August, 2010

またしてものりちゃんに勇気づけられた

第三回目の抗がん剤投与から1週間が経った。

そろそろ不快な副作用から解放されるはずなんだけど。 明日は今日より良くなるだろうかと毎晩期待して床につくのに相変わらず、体は重く、味覚変化は改善の兆しがみえない。

ジョージが「看護婦さんが言ってただろう?回を重ねる度に抗がん剤が体に体積していくから、徐々にきつくなるって。」と私の顔をしみじみと見て言う。

知らない!覚えてないよ。そんな話。

そんな話は記憶にないけど、抗がん剤経験者の方が、「しまいにはとてもきつくて、もうダメと思った。」と言う話をしてくれたのは覚えている。

後3回しなくちゃならないけど、これがもっと大変になるなんて、本当だろうか?

さっそくネットで検索しようとすると、答えを見つける前にchemo brain(抗がん剤の脳への副作用)という言葉が先に目に入ってきた。

この言葉も実は何度もすでに聞いている。抗がん剤の影響で頭が鈍くなって、記憶力、思考力が低下したり、物忘れが激しくなったりするという症状だが、私は、皆が冗談で言っているのだと思っていた。しかし、これは冗談ではないようだ。

ネットには、さらに、この副作用は抗がん剤療法が終わっても改善されない場合もあると書いてある!今でさえ、人の名前や地名がでてこない、探しものばかりしているのに、これ以上頭が悪くなったらどうするんだろう、と、さらに深刻になって検索を続ける。

そうしているとき、なぜか、あの元気の塊ののりちゃんのことを思い出した。彼女、12年前に骨髄移植提供に登録したのだが、最近、まだ提供の意思があるなら、ぜひ提供者になって欲しいと打診を受けたそう。

生体移植の場合、どんな臓器提供であってもリスクが伴うけれど、骨髄提供の場合は、全身麻酔が必要で、骨髄を取り出した後、痛みのため、平常の生活に戻るまでに数日かかるという。

そんな話を電話でしたら、「ヘルニアとかいろいろ痛いことはたくさん経験しましたから、痛みだけなら、平気です。」「私が断ったから、亡くなってしまったとか、後で後悔したくないし。。。」とのりちゃん。

骨髄移植が必要なのは白血病等の患者さん。提供者になった人は誰も知らないけど、骨髄移植が必要な人、必要だった人は何人も知っている。

骨髄提供の大切さは十分わかっているけれど、私にはとても痛みをかってでるような返事はできない。なのに、のりちゃんは、会ったこともない人のために、痛みを負おうとしている。

「汝の隣人を愛せよ」

聖書の言葉がまた耳に響いてきた。

彼女は本当に神様が大好きなんだ!と思ったら、次には、私が不安に思っている副作用なんて取るに足らないことと思えてきた。

やらなきゃならないことはやらなきゃならない。神様を信頼して、明日の心配は明日することにしよう。ネット検索は中止。代わりにのりちゃんに感謝のメールを出した。

Amanda両親の弔辞

7/24のブログ「アマンダの信仰
リンク http://www.amandaspoems.com/より
“Life Story”の日本語訳

父の弔辞

 

ここ数日Amanda(アマンダ)の残した思い出にどう感謝の気持ちを表したらよいだろうと悩んでいました。主に祈ってみましたが、いったい誰が今日のような日の準備ができるのでしょう? 一生の思い出をどうしたらわずか数分で語ることができるのでしょう?

Amandaのこと——幼かった時のこと、就寝前の絵本の時間、最初の歯が抜けたときの事、サッカーの試合から単語綴りトーナメント、卒業式から結婚式。。。そんな話しをしようか、それとも彼女が持ち続けた神への信じられないほどの信仰について語ろうか。。結局、両方についてお話させていただくことに決めました。

Amandaはよく詩を通して自分の魂を注ぎだし、生の感情を紙の上に現していました。 Amandaをしのぶため、 癌と診断された少し後 16歳の時に書いた最初の詩を紹介することから始めたいと思います。

小さな事柄

1999年 Amanda Twellman (日本語訳:亮バウム)

夜目を閉じて、一つ一つの夢を満喫したことがある?

