”あなたも離れていくのですか?”

聖書の中の、イエスの言葉(ヨハネ6:67)が胸に突き刺さった。

イエスは病気や障害のある人たちを癒し、悪霊を追い出し、死人を生き返らせ、飢えた人たちに食を施し、人気を集めた。イエスの行くところにはいつも大勢の群衆が集まって、奇跡を求めた。

でも、イエスが、「地上での奇跡は一時のこと、いずれは皆死んで行く。天の父の意志により地上にやってきた私を信じ、永遠の命を受けとりなさい。私は命のパンです。」と、説き始めると、「神の子だなどと、なんと大それたことを言うのだ!」「命のパン???欲しいのは本物のパン、奇跡!」と、群衆の熱はたちまち冷めていく。そして、興味を失いイエスから離れていった。

「あなたたちも離れていくのですか?」とは、残った12人の弟子にイエスが言った言葉だった。

 

人にはいつも願望がある。

癌が完治しますように。

傷害や病が治りますよう。

愛する人が死にませんように。

いつまでも健康で、事業が成功し、家族が幸せに過ごせますように。。。

 

奇跡を追い求め、願を掛けるのは人の性なのだろう。でも、一つ願いが叶っても、心配や不安は後を絶たず、死は必ずやってくる。

 

聖書は、死は人が神から離れ、自分勝手に生きることを選んだ罪の代価だと教える。その代価は、人が善行をどれほどおこなっても償いきれない。天地を創造された神が、その一人子イエスを犠牲にして、はじめて償われた莫大な代価だったと。

泡のように時とともに消え去る奇跡だけを求めるのか?それとも、命をくださった天の父との関係を修復し、永遠に生きられるよう、身も心もえぐられるような犠牲を払ってくださったイエスを信じることを選ぶのか?

イエスにのところに昼夜を問わず集まって、歓声をあげ、イエスを褒めたたえた何千という群衆が、波がひくように去って、わずか12人の弟子だけと取残されたイエスを想像する。その12人の弟子たちも、イエスがローマ軍に捕らえられる時には、いずれ裏切って誰一人、彼のそばに残ることがないことを知っていたイエスの心の内を想像する。

命の恩人の言葉、

「あなたも離れていくのですか?」は、死に衰えていったペパーが、私を見つめた大きな瞳と重なって、胸を締め付けた。

「いいえ、何ごとがあっても、たとえ癌が戻ってきても、災いが後をたたなくても、貴方にどこまでもついていきます!」イエスにそう答えずにいられなかった。

それから、末期を迎えている癌闘病家族のことが頭に浮かんだ。

祈ること以外、何ができるのかわからない。でも、それだけでも伝えよう。彼らから遠ざかることなく、涙を流している家族と共に時間を過ごそう。

私の答えを聞いたイエス様が、それなら。。と、私に仕事をお与えになったような気がした。

 

 

 

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