September, 2010

手術日変更

10月に予定していた手術が早まることになった。

恐らく今月14日の予定。

先日,3回目の抗がん剤点滴を終えた後で癌が小さくなっているかどうかを超音波テストで調べたところ、リンパ節の癌は認識できないほどに縮小していたが、乳房の癌は変化がなかった。

これは、抗がん剤療法を始める一月以上も前、癌と診断されたときの記録との比較なので、抗がん剤療法が始まるまでに癌が成長した可能性があり、正確な比較ではないと医師は言う。

でも、 癌がこれ以上抗がん剤療法に反応しない可能性もあるとして方針変更ということに。

明日形成外科医と会い、乳房再建の利点とリスクについて話を聞き、その結果で14日に手術になるかどうかが決定する。

乳房再建は今はしないつもりでいるのだけど、もしするということになり、且つ左乳房全摘とリンパ節廓清手術と全て一緒にまとめてすることを望むが、 形成外科医の都合が14日につかないという場合は手術日がさらに変更になる。

いよいよ手術!やっぱり緊張するなあ。

乳房再建はなし

ジョージの運転する車でフリーウェイに乗って約40分、Downy Kaiserまで形成外科医に会うため出かけた。普通美容整形は保険がきかないけど、私のKaiser保険では乳房再建は例外。保険がカバーしてくれる。

乳房再建をする場合、しない場合の違い、再建方法のオプション、リスクについて話を聞いた。

二つある乳房が一つになると、不均衡になって姿勢が悪くなったり、肩こりが起きたりするとネットで読んだが、その心配はないと言う。

再建の一番の理由は心理的なものだそうで、どうせ再建するならと、サイズを一回り大きくする人もいるそうだ。

自分のお腹や背中の筋肉を移植する場合はそこに傷が残ること。

シリコンや生理食塩水バッグを埋め込む場合は何年か後にこれらを取り変える必要があること。

乳房切除の手術では、皮膚も切り取るが、最近は乳房再建の皮膚の移植に死亡したドナー や豚からの皮膚も使うようになってきたこと。

乳房切除の手術と同時に再建もした場合、 感染の確率がわずかではあるが、高まる他、その後で放射線療法を受けるようになった場合、 せっかく再建した乳房にダメージが起きて再度手術が必要になる可能性があること。

再建手術は5−6時間かかり(乳房切除は約2時間)回復までには約一月かかること。

その他、医師は私の胸のサイズやお腹の脂肪等はかりながら1時間ほども話てくれた。

もう年頃の娘でもないし、もともと小さな胸だし、なによりジョージが再建しなくても良いと言ってくれているから、 すでに再建はしない方向に気持ちが傾いていたけれど、やはり再建は大掛かりなようなので、とりあえず今度の手術ではしないことに決めた。

なくなった胸をみて、ショックが強かったら、またそのとき考えようと思う。

家にもどって、外科医と腫瘍科医に再建手術なし、14日で手術をしたいと確認のEメールを送った。

浮腫—利尿剤—カリウム摂取

抗がん剤療法では、心臓、肝臓、腎臓等への影響を絶えず警戒しなければならないらしい。

最近トイレにいってもなんとなく残尿感があり、左足が気のせいか少し浮腫んでいるようにも思ったので、水曜日腫瘍科医を訪問したとき、尿の検査をお願いした。

結果は異常なしだったのに、翌日になったらソックスやサンダルの後が残るほど浮腫がはっきりしてきた。

やたら口も乾いて、飲んでばかりもいる。

抗がん剤療法を始めて以来、味覚変化で食事がすすまないのにもかかわらず、体重が確実に増えているのも気になっていた。

でも、ついに5キロも多くなって、これはやはりおかしいと医師にさっそくメールを送った。

私のかかっているカイザー 病院の利点の一つは、医師といつでもメールで話ができること。

すぐに返事がきて、抗がん剤の一種Taxotere と副作用のためにとっているステロイドdecadronが浮腫を起こす事があると言う。

抗がん剤点滴は3週間に一度だけ。

ステロイド剤を飲むのも抗がん剤点滴の前後3日だけで、今まで3回の点滴で、このような症状は経験しなかった。

最後のステロイドをとってから3週間が経つのに、こんなに後になってから症状が現れるなんて、やっぱり薬が体に堆積しているのだろうか?

