August 5th, 2010

Amanda両親の弔辞

7/24のブログ「アマンダの信仰
リンク http://www.amandaspoems.com/より
“Life Story”の日本語訳

父の弔辞

 

ここ数日Amanda(アマンダ)の残した思い出にどう感謝の気持ちを表したらよいだろうと悩んでいました。主に祈ってみましたが、いったい誰が今日のような日の準備ができるのでしょう? 一生の思い出をどうしたらわずか数分で語ることができるのでしょう?

Amandaのこと——幼かった時のこと、就寝前の絵本の時間、最初の歯が抜けたときの事、サッカーの試合から単語綴りトーナメント、卒業式から結婚式。。。そんな話しをしようか、それとも彼女が持ち続けた神への信じられないほどの信仰について語ろうか。。結局、両方についてお話させていただくことに決めました。

Amandaはよく詩を通して自分の魂を注ぎだし、生の感情を紙の上に現していました。 Amandaをしのぶため、 癌と診断された少し後 16歳の時に書いた最初の詩を紹介することから始めたいと思います。

小さな事柄

1999年 Amanda Twellman (日本語訳:亮バウム)

夜目を閉じて、一つ一つの夢を満喫したことがある?

貴方のお父さんの目を見て、

その中にかすかに光る輝きに気がついたことがある?

浜辺を歩いて、柔らかい砂をつま先で感じながら

あなたを愛している人たちの笑顔を

鼻の小さなしわまで覚えた事がある?

あなたの中の突然のまぶしい輝き、感じた事がある?

手のひらの一つ一つの皺を残す事なくなぞってみたことがある?

夜、 お母さんが「 おやすみ」と抱きしめてくれる時、

そのやさしい温もりを大切に思ったことがある?

友達、命、目に見えるもの、そしてこんないろいろな小さな事柄を、

神様に感謝したことがある?

 

私達は今日、娘Amanda の生涯を祝うためここに集いました。よく親にとって子に先立たれることほど辛いことはないと申します。しかし、23年の生涯を閉じ、 Amandaは私たちに、今日は葬儀の日ではなく、お祝いの日であること、彼女の生涯を祝う、キリストを通し、彼女が死を打ち破った勝利を祝う日であることを教えてくれました。

Amandaは1982年6月10日、ここからわずか数マイル離れたNewport Beach(ニューポートビーチ)で生まれました。その時、Linda(リンダ)と私は目の前に始まろうとしている旅がどんなものであろうか、どんなに自分たちの人生が永遠に変わっていくか等、想像もつきませんでした。

Amandaは4人の子の長女で、すぐに“父親っ子”となりました。Lindaは少しやきもちを焼きましたが、チャイルドシートに座れるようになった時から、私とどこへ行くのも一緒でした。私たちは一心同体で、 彼女はすぐに小型トラックとカントリーミュージックが好きになりました。

毎朝、ガレージの戸が開く音を聞くと、窓辺に走りより、仕事に出かける私に手を降ってくれたことを、決して忘れません。彼女は一日たりとこれを怠った日がありませんでした。私たちは分離不可能で、毎日家に戻って彼女と時間を過ごす事が待ちどうしくてしかたありませんでした。彼女は私のかわいいShelle Belleで、私は一度も父兄面談、発表会、表彰式、サッカーの試合等、学校行事を逃した事がありませんでした。私は母役をかってでる父で、それを自慢に思っていました。

Amandaは私にとって砂糖菓子プラムのよう。そして私は彼女にとって甘酸っぱいキャンディーのような存在でした。

成長後はさらにすばらしい思い出がたくさんあります。でも、私の心に永遠に刻み込まれたあの日を忘れることもありません。

1998年11月10日、Amandaはわずか16歳でした。その日、親にとって最悪の言葉———「あなたのお嬢さんは癌です。」と、聞かされたのです。

家族にとって、心を引き裂かれるような知らせでした。でも、Amandaは闘士で、さらに大事なことは、神様とイエスキリストに驚くほど強い信仰を持っていたことです。——母親から与えられたギフトでした。