貴方のお父さんの目を見て、

その中にかすかに光る輝きに気がついたことがある?

浜辺を歩いて、柔らかい砂をつま先で感じながら

あなたを愛している人たちの笑顔を

鼻の小さなしわまで覚えた事がある?

あなたの中の突然のまぶしい輝き、感じた事がある?

手のひらの一つ一つの皺を残す事なくなぞってみたことがある?

夜、 お母さんが「 おやすみ」と抱きしめてくれる時、

そのやさしい温もりを大切に思ったことがある?

友達、命、目に見えるもの、そしてこんないろいろな小さな事柄を、

神様に感謝したことがある?

 

私達は今日、娘Amanda の生涯を祝うためここに集いました。よく親にとって子に先立たれることほど辛いことはないと申します。しかし、23年の生涯を閉じ、 Amandaは私たちに、今日は葬儀の日ではなく、お祝いの日であること、彼女の生涯を祝う、キリストを通し、彼女が死を打ち破った勝利を祝う日であることを教えてくれました。

Amandaは1982年6月10日、ここからわずか数マイル離れたNewport Beach(ニューポートビーチ)で生まれました。その時、Linda(リンダ)と私は目の前に始まろうとしている旅がどんなものであろうか、どんなに自分たちの人生が永遠に変わっていくか等、想像もつきませんでした。

Amandaは4人の子の長女で、すぐに“父親っ子”となりました。Lindaは少しやきもちを焼きましたが、チャイルドシートに座れるようになった時から、私とどこへ行くのも一緒でした。私たちは一心同体で、 彼女はすぐに小型トラックとカントリーミュージックが好きになりました。

毎朝、ガレージの戸が開く音を聞くと、窓辺に走りより、仕事に出かける私に手を降ってくれたことを、決して忘れません。彼女は一日たりとこれを怠った日がありませんでした。私たちは分離不可能で、毎日家に戻って彼女と時間を過ごす事が待ちどうしくてしかたありませんでした。彼女は私のかわいいShelle Belleで、私は一度も父兄面談、発表会、表彰式、サッカーの試合等、学校行事を逃した事がありませんでした。私は母役をかってでる父で、それを自慢に思っていました。

Amandaは私にとって砂糖菓子プラムのよう。そして私は彼女にとって甘酸っぱいキャンディーのような存在でした。

成長後はさらにすばらしい思い出がたくさんあります。でも、私の心に永遠に刻み込まれたあの日を忘れることもありません。

1998年11月10日、Amandaはわずか16歳でした。その日、親にとって最悪の言葉———「あなたのお嬢さんは癌です。」と、聞かされたのです。

家族にとって、心を引き裂かれるような知らせでした。でも、Amandaは闘士で、さらに大事なことは、神様とイエスキリストに驚くほど強い信仰を持っていたことです。——母親から与えられたギフトでした。

癌の告知を受け、家に戻る途中、これから始まる治療について彼女と話したときのことを思い出します。Amandaは「お父さんが全部解決してくれる。」と知っていたから、少しも怖がっていませんでした。

Amandaと夜の散歩に出かけると、彼女は私をみて言いました。「こんな若くて癌になってよかった。」

わたしはびっくりしました。すると彼女は、「癌が私の目を開いてくれ、今人生がはっきり見える。今までどの服を着ようとか、どんな車を運転したいかとか、そんなことで悩んでた。でも、そんなこともうどうでもいいと思える。私の人生の一分でも無駄にしたくない。大勢の人達は長生きしてもそれを分からないままに過ごしてしまう。でも、私は16歳でそれに気がついたから、これから全く違う人生を生きることができる。」と説明したのです。それが私の娘Amandaでした。

私たちは大人が子供を導くものと考えますが、あの時から、Amandaが私をリードしていったのです。

お渡しいたしました詩集は、7年間の闘病中、彼女の信仰が絶え間なく試されそして強められていく成長の過程を記しています。Amandaはいつもその信仰で覚えていていただくことを願い、決して癌の犠牲者の役は果たしませんでした。 病を通し神の強さに引きつけられて行く事を他者に示すことになったとしても、彼女は神様に彼の望む方法で用いられることを願っていました。

