May, 2011

湿疹は回復、リンパ水腫は悪化?

放射線療法が始まったのにもかかわらず、タイケルブのすさまじい副作用に襲われた先週。金曜日には薬局から放射線療法に向かう際、時間におくれると走ったところで何年ぶりかの大転倒。よりによってリンパ水腫のある左腕から倒れてしまった。

リンパ水腫でも放射線でも、切り傷は御法度なのだ。

ジンジン、ヒリヒリと伝わってくる痛みを感じながら、擦りむいたかっ?!と心臓が凍りそうだった。が、長袖とコンプレッションスリーブが幸いしたのだと思う。傷がなかったのは本当に感謝だった。打ち身はつくったかもしれないが、なにしろ体がタイケルブの副作用で真っ赤っか。痣があったとしても見えやしない。

湿疹は金曜日になってピーク。夜からステロイドクリームを塗る。まるで何万もの赤いアメーバが体中を這い回っているような異様な姿で、かゆみもときに激しく感じたが、週が明けて、やっと峠を越した。これも感謝!

リンパ水腫の方は、よくなることはなくても、悪化する可能性は常にあると言われているので、放射線の影響、湿疹の影響、そして転倒の影響が気になった。

金曜日夜、左手首がまるでねんざでもしたかのように痛みだし、目が覚めた。

ころんだときには、手首はつかなかったので、ねんざは考えられない。とすると、リンパ水腫のせいだろうか?。。。ならばスリーブをつけるのがよいかもしれない。そう考えてスリーブを着用、再びベットへ。

痛みは消えて良く眠れたが、朝起きてみると、左手首から指にかけて手が腫れている。イヤダー!リンパ水腫が悪化したー!

土曜日で返事がないのは承知で、セラピストにリンパ水腫が悪化していることをEメール。

日中は全く気にならないのだが、夜寝ている間、左手がパンパンにはってくる感じは今も続いている。

放射線療法は始まったばかり。なのに、もし、すでにリンパ水腫に影響がでているとしたら5週間後にはいったいこの左腕はどうなっているのだろう?

厚手のスリーブを着用し続けなければならないと言われたときは落胆したが、リンパ水腫がさらに悪化するかもしれないと知った今となっては、見かけなど気にしていられない。これで悪化を避けられるなら片身離さず着用しなければ!

死のとらえ方

人は皆例外なく死ぬ。牧師であるジョージの回りにはいつも誰かの死があるが、 臓器移植支援を通し、そして今は癌闘病者支援と自分自身の癌を通し、私のそばにも死がいつもある。

死で全てが終わりになると思えば死=絶望となるが、イエスの復活を信じる者には、この世の生は仮のもので、肉体の死の後に、苦しみも悲しみもない、愛に満ちあふれたイエスとの永遠の命が待っていると、絶大な希望がある。

しかし、死にゆく過程は 癌でなくても、事故で死ぬとしても、少しづつ枯れ果てて行く老衰であったって、 苦しくて過酷だと思う。

細川ガラシャ夫人に学ぶこと

戦国の世に生まれ、石田三成の軍に捕われることを拒むため、38歳で死んで欲しいという夫の命令に従った三浦綾子が描く細川ガラシャ夫人は、夫と、幼い子供たちと最後の別れの言葉を交えるときも、そして、部下に我が胸を突き抜かせるその瞬間も、たじろぐことなくいさぎよく、感謝に溢れ、そして目は確実に天主を仰いでいた。

「人間にとって最も大切なものは命です。けれども、その命よりも、もっと大切なものが人間にはあるのですよ。それが信仰です。」と、三浦綾子はガラシャ夫人に語らせている。

どんな死を迎えるとも、こんなガラシャ夫人のように、最後まで感謝を忘れず、死の苦しみや恐怖に耐え抜く力を得て、天の父を見つめ続けて最後を遂げれたらと思う。

この世は試練の連続。その試練も、天の父に目を据えたなら、成長する機会と意識が変わる。

この世の生が終わるまで、私は少しでも成長して天の父に栄光を帰していかなければならないと、物語「細川ガラシャ夫人」が語りかけた。

そして、天の父に栄光を帰するためには、愛を実践すること。——マザーテレサはそう語った。

日曜日は母の日。日本とアメリカの母に十分愛を伝えたい。

応援者がいっぱい!”命のリレー”参加

5月にしては珍しい小雨が降り落ちる土曜日、America Cancer Society 「命のリレー」にジョージ、そして皮膚がんを26年前に打ち破ったペギーと共に参加した。

