死のとらえ方

人は皆例外なく死ぬ。牧師であるジョージの回りにはいつも誰かの死があるが、 臓器移植支援を通し、そして今は癌闘病者支援と自分自身の癌を通し、私のそばにも死がいつもある。

死で全てが終わりになると思えば死=絶望となるが、イエスの復活を信じる者には、この世の生は仮のもので、肉体の死の後に、苦しみも悲しみもない、愛に満ちあふれたイエスとの永遠の命が待っていると、絶大な希望がある。

しかし、死にゆく過程は 癌でなくても、事故で死ぬとしても、少しづつ枯れ果てて行く老衰であったって、 苦しくて過酷だと思う。

細川ガラシャ夫人に学ぶこと

戦国の世に生まれ、石田三成の軍に捕われることを拒むため、38歳で死んで欲しいという夫の命令に従った三浦綾子が描く細川ガラシャ夫人は、夫と、幼い子供たちと最後の別れの言葉を交えるときも、そして、部下に我が胸を突き抜かせるその瞬間も、たじろぐことなくいさぎよく、感謝に溢れ、そして目は確実に天主を仰いでいた。

「人間にとって最も大切なものは命です。けれども、その命よりも、もっと大切なものが人間にはあるのですよ。それが信仰です。」と、三浦綾子はガラシャ夫人に語らせている。

どんな死を迎えるとも、こんなガラシャ夫人のように、最後まで感謝を忘れず、死の苦しみや恐怖に耐え抜く力を得て、天の父を見つめ続けて最後を遂げれたらと思う。

この世は試練の連続。その試練も、天の父に目を据えたなら、成長する機会と意識が変わる。

この世の生が終わるまで、私は少しでも成長して天の父に栄光を帰していかなければならないと、物語「細川ガラシャ夫人」が語りかけた。

そして、天の父に栄光を帰するためには、愛を実践すること。——マザーテレサはそう語った。

日曜日は母の日。日本とアメリカの母に十分愛を伝えたい。

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