Amandaは消極的なクリスチャンでいたくないとも言っていました。聖書を毎日読み、その他にも本、祈り、聖書研究への参加を通し、彼女が言う次のレベルの信仰に到達することに努力していました。

彼女がどんな人柄であったか、何に信念をいだいていたかを語る詩の一つを読ませていただきます。大胆な信仰の詩——Amandaがキリストを弁護している詩です。

心で生きる

04年3月24日 Amanda Dieppa (日本語訳:亮バウム)

意味もなくただそこに座って 人生が通り抜けるのを待っている。

「貴方の神様は私には必要ない」とあなたは言う。

なぜなの、教えてくれない?

私の信仰は、都合のいい松葉杖

そんなものにだまされない

証拠をちょうだい、何か触れるものをちょうだいとあなたは、言う。

ある人は、神様なんていないといいながら

毎日神に仕えている。

自分という主に。

自分が思うがままに

空しさに苦しまされて

自己憐憫に耽りプライドに操られている。

意味もないあっという間になくなるものに投資している。

過去に何度も失望をしてきたから

人生を捧げるのを拒んでいる。

あなたは、神様の存在を無視しながら

私の信仰を解体していく。

私は、喜びの心で生きているけど

あなたは、知性で生きている。

私の信仰は、力強い触媒。

自分自身への信仰はあなたを妨げる。

私が永遠の岩にしがみついている間

あなたは砂の上に人生を建てている。

知性にしがみつきながら

自分勝手な魂におぼれている。

神様以外の全ての物を

神様という形の穴に当てはめようとしながら

くだらなく意味のない物に。

大切な時間を無駄にしないで

プライドという牢から逃れてご覧なさい。

神様が拒否できない証拠をあなたに見せた時

取り残されてしまわないように。

 

大勢の方が、Amandaのことを、彼女の愛した人生が困難なものであったことを、嘆き悲しまれます。私はよく、彼女が病気にならなかったら、どんな人生を過ごしたのだろうと考える事があります。でも、神様の愛と、友人と、愛する夫Aaron(エアラン)に満たされて、彼女は人生を大切に過ごしました。彼女の人生の価値は、生きた年数ではなく、彼女が何を成し遂げたかによって計られました。

私たちは皆、自分の人生が他の誰かの人生を変える事ができただろうかと考えますが、この意味で、Amandaは多くの事を成し遂げ、長生きする多くの人以上に多くの人生に影響を与えて、人生を全うしました。

彼女が癌と診断された最初の日から、この世を去った時まで、神様は私たちにAmandaとの7年の月日をくださり、そのことを私は一生感謝することでしょう。この7年間、私たちは高校の卒業式、18歳と21歳の誕生日を楽しみ、そして、私は結婚式に彼女と教会のバージンロードを歩くことができました。これらは、私が一生大切にしたい思い出の一部です。

彼女は亡くなる前、たとえ一人でも神様に帰することを助けることができたなら、7年間の痛みや苦しみは意味があったと言いましたが、彼女は私を神様に帰させ、より良い人間、より良いクリスチャンになりたいと思うようにさせたことを皆様に申し上げます。これが彼女の残したものの一部であり、私の中に死ぬまで生き続けるものです。

Amandaは遺言として次の事を述べました。

1.曲“こうして覚えていてほしい”をメモリアルサービスのときに演奏して欲しい。

2.私のことを忘れないでいて欲しい。

3.私の詩を出版し、他の人を励まし、私の力がどこから来たかを知ってもらうために無料で配って欲しい。

4.私をこんなに何年も助けてくれた職場である警察署の全ての皆さんと、私の家族にお礼を言って欲しい。皆さんの支援を私はいつまでも感謝しつづけると伝えて欲しい。

5.私の家族と友人が、私と同じようにキリストを受け入れてくれるように。そうしたら、また天国で会えるから。

 

神様が天国でAmandaを抱き寄せ、そして「私の良い誠実な僕よ。よくやった。」と言っていることをただ想像いたします。

Amandaがいなくなって寂しいです。

心の中で、彼女を一生愛し続けます。

 

 