癌の告知を受け、家に戻る途中、これから始まる治療について彼女と話したときのことを思い出します。Amandaは「お父さんが全部解決してくれる。」と知っていたから、少しも怖がっていませんでした。

Amandaと夜の散歩に出かけると、彼女は私をみて言いました。「こんな若くて癌になってよかった。」

わたしはびっくりしました。すると彼女は、「癌が私の目を開いてくれ、今人生がはっきり見える。今までどの服を着ようとか、どんな車を運転したいかとか、そんなことで悩んでた。でも、そんなこともうどうでもいいと思える。私の人生の一分でも無駄にしたくない。大勢の人達は長生きしてもそれを分からないままに過ごしてしまう。でも、私は16歳でそれに気がついたから、これから全く違う人生を生きることができる。」と説明したのです。それが私の娘Amandaでした。

私たちは大人が子供を導くものと考えますが、あの時から、Amandaが私をリードしていったのです。

お渡しいたしました詩集は、7年間の闘病中、彼女の信仰が絶え間なく試されそして強められていく成長の過程を記しています。Amandaはいつもその信仰で覚えていていただくことを願い、決して癌の犠牲者の役は果たしませんでした。 病を通し神の強さに引きつけられて行く事を他者に示すことになったとしても、彼女は神様に彼の望む方法で用いられることを願っていました。

Amandaは消極的なクリスチャンでいたくないとも言っていました。聖書を毎日読み、その他にも本、祈り、聖書研究への参加を通し、彼女が言う次のレベルの信仰に到達することに努力していました。

彼女がどんな人柄であったか、何に信念をいだいていたかを語る詩の一つを読ませていただきます。大胆な信仰の詩——Amandaがキリストを弁護している詩です。

心で生きる

04年3月24日 Amanda Dieppa (日本語訳:亮バウム)

意味もなくただそこに座って 人生が通り抜けるのを待っている。

「貴方の神様は私には必要ない」とあなたは言う。

なぜなの、教えてくれない?

私の信仰は、都合のいい松葉杖

そんなものにだまされない

証拠をちょうだい、何か触れるものをちょうだいとあなたは、言う。

ある人は、神様なんていないといいながら

毎日神に仕えている。

自分という主に。

自分が思うがままに

空しさに苦しまされて

自己憐憫に耽りプライドに操られている。

意味もないあっという間になくなるものに投資している。

過去に何度も失望をしてきたから

人生を捧げるのを拒んでいる。

あなたは、神様の存在を無視しながら

私の信仰を解体していく。

私は、喜びの心で生きているけど

あなたは、知性で生きている。

私の信仰は、力強い触媒。

自分自身への信仰はあなたを妨げる。

私が永遠の岩にしがみついている間

あなたは砂の上に人生を建てている。

知性にしがみつきながら

自分勝手な魂におぼれている。

神様以外の全ての物を

神様という形の穴に当てはめようとしながら

くだらなく意味のない物に。

大切な時間を無駄にしないで

プライドという牢から逃れてご覧なさい。

神様が拒否できない証拠をあなたに見せた時

取り残されてしまわないように。

 

大勢の方が、Amandaのことを、彼女の愛した人生が困難なものであったことを、嘆き悲しまれます。私はよく、彼女が病気にならなかったら、どんな人生を過ごしたのだろうと考える事があります。でも、神様の愛と、友人と、愛する夫Aaron(エアラン)に満たされて、彼女は人生を大切に過ごしました。彼女の人生の価値は、生きた年数ではなく、彼女が何を成し遂げたかによって計られました。

私たちは皆、自分の人生が他の誰かの人生を変える事ができただろうかと考えますが、この意味で、Amandaは多くの事を成し遂げ、長生きする多くの人以上に多くの人生に影響を与えて、人生を全うしました。

彼女が癌と診断された最初の日から、この世を去った時まで、神様は私たちにAmandaとの7年の月日をくださり、そのことを私は一生感謝することでしょう。この7年間、私たちは高校の卒業式、18歳と21歳の誕生日を楽しみ、そして、私は結婚式に彼女と教会のバージンロードを歩くことができました。これらは、私が一生大切にしたい思い出の一部です。