色とりどりのユニフォームを着た高校のチアガール達、小中高各学校の合唱隊、紫のTシャツを着た癌サバイバーたち、そして癌撲滅を支援する人たちが大勢集まるこの集会は各都市で毎年行われてきている恒例行事。でも、私にとっては今年が始めての参加。

朝の9時から翌朝9時までサバイバーや支援者が代わる代わる集会場である高校の校庭を歩き通す。仮眠をするいくつものテントと、募金集めのための、クッキーやホットドッグ等を売る露店も出て、さながらお祭り気分。

挨拶、国家斉唱、祈りの後、サバイバーたちが一斉にスタートを切って歩き始めると、チアガールたちがエールを送り、徒歩トラックを囲む大勢の支援者たちがそろって拍手をし、敬意を表してくれる。一緒に歩くサバイバーの中には、車椅子の人や、松葉杖の人も。。。こんなにも大勢の人が癌に打ち勝ち、また癌に勝つことを応援してくれていると思ったら、胸がジーンと熱くなった。

前立腺癌からサバイブした男性は、「癌という闘病は私の目を開き、人生にとって本当に大切なものは何なのかを教えてくれた。家族、友人のありがたさを知り、彼らとの関係を深めてくれた。」と、挨拶したけれど、私もその通りだと思った。

乳がんと診断されたのは、昨年の5月7日、母の日の2日前だった。深い衝撃を受け、心細くて夜も眠れなかったあの頃、家族や友人がどれほど暖かく私を包んでくれたことか。その支援は今も変わらない。

大勢の人たちを通し、天の主は不安におびえる私を抱き起こしてくれ、しっかりと包みこんで、今日まで私を守ってきてくださった。人生に文句ばかり並べていた私の目は、どれほど多くの恵みを受けて来たかと気がつかされ、たくさんの感謝を感じる毎日が始まった。

友人のスーザンが、「癌になる前より、生き生きとしてるんじゃない?」と言ってくれたけれど、ホントだったらうれしいな!

右に転んでも、左に転んでも、私の命は主の手の中。その思いが勇気と希望を与え続けてくれる。

癌サバイバーの共通点

昨夜、 脳癌で余命3週間と言われた小児が救われたというニュースを聞いた。

この小児は、2歳のとき、脳と脊髄に癌があると診断され、 抗がん剤、手術、放射線療法と辛い治療を受けた。3歳になってやっと治療が終了。癌が消えたかと思われたが、わずか17日後に突然目が見えなくなり、意識喪失。癌が脳ばかりか、骨に、そして骨髄にまで再発していることがわかった。

この時点で幼児は余命3週間、もう助ける手だては何もないと両親は告げられた。諦めきれない父親は、 ダラス、ヒューストン、メンフィス、フィラデルフィア、ボストンと、アメリカ中の小児病院に連絡を取ったが、どこからも、見放され断られてしまう。けれど、ロスアンゼルス小児病院の感触は異なった。ここで、小児は兄から骨髄移植を受け、みごと癌を克服、おしゃべりも歩く事もできるようになったという。

幼児を救ったのは、執拗に生きる道を求め続けた父親と、最新の治療を試みた医師と、そして、完璧に適合する骨髄をもった兄がいたことだった。

一般に、癌はいったん転移してしまうと、完治は不可能とされている。でも、アンテナを高くしていろいろ見たり聞いたりしていると、このニュースの小児のように、転移をした第4期の癌からも回復、緩解した人たちの話をいくつも聞く。そして、彼らには共通点があると気がついた。

1。決して諦めない。

第二、第三オピニオンを求めながら、最適な治療、最新の治療を探し続ける。

2。 受け身ではない積極的な態度

医師任せにしないで、自らも情報を収集、病気を理解し、治療決定権を持ち、前向きに参加。命を救ってくれる病院、医師にであうのも情報の有無によれば、「これが癌に効く」といわれる様々な薬、治療、栄養剤やらダイエットの真意を確かめるのも情報の有無による。