足を高くあげて様子をみるようにとの指示をうけたものの、症状は改善されないので、再度メールを発信。

今度は利尿剤を処方してもらった。

でも、この利尿剤も副作用があって、体に必要なカリウムの量が減ってしまうらしい。

数日中にカリウムの値を検査するようにと言われた。

カリウムを多く含んでいる食べ物をネットで調べてみる。

干しぶどう、バナナ、いちご、すいか、メロン、ほうれん草、アボカド、納豆、豆類、ナッツ、魚、ターキー、昆布、わかめ、ひじき。。。カリウムを含む食品は意外とたくさんある。

今週は14日の手術を控え、抗がん剤の投与も延期になったから、一生懸命これらの食品を料理に使ってみることにする。

バナナの絵がついた利尿剤

術前指導とCT再撮

今日は午前中手術準備のための指導受講。午後は再びCTを取りに病院へ戻った。

自分自身も乳がんで2年前に両乳房全摘したという講師による2時間の指導は、リンパ節郭清後に起こるかもしれないリンパ水腫予防のための注意事項とリハビリ運動、ドレインによる廃液の仕方(こちらの入院は一晩で、ドレインを付けたまま退院となるため)、乳房切除後の特殊ブラの紹介(うれしいことに保険が使える!)等、大変役にたった。なにより乳がんサバイバーである本人が語る言葉に励まされた。

 

そして午後は胸から下の2度目のCTを撮る

昨日休暇から戻ってきた腫瘍科主治医から電話があり、足の浮腫と残尿感について質問された。浮腫だけなら抗がん剤の副作用かもしれないが、残尿感があるというのが、心配だという。

「脅かしたくないけど、もしかしたら癌が尿路を妨害しているのかもしれない.」と、CTをオーダーした。

癌がこれ以上抗がん剤に反応していないかもしれないということで手術が早まったから、この説明は説得力がある。

たちまちしこりを見つけて癌かもしれないと不安に襲われた4ヶ月前と同じレベルの不安が襲ってきた。

しっかりイエスにしがみつかなければと、まずジョージがくれた“Praying Through Cancer- Set Your Heart Free From Fear”(癌を通して祈る-不安から心を解き放す)を読む。

この本には乳がんを経験した女性たちが聖書から勇気をもらった話が90話つづられていて、今日は64話目を読んだ。それから詩編31を読む。

「強くあれ。勇気を持て。すべて希望を主に託す者たちよ!」聖書の言葉が私を暖かく包んでくれる

医師も薬も大切。でも私の最終的な希望は私のことを全てご存知で、絶対私を一人にしないと約束してくれた神にある。

CTの結果が出るのは3−5日かかると言う。もしかして。。と考え始めたら私は不安に溺れてしまう。荒れ狂う波を見ないで、全能の神様だけを見つめて嵐の水面を歩こう!

CT結果異常なし!

日本から術後の手伝いのために飛んで来てくれた妹を空港に迎えに行ってもどってきたら、腫瘍科医からメールが入っていた。CTの結果に違いないと開けてみる。

「とてもうれしいお知らせです。CTには何も異常が認められませんでした。ほっとしました!」

Thank God!! 本当によかった!思わずジョージと抱き合う。

抗がん剤が効いていないかもしれない可能性はまだある。でも、ひとまず転移の心配が消えた。

これも私のことを心配してくださっている大勢の人たちの思いと、祈りのおかげと感謝する。

皆さんありがとう!

