスがユダに裏切られ、ローマ兵に捕らえられる前、全ての運命をご承知で、三度、血の汗を流すほどに、命乞いの祈りを捧げたところ。

「イエスは彼ら(弟子)にいわれた。『私の魂は悲しみで今にも張り裂けそうだ。ここに居て見張っていなさい。』イエスは少し先に行くと、頭を地に伏せて祈り始めた。

『天の父よ。できることなら、どうか私からこの苦しみのカップを取り除いてください。でも、私の 願い通りにではなく、貴方の御心が叶いますように』」(マタイ26:37-39)

忠告を受けたのに、弟子たちはイエスの心情など何も理解せず、のんきに居眠りをした。

そして、イエスを捕らえるローマ兵がやってくると、蜂の子を散らすように皆逃げて行った。

それも全てご存知で、恐怖と孤独と、悲しみと、想像を絶する苦痛を味われたイエス。

教会の中に入って、
「イエス様、私たちを救うために苦しみを受けてくださって。。」と祈り始めたら、崩れた。

Gethsemane Church

教会内十字架の前にあった、岩に手をあてて祈る人たち。この岩の上でイエスも祈ったとされる。

怒涛のような感情が喉の奥から突き上げてきて、肩が震え、涙が滝のように溢れて落ちた。
深淵のように止まることのない愛。そこまで愛してくださる神様を、私は他に知らない。
「貴方が死を持って示してくださった愛が、私の大切な家族に、友に、一人でも多くの人に伝わりますように!貴方がくださった永遠の命を皆が受け取リますように! 」そう祈りを捧げた。

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イエスは戻ってくる

ソロモンが建て、ヘロデが再建した神の家である神殿跡に、今はイスラム教徒の黄金のモスクが建っている。
屈辱と私利私欲に汚れたこの聖地に、この世の終わり、イエスは、最後の審判をくだすため、再来すると聖書は予言している。

「見よ。主の日が来る。。。『私は全ての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。』
そして主が出てこられる。決戦の日に闘うように、それらの国々と闘われる。
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリープ山の上に立つ。。。。主は地のすべての王となられる。その日には、主はこの世のただ一人の主となられる。ーーー彼の名前だけが褒め讃えられる。」(ゼカリヤ書14:1−9)

正義は最後に勝つ。万歳!

東門

「メシヤ(救い主)はオリーブ山に再来し、ここを通って神殿に入る」という予言を恐れるイスラム教徒が塞いだ東門。ここでは今も聖書の朗読や祈りが禁じられている。