2011年クリスマス

クリスマスイブ礼拝

教会堂の灯りが落とされ、夜の闇に包まれると、中央の大きなキャンドルの光だけが残った。その光から、フィナーレの「きよしこの夜」の歌とともに、会堂を埋め尽くす人たちの小さなキャンドルに一つ一つ、灯りが広がっていった。

遠い昔、家の隣にあった小さな教会で、同じように、「きよしこの夜」を歌いながら、手元のキャンドルがゆらゆらと揺れるのに魅惑された思い出が頭をよぎった。

あの頃、子供だった私はイエス様生誕の意味をまだ分かっていなかったけれど、“特別に美しく、心が暖められる日”を、毎年楽しみにしていた。

何十年ものブランクの後、私はまたクリスマスを教会でお祝いするようになった。

今は、クリスマスの本当の意味を理解し、イエス様生誕というプレゼントに感動すら覚える。

「きよしこの夜」を歌いながら、キャンドルの火の暖かい熱を感じながら、再び、神様と繋がることができたことを、今年もこうしてイエス様生誕を祝えることを、心から感謝した。

そしてクリスマスの朝

息子たちは、小さかった頃は、日の出と共に起き上がって、プレゼントを開けるのを待ちどうしがったものだったが、成長した今は、「Merry Christmas!」といいながら、プレゼントを手にいっぱいかかえてやってくる。

クリスマスツリーの下に集められたプレゼントを一つ一つ、代わる代わる開けるのだけど、何がでてくるだろう?わあ!うれしい!と喜ぶ息子たちの笑顔は、子供のときのそれと全く変わりなく、本当に見ている側もうれしくなる。

時計を受けとって喜ぶピンキー

プレゼントを開ける息子たち

そして、私も同じように、プレゼントを開けるときは、ワクワク顔が緩んでしまう。

今年も心のこもったギフトをいっぱい受けとって、愛する家族に感謝、感謝、感謝!

暗闇の中に光あれ

一方、癌と闘う人達の祈りのリクエストは、クリスマスと関係なく入ってくる。

癌かどうかを判明する検査結果を待つ間の不安、癌とわかったときのショックは、皆同じだと思う。でも、それがクリスマスやお正月の前だったら、楽しみを待つ喜びを台無しにされてしまう。

愛する人を亡くした人達にとっても、楽しい思い出があればあるほど、クリスマスやお正月を迎えるのは辛いことだろう。

だからこそ、たとえ一時であっても、クリスマスの喜びが、こんな沈んだ魂を持ち上げてくれるようにと願う。

来年はもうここにいないかもしれない。

この愛する家族と一緒のクリスマスもこれが最後かもしれない。

そう思ったら、悲しくなる。

でも、

そう考えたら、今ある楽しむチャンスも逃してしまう。

私への癌の告知は母の日の2日前だった。ショックで、食欲もなくなれば、夜も眠れなかった。

でも、母の日の日曜日、教会の人たちの、熱い抱擁と、息子達の笑顔が私を救ってくれた。

明日のことを心配するな。

貴方の重荷を私に預けなさい。

私は決して貴方を一人にしない。

そうイエス様はおっしゃった。

イマニュエル=主は我と共に、と呼ばれるイエスの生誕を祝うクリスマス。

悪い結果を受けて、奈落の底におちいった人達、愛する家族を失った人達、そんな人たちが、神様が与えてくださった、家族、友人と共に、この福音を心の支えに、この良き日に、平安と光をみつけられたことを願う。

One thought on “2011年クリスマス

  1. 私はクリスチャンではないけれど心が洗われた気がします。ありがとう。

    この1年つらい時にも前向きなKathyさんのブログに救われた沢山の人がいることと思います。

    来年もブログ楽しみにしています。 良いお年を!

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