母の弔辞

Amandaの母でありえたことを多いに感謝しています。

母親となることは私の願いでありながら、同時に最も恐れることでもありました。食事や着るものの世話、愛情をかけることや躾といった彼女の身体的ニーズを満たせないかもしれないと思ったからではありません。私のキリストへの深い愛を理解し感じて欲しいと思ったからです。私と信仰を分かち合わず、天国で再会できない子を持つことなど、想像できなかったからです。

Amandaがキリストを信ずるなら、襲ってくるどんな痛みも苦しみも耐えられるだろうと思いました。私と天の父への信仰と愛を分かち合えるなら、「なぜ?」と疑問に思っても、神の愛と恵み、どのように全てが神の栄光のために働くかということを疑うことは決してないだろうと思いました。

神様がどんなお方かを自分の行動をもってAmandaにしめしていかなければならない大きな責任があることも分かっていました。キリストが私を愛してくださるように、私も彼女の前で行動し、話し、彼女を愛さなければならないと思いました。

私は、天の父のような同じ性質を多く持った良い父親を選びました。彼はAmandaが何をしようと、無条件で彼女を愛しました。彼はいつも彼女のそばにいて、彼女が倒れそうになった時、彼女の力となりました。父親の大きな愛を感じることができたから、天の父の愛も理解できたのだろうと思います。

神様の家族を愛することを教えるため、そして他の強いクリスチャンから学ぶため、私は彼女を教会へつれていく必要がありました。彼女と聖書を共に読み、神と神の栄光を知る喜びが芽生えるのを見ました。

Amandaと信仰を分かち合っていなかったら、彼女の人生はどんなだったか等とても考えられません。神様が彼女の救い主であることを知らなかったら、私たちは今日彼女の生涯を祝うためにここに集うことはなかったでしょう。代わりに私たちは彼女の死をただ嘆くだけでしょう。この恐ろしい不正義を悔やむことでしょう。彼女は平安も永遠の救済という安堵感も得ずこの世を去ったことでしょう。キリストを信じる母親として、これほど想像に耐えないことはありません。

そんな代わりに、私たちは今Amandaが主にあって多いに喜んでいると知りここに集っています。彼女がいつも「確信している」と言っていたように、彼女は天国で私たちの主と、救い主と一緒です。彼女の詩や今日ここに集ってくださった方々から分かるように、彼女は信仰に生き、知っている限りの人たちとそれを分かち合うことを願っていました。

Amandaの死を嘆き悲しまないでください。彼女が天の父と一緒にいることをどうぞ共に喜んでください。彼女はついに神様のことばを聞いているのです。「私の良い、誠実な僕よ。よくやった。」と。

Linda Twellman

ハッピーな一日

昨日はとても良い一日だった。前の晩はぐっすり眠れ、朝、 買ったばかりのジューサーを使ってにんじん、りんご、そしてレモンのジュースを作ってみたら、とってもおいしかった!

味覚が戻ってきた兆しと喜んだ。

2日前だったら無理だったけど、元気もでてきたので、お昼にはペンシルベニア州からサンディエゴに遊びに来ていたジョージの旧友との再会について行く事が出来た。久しぶりの会話も楽しければ、キッシュとチキンスープのお昼もおいしくいただけた。抗がん剤の副作用は長々と続く場合もあるようだけど、今は時が経つと消えていくから本当にありがたい。

元気が続いたので、夜は教会の「ハピネスアワー」幸せについての勉強会にも参加した。会う人会う人が私の顔をみて、「元気そうね。会えてうれしいわ!」と笑顔で挨拶してくれる。それだけで、もう私はとてもハッピーな気分になる。

トルストイは、「幸せは外的な状況に頼るのではなく 、自分たちがどうその状況を見るかによる。」といったそうだけど、 自分次第で、状況が良くても幸せと感じない場合もあれば、状況が厳しくても、幸せと感じることができる。もっと言えば、幸福は回りから求めるものではなく、自分の意思によって選ぶものと学んだ。

そして、 今日は半日、体操指導中の事故で首から下が動かなくなった後、口で絵を描きだした星野富弘の「愛、深き淵より」を夢中になって読んだ。

興味深いことに、彼も「病気やけがは、本来、幸不幸の性格はもっていないんではないだろうか。病気やけがに、不幸という性格をもたせてしまうのは、人の先入観や生きる姿勢のあり方ではないだろうか。」と書いていた。

誰も障害者にはなりたくないし、癌にもなりたくない。大事な家族を失いたくもない。でも、もしそうなってしまったとしても、それが不幸とは限らない。その向こうに希望がみつけられるかもしれないから。

聖書は「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、。。神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ書5:3−5:5)と書いている。

またしても元気が湧いてきた!