たかが膀胱炎、されど膀胱炎

CTスキャンの結果が異常なしとでたものの、利尿剤を止めると、残尿感があるどころか、排尿のそのものが困難になってきているようで、これはやはり早急に医師に診てもらった方がよい、 一般内科主治医と予約を取ろうと昨晩夜中起き上がり、 コンピューターの前に座る。

しかし、コンピューターに現れた予約表は2週間先まで空きがない 。今日土曜日は Urgent Careという病院の時間外応急診察所が夜7時まで開いているけど、妹や息子たちと、義両親が住んでいるTemecula(タメキュラ)まで2時間かけて遊びに行く予定にしてしまっている。

月曜日を待って医師を選ばない同日予約を取ろうかどうしようかと迷ったけれど、ジョージに、月曜日は外科医との予約が入っているから今日行ったほうがよいと言われ、彼の助言に従うことにした。

午後4時、予定より早めにTemeculaを出て帰り道Urgent Care に寄る。

病院では再び尿検査。

その結果、膀胱炎にかかっていると言われる。

また膀胱炎?!先週尿検査をしたときは異常なしだったのに。。それがこの癌かもしれないと大緊張した全ての原因?本当にそれだけ? なぜ最初の検査のときにわからなかったの?

半信半疑だけど、どうもうれしいことにそれだけみたい。でもこのままでは手術はできないと医師は言う。

膀胱炎を直さないと、手術でさらなる感染症を誘発してしまうという。

えっ?!と慌てて、手術は火曜日なのだけどという私に、医師は今から抗生物質を飲んだら大丈夫と、さっそくCiproを処方してくれた。

薬局ではこの抗生物質を1週間飲めと言われたので、はたして月曜日外科医は14日の手術についてなんと言うか、まだ油断ができないけど、病院へ行くのを月曜日まで待っていたら間違いなく14日の手術は延期になってしまうところだった。

今日病院へ行って本当によかった。

ぎりぎりセーフで14日の手術に臨めますように!

いよいよ手術

朝10時外科医訪問。

膀胱炎が明日の手術に影響を与えるかどうかを確かめると、土曜日から抗生物質を取り始めたなら問題なしとのこと。

依然めだつ左足の浮腫については、片方の足だけが浮腫んでいるとなると血栓があるのかもしれないから、超音波で調べてみましょうと言われる。

血栓ができる理由はいろいろあるが、癌を持っているとそのリスクが高くなるらしい。

血栓があった場合、治療のために血を薄める抗凝血剤をとらなければならず、そうなると少なくとも24時間は手術延期となる。

心電図にも異常がないことを確かめた後、超音波検査。

結果は異常なし!

さあ、これで明日の手術が確実となった。

明日の私は一番手。朝5時15分に入院。手術は朝7時頃から2時間−2時間半の予定。

何も問題がなければ退院は翌日。絶食は今夜真夜中の12時からと言われた。

乳房全摘を感傷的に思う事もあったけれど、このピンク色になった肌の下には恐ろしい癌がひそんでおり、抗がん剤も苦戦している可能性があると知った今、私の心は100%手術を歓迎。

大勢の人が私のために祈ってくれている。

その祈りに背中をおされ、明日、外科医がバッサリと憎い癌を切り落としてくれることを願って、いざ出陣!

無事退院

本日9月15日夜7時半、無事退院帰宅。

昨日はまだ夜も開けないうちに病院へ入り、手術前の部屋で、「これから鎮静剤を打ち、その後麻酔をかけます」と説明をうけ、ジョージの顔をみたところまでは覚えているけれど、そこらから記憶が途絶え、気がついたときは、すでに回復室だった。

目を開けると、またもジョージがそばにいて、「外科医が『全てうまくいった』といってたよ。」と伝えてくれた。

手元のボタンで点滴できるようになっている痛みどめのモルフィネを半日数回使用したけれど、夜7時頃息子達が様子を見に来てくれた頃には痛みもおさまり、吐き気もなく、笑って話ができるほどに回復。

本日はカリウムの値に異常がないのを確かめ、ドレインを2つ付けたままて退院となった。

今後は2週間自宅療養。27日に外科医と面談。

昨日切り取った組織の病理報告を聞き、30日から抗がん剤投与を再開する予定。

病理報告で、抗がん剤に癌が反応していたかどうか、癌細胞が残っている可能性があるかどうかがはっきりする。

ともかく、大勢の方の祈りのおかげで、大事な手術を無事終えることができた。

感謝!

応援してくれている皆さんありがとう!

