父の死

父の人生を刻んでいた時計が止まった。本日日本時間の11月15日朝、87歳で父が逝った。

今年1月に会ったのが私にとって最後の父との面会であった。いつもは1週間ほどの短い帰省なのが、 旅券が失効していることを出発間際まで気がつかず、日本での再発行となったため、結果、思いもかけず3週間を父の介護をして過ごした。

父は大正13年7月17日5人兄弟の3番目として日本が当時併合していた北朝鮮で生まれた。幼いときに父を亡くして、一家揃って帰国。第二次世界大戦のときには21歳で、駐屯先の広島で被爆した。終戦後1年、白血病で入院生活を余儀なくされたと言う。兄と弟は戦死。一人残った男子ということで、母方の家業である電気工事会社を受け継ぎ4年前に退職するまで事業の舵を取った。

長女の私には、就寝時に絵本を読んでもらったり、一緒にお風呂に入ったり、床屋さんに一緒にいったりと、妹たちにはない懐かしい思い出がある。出張の度に鞄一杯おみやげを買って帰ってきてくれる父を、幼い私はまるでサンタクロースでも待つかのように待ちどうしがったものだった。

自分がクリスチャンになってから、ずっと日本の家族もクリスチャンになって 欲しいと願ってきたが、2年前、 「覚悟をしてください」と言われた肺炎から奇跡的に回復した際、父はついにイエス様を救い主として受け入れることを決心した。丁度帰省することができた私は、父に自宅での洗礼式を薦め、私も証人として立ち会った。カソリック式で与えられた洗礼名は光の意味の「ルシオ」だった。

今年の正月、父の車椅子を押しながら、母と3人で教会に礼拝にいった。雪の舞う寒い日曜日であったが、帰宅した後、「行ってよかったなあ」と満足げに語った父の言葉をその笑顔と共に私はずっと忘れないだろう。

私が離日すると同時に体調を崩し、 養護老人ホーム入居。そして老人病院へと人生の階段を下り始めたが、視力や聴力の衰えも目にみえて、食べる喜びもままならず、一人病院のベットで死を待つだけの生活はどんなにか辛かっただろうと思う。なのに文句をほとんど言わず、静かに現状を受け入れていった父は、最後まで前向きであったと、心から尊敬する。

悔やまれるのは、今年の夏もう一度帰省して父に会うはずだったのに、癌でそれが叶わなかったこと。辛い思いをしているときに、もう一度そばにいってあげたかった。この後も、抗がん剤治療中の私は葬儀にも参列できない。

でも、私には今父がどこにいるかはっきりとわかる。父は私たちの創造主のもとにいる。創造主のもとで、今までないほどに幸せであるに違いない。そして私は父と再会できる!

父が私たち家族に与えてくれた全てのことに感謝し、父を召された神に感謝する。

神様はいつだって素晴らしい!

09年1月1日洗礼式を終えた後の父(前列右端)と

One thought on “父の死

  1. 私、浜松北高等学校卒業生です。
    現在私も癌治療(手術+化学療法)をしています。
    国内ですが実家からも離れおり、お父様への思いも含めて大変共感しております。
    お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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