3。 信頼できる医師との正確かつ頻繁なコミュニケーション。

話合いには一人よりも二人で参加した方が医師も時間をかけて話てくれる傾向がある。質問を前もって用意、メモを取ることで、医師の発言の信頼度が増す。医師助言の厳守。

4。愛と支援

癌を秘密にする代わりに、家族、友人、闘病支援グループ等、と多いに交わり、愛を受け、また助け合う。(対人関係が密接なほど免疫力が上がるという報告がある)

5。希望

不安に目を奪われず、今日を感謝、楽しみ、絶えず希望をもつ。

6。信仰

末期癌から生還した人たちは、常に祈っていた。信仰が心の平安を生み出し、心の平安が希望を生み出す。

末期乳がんで、余命6ヶ月と診断されながらも、癌を克服、”There’s No Place Like Hope”(「希望ほど大切なものはない」)という本を通し、癌再発まで15年間、何千人もの癌患者を励まし続けたVickie Girardはその本の中で書いている。

「私たちの余命は医師でもなく、病院でもなく、私たち自身でもない、神様のみがご存知なのです。。。神様がコンマをつけているところに、終止符を打ってしまってはなりません。。。。どんなに勝ち目がないように見える闘いでさえ、勝利はありえるのです。」「癒しの多くの力は外からくるのではなく、実は自分自身の中に秘められているからです。」

医療の常識を打ち破った多くの戦士たちが励ましてくれる。さあ、がんばろう!

I Won’t Let Go (決して離さない)

いつも応援してくれるいまだ会ったことのない義従姉妹が送ってくれた、昨年12月にリリースされたRascal Flattsの新曲。心に染み渡って、何度も何度も聞いた。

道を閉ざす
嵐に襲われたように、

意志をくじかれ、

おまえはどうしてよいかわからないと思っている。

けれど、そんなことはない。

おまえは一人じゃないのだから。

私がそばにいる。

私が最後までおまえを助けよう。

持てるものを全て出し切って、力尽きたと思う時、

私がおまえの涙を乾かそう。

私がおまえの代わりに闘おう。

おまえをしっかり抱きしめ、決して離さない。

おまえが泣くのをみるのは辛い。

確かに人生は今暗闇の中にある。

それは誰にもあること。
そして私たちは雨を止めるにはあまりに無力だけれど、雨が降ったら私がおまえのそばにいく。
そばに行って、おまえを最後まで助けよう。

持てるものを全て出し切って、もう力尽きたと思う時、

私がおまえの涙を乾かそう。

私がおまえの代わりに闘おう。

しっかり抱きしめて

倒れたりなんかさせない

恐れるな。私がおまえを受け止めるためにここにいるじゃないか。

がっかりなんかさせない

負けやしない。

大丈夫だ。

そうさ。絶対に大丈夫。

私がそばにいるのだから。

私は最後までおまえを助ける

持てるものを全て出し切って、力尽きたと思う時、
私がおまえの涙を乾かそう。
私がおまえの代わりに闘おう。
しっかり抱きしめて、決して離しはしない。

そうだ。おまえを抱きしめ、離さない。決して離さない。決して。。。

(訳:和世)

目はブルー、肌は再び真っ赤っか

目の色が変化

抗がん剤で抜けた後に生えてきた髪の毛がカーリーになったと思ったら、今度はなんと、瞳の色も、変わってきた。回りの人から「色つきコンタクト入れてるの?」とか、「こんなにブルーだったっけ?」とか言われ、ジョージにも聞いてみると、「ああ、アメリカ人になってきたねえ」だと。

抗がん剤が瞳の色を変えるなんて、どこにも書いてなかったけど、原因は抗がん剤しか考えられない。視力も確かに弱くなってるけれど、これは老眼のせいだろう。黄色くなったり、赤くなったりしたら心配だけど、アメリカには瞳の色がブルーの人はいっぱいいるから、カーリーになった髪の毛と同じ、驚きだけど、まあいいかと受け入れる。

再び湿疹

「まあいいか」と思えないのは湿疹。タイケルブをストップして、やっと凄まじい湿疹が消えたと思ったのに、再びタイケルプを取り始めたところ、8日目にしてまたしても、体中に湿疹がでてきた。今までの5錠を2錠に減らしての再服用なのに、前回と同じ勢いでチクチクとかゆみもあって、非常に不快!