風邪

手術の後、何もしないでベットに横になっていると、肺炎を起こしたり、血栓ができたりするらしい。

手術翌日の15日、肺炎予防のため、深呼吸をして咳を出す運動を毎時間10回ずつするようにと言われた。

ところが退院した翌日、深呼吸の運動をしなくても咳が出るようになり、金曜日には鼻水や頭痛もはじまって、倦怠感も増してきたため、家族に薦められて18日土曜日診察をしてもらいにUrgent Care を再び訪れた。

「風邪でしょう。」ということで、咳止めのシロップをもらって帰宅した。

いったいどこで風邪を拾ってしまったのか、病院で移されたのか、それともジョージも咳をしていたから、ジョージからもらってしまったのか。。。ともかく30日からまた抗がん剤が始まるから、はやく直しておかなければならない。

処方されたシロップ、とても効果があって咳はすぐに止まったが、やたら眠くなる。妹がいてくれているので、食事の心配もせず、上げ膳、据え膳で楽をさせてもらいながら静養に努めている。

病院からもらった肺炎予防のための深呼吸運動具

経済的援助制度

アメリカの新学期が2週間前から始まっている。

財政難でカリフォルニアの公立学校は今年もまた多数の人員削除があった。

特殊教育補助教員の私は 11月末まで長期病欠を取ったにもかかわらず、勤務年数が10年を越えたことで、職を失った人が多くいる中、席を補償してもらっている。

健康保険も失わずにすんでいる。

手術入院しても個人負担はわずか$100(8500円)ですむのだからこの健康保険は本当にありがたい。

乳がんは障害者手当の対象にもなるそうで、休みを取り始めた6月までさかのぼって障害者給付金も多少ながらも受けとり始めた。

税金を払っているのだから当然と言えば当然なのかもしれないけれど、まったく予想だにしていなかったのでこれもありがたい。

オバマの国民保険が実施されるようになったら、このような補償がはたして存続するかどうか疑問だけど、今はこの国のこんな経済的援助制度に感謝する。

内側にドレイン容器ポケットの付いた術後用キャミソール(各$53)。これも保険により無料となった。

妹が帰っちゃった

術後の面倒を見に来てくれていた妹由佳が帰国した。

彼女がいてくれた2週間はジョージと私にとってまるでバケーションのようだった。

食事から、洗濯から、全て安心して頼り切り、心の負担がゼロになり、ジョージは仕事に専念できて、私は自分が癌であることも忘れるほどに緊張感から解放された。

仕事を休んで介護に来ると言っていた義母もほっとしたに違いない。

手術が10月だったら、今年は国勢調査の町内役員なので渡米は無理と言っていた妹だったが、手術が9月に早まったことで、一週間でパスポートを申請し、自分の家族を後に残して文字通り飛んで来てくれた。

彼女をこちらに呼び寄せている間、老人病院に入院し、最近食欲が落ちていると聞いていた87歳の日本の父のことも心配だったが、父も持ちこたえてくれた。

家族離れて遠くに住んでいると、こんな贅沢は誰にもできるとは限らない。

こうして妹に来てもらうことができた私はまたしても恵まれていた。

由佳が帰って再び二人だけになった私たち夫婦は、ニーズを今回も満たしてくださった神に感謝した。

この恩を忘れず、私は早く元気になって、日本の家族、そしてアメリカの家族を精一杯大切にしていかなきゃ!

手術に先だち飛んで来てくれた妹を迎えて。

イマニュエル

移植支援のボランティアとの出会いは13年前だった。

心臓移植に渡米してくるというみゆきちゃん(当時8歳)の写真を日系新聞で見つけたとき、彼女が私の姪にそっくりで、ハッとした。

彼女は移植にこぎ着くことなく亡くなってしまったけれど、彼女と彼女の両親に宛てた手紙が私をボランティアへと導いた。

この13年間、 振り返ってみると、人助けをしていたようで、実は救われていたのは自分だったとつくづく思う。

ボランティアと出会ったとき、私はまだ神を信じてはいなかった。というより、占い、お守り、神社仏閣、等ご利益があるというものは、まるで買い物でもするように何でも試みていたから典型的日本人だったと言った方がよいかもしれない。

