August 6th, 2010

ハッピーな一日

昨日はとても良い一日だった。前の晩はぐっすり眠れ、朝、 買ったばかりのジューサーを使ってにんじん、りんご、そしてレモンのジュースを作ってみたら、とってもおいしかった!

味覚が戻ってきた兆しと喜んだ。

2日前だったら無理だったけど、元気もでてきたので、お昼にはペンシルベニア州からサンディエゴに遊びに来ていたジョージの旧友との再会について行く事が出来た。久しぶりの会話も楽しければ、キッシュとチキンスープのお昼もおいしくいただけた。抗がん剤の副作用は長々と続く場合もあるようだけど、今は時が経つと消えていくから本当にありがたい。

元気が続いたので、夜は教会の「ハピネスアワー」幸せについての勉強会にも参加した。会う人会う人が私の顔をみて、「元気そうね。会えてうれしいわ!」と笑顔で挨拶してくれる。それだけで、もう私はとてもハッピーな気分になる。

トルストイは、「幸せは外的な状況に頼るのではなく 、自分たちがどうその状況を見るかによる。」といったそうだけど、 自分次第で、状況が良くても幸せと感じない場合もあれば、状況が厳しくても、幸せと感じることができる。もっと言えば、幸福は回りから求めるものではなく、自分の意思によって選ぶものと学んだ。

そして、 今日は半日、体操指導中の事故で首から下が動かなくなった後、口で絵を描きだした星野富弘の「愛、深き淵より」を夢中になって読んだ。

興味深いことに、彼も「病気やけがは、本来、幸不幸の性格はもっていないんではないだろうか。病気やけがに、不幸という性格をもたせてしまうのは、人の先入観や生きる姿勢のあり方ではないだろうか。」と書いていた。

誰も障害者にはなりたくないし、癌にもなりたくない。大事な家族を失いたくもない。でも、もしそうなってしまったとしても、それが不幸とは限らない。その向こうに希望がみつけられるかもしれないから。

聖書は「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、。。神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ書5:3−5:5)と書いている。

またしても元気が湧いてきた!