ハーセプチン&タイケルブ「もう半年続けなさい。」

今後の治療について、セカンドピニオンを求めて、UCLAに4度目の訪問をした。

ハーセプチンとタイケルブのコンボを始めたのは昨年4月。予想されていた副作用の下痢は克服したものの、ひどい湿疹が体中にあらわれて、タイケルブを何度も中止。量も5錠のところを2錠に減らし、少しずつ体を慣して、再び5錠にひきあげたのは昨年8月だった。それから数えて6ヶ月後の2月末で、いよいよこの抗がん剤療法も終了すべきかどうか、それが今日の訪問の焦点だった。

Dr.グラスピーは、まず12月のPETスキャンの結果を喜んでくださる。

「君の癌は初発で、転移はなかったけれど、かなり進行していたから、完治は無理かもしれないという思いがあった。それが少なくとも目にみえる腫瘍はなくなったのだから、僕も大変うれしいね。」

「でも、僕が君だったら、あと半年は続ける。」

「自分よりでかい奴と殴り合いをしたら、相手を倒しても、徹底的にノックアウトするまでは立ち去るべきではない。そうでないと、相手はすぐに立ち上がって仕返しをしてくるだろう。」

「癌がハーセプチンやタイケルブに耐性をつくってしまうということはないですか?」と質問すると、

「その可能性はあるかもしれないが、効果がでているものをここで止めてしまって、癌がぶり返してくる方がもっと心配だ。まだ君の体の中に癌は残っていると思うよ。」

これから登場してくると噂されている新薬についても質問してみる。

「ハーセプチンが効かなくなったら、同じハーセプチンを使った新薬TDM-1もダメということはないですか?」

「大丈夫。ハーセプチンとTDM−1は別もの。」

「主治医は長期の投薬で、心臓に与える影響を心配しているんですけど。。?」

「その可能性も確かにある。心臓の定期検査は続けなければならない。でも、心臓に悪影響がでるとすると、長期使用後というより投薬初期なんだ。」

「ハーセプチンが効かなくなるというのは、むしろ癌が脳に転移した場合に起きる。ハーセプチンは脳に入れないからね。でも、タイケルブは脳への転移にも効果があるんだから。君の場合は安心していいんだよ。」

「心臓が悪くなった、副作用がこたえる、というんなら治療もうちきらなければならない。医療費(ハーセプチンとタイケルブのお値段は保険なしでは月1万ドル以上)も継続するとなれば問題だろう。でもまだパンチできるなら、手をゆるめるな。パンチし続けろと言いたい。」

Dr.グラスピーの話を聞きながら、そうか、そうか。やっぱり私の癌はタダモノじゃなかったんだ。と、ヒヤッとすると同時にここまで乗り越えられてきたことが改めて奇跡のように思えた。

「去年6月に会ったときに、『半年後に、副作用をのりこえられ、癌が抑えられたら上出来。』と言ったのを覚えているだろう?その通りになったんだから、これ以上うれしい結果はないよ。」

Dr.グラスピーの言葉が「奇跡」という思いをさらに強めてくれる。

「ありがとうございました。」と、心からのお礼を言って、病院を出た。

Dr.グラスピーに何度貴重な分かれ道で救われたことだろう。私の主治医がいるカイザー病院では、なんと手厚く治療をしてもらってきたことだろう。退職した学校区では医療費の心配をしなくてすむ保険を与えてくれ、退職後も同じ保険を失わずにすんでいる。

今日の午前中、ジョージ率いるESL(英語を第二外国語とする人たちの)聖書クラスで、Grace(恵み)とは、返礼できないほどの、理由もないのに受けとるBlessing(神様からの祝福)と勉強したけれど、私はまさに、そのGraceを経験しているんだと、神様の愛がじわじわと骨の芯まで感じられてきた。

先のことは分からない。癌は戻ってくるかもわからない。副作用で体が参ってしまうかもわからない。でも、神様は「今」をくださっている。与えられたこの貴重なギフトを、精一杯神様に喜んでいただけるように使っていかなきゃ。スタートラインに立つ走者のように、希望とやる気が久しぶりに湧いてきた。

2 thoughts on “ハーセプチン&タイケルブ「もう半年続けなさい。」

  1. Kathy、たくさんの苦しみや痛み、不安と何度も闘って、それでも優しさや希望を失わないあなたのことを私はいつも深く尊敬しています。私から見ると、Kathyは十分、そのGraceを受ける資格があるような気がします。
    まだ闘いの途中だけど、それでも、Kathyが今無事でいてくれることは、私にとっても、とてもうれしいことなのです。きっと私もたくさんの恵みを受けているんだと思いました。
    日本から応援しています。

  2. Erikoさん
    応援ありがとうございます!Erikoさんのおっしゃる通り、皆誰でもたくさんの恵みを受けているはずです。神様から与えられていると気がつくまで、私たちはそれを「幸運」とか、「運が強い」とかで表現するのだと思います。でも、自分の運だとか、当然と思っていたものが、そうじゃなくて、恵みだと気がつくと、感謝が湧いてきます。感謝が湧いて来ると、試練の中にいても喜びが感じられます。本当は、あってあたりまえのものなんて何もないのだと思います。

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