御利益があれば、「これは効く!」となるけれど、ボランティアを通して私が見たものは少し違った。

愛する者を亡くした移植を望んでいた家族が、「皆さんのご恩を一生忘れない。」と、感謝で泣いていた。

突然の死にもかかわらず、泣きながら名前も告げずに愛する者の臓器を未知の相手に提供する家族がいた。

私はイマニュエル(=あなたを決して離れない)と呼ばれる神を目撃したと思った。

私たちに永遠の命を与えるために死んでくださったイエスの十字架をみたと思った。

以来、私はイエスに恋し、イエスに従うことを選んだ。

出会う患者家族の方々に、「皆さんの通る道はとても辛い。でもその分、皆さんはこれからとことん神様の懐に近づいていく」と語らせていただいた。

癌になった今、それは私自身のストーリーとなった。

癌闘病の道は決して平坦ではない。でも、私はとことん神の懐に近づいている。

弱い私をイマニュエルと呼ばれる強くてやさしい神が支えてくれる。

移植のボランティアを始めなければ、みゆきちゃんを知らなければ、私はこんな神と出会うことがなかったかもしれない。

ボランティアを通し救われたのは私自身だった。そしてみゆきちゃんは私の道先案内人であった。

抗がん剤は効いていなかった

本日外科医と退院の日以来2週間ぶりに会う。二つぶらさげたまま退院したドレインの一つを抜いてもらい、後の一つはまだ廃液量が多いということで数日中、できれば木曜日までに抜く予定。

そして病理検査結果について報告を聞く。

「抗がん剤の効果は最小。」!!

「もしかしたら。。」の予想は当たってしまい、癌は抗がん剤に反応していなかったと言う。

乳房の癌は25mmで、表皮組織まで浸透を始めていた。ステージは3。リンパ節は脇の下、静脈下全て21個を切り取ったのに、そのうち13個が陽性、癌がみつかった。

この検査結果より、抗がん剤の変更と週5日6週間の左胸部の放射線療法を薦められた。

また、切除した左乳房付近に発疹が出た場合は、再発のサインかもしれないので、その場合はすぐに連絡するようにとも。

明日火曜日放射線科医、明後日水曜日腫瘍科医と面談。新たな治療の詳細を聞く。

抗がん剤療法が後少しで終わることを期待したのに、これからまた新しいチャレンジがはじまる。がっくり。

再挑戦

腫瘍科医と今後の治療について面談。

手術や放射線療法は局所の癌を取り除くが、体中に散らばっていると思われる癌細胞をやっつけるためには化学療法が必要。

リンパ節にたくさんの癌がみつかった私の場合、リンパ液を流れて微小な癌細胞が体のどこかにまだいくつも潜んでいる可能性は大であり、化学療法は欠かせない。

今回4回の化学療法で使った薬は1)Taxotere  2) Carboplatin 3)Herceptinの3種だった。このうち1)と2)は癌細胞を殺す抗がん剤で、3)のハーセプティンはがん細胞の分裂成長を抑える抗体の働きをする薬。

病理検査の結果、 摘出した癌細胞のほとんどが死んでいなかったことから、私の受けた化学療法は功を奏していなかったことがわかった。

抗がん剤に反応しない癌というのはアフリカ系女性に見られることはあるが、アジア系の女性には珍しいと医師も驚きを隠さない。

ともかく、抗がん剤を変更して化学療法を一からやり直す。

抗がん剤にはいろいろあるけれど、問題は、どの薬が私の癌に効果があるのかということ。

医師はこれにはマニュアルがないという。

ハーセプティンは私のタイプの癌にあわせて発明された薬だから、これはあきらめたくない。

抗がん剤のみ変更するということで、医師はこれから同僚のみならず、リサーチ病院であるUCLAの医師にも相談してベストと思われる抗がん剤を見つけてくれると言う。

手術を先にし、化学療法を後にしていたら、再発をみるまで抗がん剤が効いていなかったことに気がつかなかっただろう。

化学療法の途中でそれに気がついたのは、不幸中の幸いであったと考えたい。

化学療法をやり直しできることを喜びたいと思う。