医師は、湿疹が消えるまで再び服用を中止して、次からは服用量を1錠に減らせと言ってきたが、ネットの検索によれば、タイケルブの推薦服用量は3−5錠となっており、たったの1錠じゃ効果が期待できないんじゃないかと疑問が湧く。

他の人たちはどうしているのだろうと、こちらも検索してみると、Tea Tree Oilだとか、水で薄めたお酢、(どちらも外用)とかが効くとでてきた。ある人はオートミールのお風呂が湿疹のかゆみを軽減すると教えてくれた。

タイケルブが使えないとなると、次にはどの手があるのか、新薬のTDM-1はまだ認可されていないし、また壁にぶちあたってしまう。なんとか、湿疹を乗り越える方法をみつけたい。

放射線”遠足”シャトル

28日継続予定の放射線療法もいよいよ残すところわずか5日となった。

放射線の副作用や後遺症の心配で緊張するはずが、神様は思いもかけない「緩和剤」を私に送ってくださった。

医師の計らいで、自家用車で通うところを、シャトルバスでの往復が許されたのだが、このバスの往復が、片道1時間の運転、ガソリン代の節約の他、とても楽しい遠足気分を味わわせてくれている。

毎日一緒に乗っていく仲間は男女あわせて10−15人。肌の色は様々で、平均年齢は60歳を越えているかもしれない。でも、皆とっても明るくて楽しい!

兵役で沖縄にも住んだことがあるという黒人のAさんはニューヨークにいたときは郵便屋さんで、配達中に犬や、ギャングに追いかけられたとか、激しい人種差別があった高校時代、白人生徒の顔が皆同じに見えて、名前が覚えられずに困ったとか、本当なら重たい話を笑顔でおもしろおかしく語ってくれた。

Bさんは82歳なのにジーンズがとてもよく似合うハイカラなおばあちゃん。なんと80際のお誕生日にスカイダイビングをし、鳥になったようで、最高だったと、空中で四肢を広げて微笑んでいる写真を見せてくれた。

レズビアンというCさんは、底抜けに明るくて、すぐに場が盛り上がる。ペットの猫の写真を見せて、「この子は何をするのもすっごくのろいの。特殊教育が必要よ」とげらげらと笑ったかと思うと、別の日には手編みの帽子を皆にプレゼントしてくれるほど気配りがきく。

最後の一人が治療室から出て全員が揃うまで、私たちは皆待合室で待つのだが、乳がんの治療前に甲状腺がんの治療もしたというDさんは、この最後の一人を待っていると、「皆でトイレに隠れちゃおうか?この際、男性も一緒に女性トイレにいれちゃいましょ!」と、いたずらを考える。16歳の孫がいるなんて信じられないほど気持ちが若い!

バスの運転手は若い小柄の黒人女性。私たちは、彼女を「カーボーイ運転手」と呼ぶ。いつも吹っ飛ばして、前の車とキスをするかと思うくらいの車間間隔なら、車線変更をしてくる車にも決して譲らない。そんな彼女が先週、運転中に突然大声をあげたとおもったら、すぐに フリーウェイを降り、バスを止めた。なんと、ハンドルもブレーキも効かなくなって、あわや大事故を起すところだったと言う。

事故を免れたのは、彼女が腕利きの「カーボーイ」だったからだろうか?!

バスが止まった左側には、「シャンペン付きハッピーアワー(割り引きサービスタイム)」の垂れ幕をさげたブーゲンビリアに囲まれたメキシカンレストランが、そして右側には韓国人の教会があった。「代わりのバスが迎えにくるまで、レストランでシャンペンでも飲もうか?それとも、教会に入って、感謝のお祈りでもしようか?」と言ったのは私。

代わりのバスが迎えにくるまで、誰も文句も言わず、また一つ土産話が増えたとばかりに和やかに、笑顔とおしゃべりが絶えなかった。

「このバスには天使も一緒に乗ってるよ。」とCさんが冗談まじりに言ったけど、まんざら冗談でもないと思ったのは、きっと私だけじゃなかっただろう。