August 25th, 2010

闘病期は休息期?成長期?

8月もまもなく終わり。5月に癌とわかってから、早4ヶ月が過ぎようとしている。

年々月日の経つのが速く感じられるこのごろだが、私は今年を有意義に過ごしているだろうか? それとも、ただ癌に貴重な時間を奪われてしまっているだけだろうか?

ジョージに自分が成長しているかどうかをどう評価したらよいのか尋ねてみた。彼は、イエスが私たちに望む価値観により8月の彼の誕生日と、1年の終わりの晦日の年2回、日記をもとに自己評価,次の目標をたてているそうだ。

それならばと、私もジョージにならって自己評価をしてみた。

自己評価

#1。 感謝の気持ち

癌になって以来、日本とアメリカから大勢の人々に支援されて、ほとんど毎日なんと自分は恵まれているのだろうと感じている。

見慣れた食事でも、おいしくいただけるときは、とてもうれしく感謝。

教会で、或は訪ねてきてくれる人達が笑顔で迎えてくれる挨拶もとっても幸せな気分にしてくれる。

日々の仕事に感謝も価値もみいだせないで不満ばかりをふくらませていた病気前に比べたら、 雲泥の差。前進。

#2 謙虚さ

一粒の麦が出会う患者家族の方々は、よく「こんなに親切にしていただいて、どうお礼をしてよいのかわからない。」とおっしゃるけれど、親切を受けとるのは、与えるのと同じほどに難しい。

思いもかけない親切を受けとるには謙虚にならなければならないから。

イエスが弟子たちの足を洗おうとしたとき、弟子の一人ペテロは最初そんなもったいないことはとても受けられないと断った。しかしイエスは、足が洗えないなら、ペテロと結びつくことがないと答える。

こんなにも溢れるほどに受ける恩をどう返したらよいのだろうと考えると、親切を受けとるのがおっくうになる。

でも、受けとることを避けていたら私たちの距離は広がったまま。

謙虚になって、受けとることができたら、批判や文句が減り、相手に感謝と敬意の念が湧き、聞き上手になり、そして最終的に同じようにおしみなく与えられる人となるはず。

神様が私の上に働いている。半歩前進。

#3 人を愛し、思いやる気持ち

一方的にたくさんの愛を注ぎながら、神様は私にももっと与えられる人となることを、もっと人の気持ちに敏感になることを願っておられる。

今は人を訪ねるときではないけれど、試練に出会っている人達のために祈ることはできる。

彼らに私の思いを言葉で伝えることはできる。

私たちが「互いの足を洗いあう」とき、 神、人 との絆は強まっていく。それが結果。

わずかながらも小さな半歩前進。

#4 正しく正直であること

大衆の動向に流れず神の目にとって正しいことをしよう、求めようとするとき、ときに人は中傷や障害にであう。

そうでなくても、自分の欲を制して正直であることは、苦痛を伴うことしばしばで、言い訳をすることが多い。

何が正しいのかという基準は人がどう感じるかによるのではなく、聖書によるのであって、謙虚さと従順さが必要なのだと思っているけど、ここはまだまだ努力の必要大。

#5 人を許すこと

私には長いこと母との葛藤があった。自分の中にも 同じ欠点が見えれば見えるほど、この葛藤は大きくなった。

けんかを何度もしてきたけれど、ここへ来て、やっと感謝の気持ちがそれを乗り越え、素直に「大好き」と思えるようになった。私にとっての大進歩。

どのゴールもまだずっと先にあるのはわかっている。でもこうして評価してみると、闘病中のこの4ヶ月は決してマイナスではない様子。

この癌を神様が福としてくださるように!もっと私を練り上げてくださるように!