彼女は亡くなる前、たとえ一人でも神様に帰することを助けることができたなら、7年間の痛みや苦しみは意味があったと言いましたが、彼女は私を神様に帰させ、より良い人間、より良いクリスチャンになりたいと思うようにさせたことを皆様に申し上げます。これが彼女の残したものの一部であり、私の中に死ぬまで生き続けるものです。

Amandaは遺言として次の事を述べました。

1.曲“こうして覚えていてほしい”をメモリアルサービスのときに演奏して欲しい。

2.私のことを忘れないでいて欲しい。

3.私の詩を出版し、他の人を励まし、私の力がどこから来たかを知ってもらうために無料で配って欲しい。

4.私をこんなに何年も助けてくれた職場である警察署の全ての皆さんと、私の家族にお礼を言って欲しい。皆さんの支援を私はいつまでも感謝しつづけると伝えて欲しい。

5.私の家族と友人が、私と同じようにキリストを受け入れてくれるように。そうしたら、また天国で会えるから。

 

神様が天国でAmandaを抱き寄せ、そして「私の良い誠実な僕よ。よくやった。」と言っていることをただ想像いたします。

Amandaがいなくなって寂しいです。

心の中で、彼女を一生愛し続けます。

 

 

母の弔辞

Amandaの母でありえたことを多いに感謝しています。

母親となることは私の願いでありながら、同時に最も恐れることでもありました。食事や着るものの世話、愛情をかけることや躾といった彼女の身体的ニーズを満たせないかもしれないと思ったからではありません。私のキリストへの深い愛を理解し感じて欲しいと思ったからです。私と信仰を分かち合わず、天国で再会できない子を持つことなど、想像できなかったからです。

Amandaがキリストを信ずるなら、襲ってくるどんな痛みも苦しみも耐えられるだろうと思いました。私と天の父への信仰と愛を分かち合えるなら、「なぜ?」と疑問に思っても、神の愛と恵み、どのように全てが神の栄光のために働くかということを疑うことは決してないだろうと思いました。

神様がどんなお方かを自分の行動をもってAmandaにしめしていかなければならない大きな責任があることも分かっていました。キリストが私を愛してくださるように、私も彼女の前で行動し、話し、彼女を愛さなければならないと思いました。

私は、天の父のような同じ性質を多く持った良い父親を選びました。彼はAmandaが何をしようと、無条件で彼女を愛しました。彼はいつも彼女のそばにいて、彼女が倒れそうになった時、彼女の力となりました。父親の大きな愛を感じることができたから、天の父の愛も理解できたのだろうと思います。

神様の家族を愛することを教えるため、そして他の強いクリスチャンから学ぶため、私は彼女を教会へつれていく必要がありました。彼女と聖書を共に読み、神と神の栄光を知る喜びが芽生えるのを見ました。

Amandaと信仰を分かち合っていなかったら、彼女の人生はどんなだったか等とても考えられません。神様が彼女の救い主であることを知らなかったら、私たちは今日彼女の生涯を祝うためにここに集うことはなかったでしょう。代わりに私たちは彼女の死をただ嘆くだけでしょう。この恐ろしい不正義を悔やむことでしょう。彼女は平安も永遠の救済という安堵感も得ずこの世を去ったことでしょう。キリストを信じる母親として、これほど想像に耐えないことはありません。

そんな代わりに、私たちは今Amandaが主にあって多いに喜んでいると知りここに集っています。彼女がいつも「確信している」と言っていたように、彼女は天国で私たちの主と、救い主と一緒です。彼女の詩や今日ここに集ってくださった方々から分かるように、彼女は信仰に生き、知っている限りの人たちとそれを分かち合うことを願っていました。

Amandaの死を嘆き悲しまないでください。彼女が天の父と一緒にいることをどうぞ共に喜んでください。彼女はついに神様のことばを聞いているのです。「私の良い、誠実な僕よ。よくやった。」と。

Linda Twellman