残された人たちへ—希望はなくならない

父の命日によせて

室内管弦楽団と聖歌隊の力強く、美しく、心を洗うような音楽と、詩や聖句に織り込まれて、父の名前が他の死者の名前と共に読み上げられた。

昨日、教会では、昨年10月からこの1年間に亡くなった家族を共に偲ぶ、特別礼拝があった。

11月15日の父の命日が近づき、父が生前以上に懐かしくなり、治療のために、最期までの11ヶ月を見舞えなかったことが悲しく思えていた。

日本での葬儀に参列できなかった私にとって、この特別礼拝に参加したことは、父に名誉を与えられたようで、慰めとなった。

父は87歳であったけれど、若い家族をなくした遺族にとっては、後に残された悲しみはさらに深いものだろう。

愛が深ければ深いほど、失ったときの悲しみも深い。後悔や、手の届かないところにいってしまった恨めしさ、大きな喪失感が、わたしたちの命の泉を干上がらせてしまいそうになる。でも、もし彼らが今どこで、何をしているかということがわかったら、それは涙を乾かし、悲しみを乗り越える大きな力となるんじゃないだろうか。

天国というところ

ジョージの指導する聖書クラスで読んでいるヨハネの黙示録は、天国がどんなところなのか述べている。

黙示録は終末論や、ハルマゲドン等、物騒な話題を生んでいる新約聖書の一番最後の書。

一人で読んだら、確かに、訳の分からない想像をしてしまうかもしれない。でも、本当は神様が、悲しみや、苦しみにあえぐ私たちに、絶大な希望と励ましを与え、この世に、憎しみ、悲しみ、そして苦痛と死をもたらしている悪の力に宣戦布告し、神の勝利を約束している書だということを知った。

ヨハネは、神からの啓示の中にみた天国を次のように語っている。

天国の門を開けたら、そこには宝石のように輝くお方が、まばゆいエメラルドの光に囲まれた王座に座っておられ、その回りには白衣をきて、金の冠をかぶった24人の長老が座っていた。王座の前には、7つの灯火と、きらきらと光る水晶のようなガラスの海が広がっていて、王座の4方には、目で覆われた翼をもつ4つの(一つ目はライオン、二つ目は雄牛、3つ目は人の顔をし、4つ目は鷲の様な)生き物が、長老と共に、王座に座っておられる方を賛美し、礼拝していた。

そして24人の長老と、4つの生き物の間に、殺されたときの傷を残した子羊が立っていた。

さらに、王座の回りで、幾千万もの天使が歌を歌っていた。地下や海中に眠る死者も含めた、天地のすべての者が王座におられる方と、子羊に栄光を与えていた。

天国のイメージは、圧倒的に耳にせまる礼拝の賛美歌と重なりあって、父も、こんな汚れ一つない完全な美と誉れに包まれた王座のそばにいるのだと思えた。

父の汚れも恥も清められ、ただ喜びで溢れ、この世での辛いことなど、何一つ覚えていないだろうと思えた。

私が後悔したり、哀れに思ったりする必要など何もないのだと思ったら、悲しみは消えて、平安が心を満たした。

希望はなくならない。たとえ死を迎えたとしても、私たちの希望はなくならない!死の向こうにこそ、私たちを創造された、私たちの罪の償いのために一人子を身代わりにされたお方が、永遠の命を用意して待っていてくださるのだから!

神様はいつだって素晴らしい!

2 thoughts on “残された人たちへ—希望はなくならない

  1. Thank you for reading my blog and sending a nice comment!

    Merry Christmas and Happy New Year!

    Kazuyo

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