♱ 私を守る武具

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また聖霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも聖霊によって祈りなさい。—エペソ人への手紙6:13−6:18

♫What a Wonderful World (この素晴らしき世界)

歌:Louis Armstrong 日本語訳:http://htrjazz.hp.infoseek.co.jp/lyrics/8.htmより

I see trees of green
red roses, too
I see them bloom
for me and you
And I think to myself
“What a wonderful world !”
木々の緑
赤く萌える薔薇
あなたとわたしのために咲き繁る
そしてわたしはひとりつぶやく
「なんて世の中は素晴らしい!」
I see skies of blue
and clouds of white
On the bright sunny day,
or in the dark sacred night
And I think to myself
“What a wonderful world !”
紺碧の空
純白な雲
輝くように晴れた日も
神秘的な夜も
そしてわたしはひとりつぶやく
「なんて世の中は素晴らしい!」
I see the colors of the rainbow
so pretty in the sky
And also on the faces
of people going by
I see friends shakin’ hands
sayin’ “How do you do?”
I know they’re really saying
“I love you”
七色の虹が
空に美しく映える
通りゆく人々の上にも輝く
握手を交わす人々
「はじめまして」と挨拶を交わしている
だけど本当は「愛しています」といっているのさ
I hear babies cry
I watch them grow
I know they’ll learn
much more than I’ll ever know
And I think to myself
“What a wonderful world !”
赤ん坊のなく声
彼らが育つのを見守る
彼らはわたしが想像する以上に
いろんなことを学んでいくだろう
そしてわたしはひとりつぶやく
「なんて世の中は素晴らしい!


What a Wonderful World w lyrics – Louis Armstrong

⧈ 決してあきらめないで!

1992年

その若者はバルセロナ夏期オリンピック男子400m走の本命だった。

しかし、ゴールから約250mの時点で、思いもかけない出来事が起こった。

膝腱が裂傷したのだった。彼は半分までびっこをひいて走った後、痛みでうずくまった。

救急隊員が彼のところに駆けつけた時、彼は(レースを続けるか、棄権するか)決断をくださなければならないことを知っていた。

痛みにもかかわらず立ち上がると、彼は再びびっこをひきながら走り始めた。

すると突然、 警備員と争いながら、大柄の男が人混みを押し分けて出て来た。

若者の父親であった。

「もう走らなくたっていい。」涙を流している息子に父は言った。

「いや、走る。」息子は宣言した。

「そうか。それなら一緒に最後までがんばろう。」父は答えた。

父は息子を抱き寄せると、びっこの彼と一緒に走り始めた。

ゴールのまぎわで、父は息子から離れ、6万5千人の観衆が大喝采をする中、

若者はレースを完走した。

Redmond (レドモンド)は一位ではなかったかもしれない。。。しかし、彼は彼のレースを完走した。

痛みにもかかわらず、涙を流しながらも、

倒れた息子を抱き起こした父の強い愛に勇気づけられて、

若者は持てる力を全て出し切ることを決意した。

何が父をスタンドから息子のところに走らせたのか?

それは、我が子の激痛に耐える顔であった。

息子は苦しみながらも、レースを完走したいと願った。

だから、父は息子のそばに来て助けたのである。

神様も同じ。

私たちが苦しみに出会うとき、完走したいと闘うとき、

そばに来て助けてくださる。

あなたはどうか?

あなたのレースはどうか?

あなたも苦しみの中にいるだろうか?

あきらめてしまおうと思っていないだろうか?

神様はあなたが完走することを、強くあることを望んでおられる。

あなたを愛しているから。

彼に心を開いてみないかい?

(訳:バウム和世)

”自律神経にやさしい音楽”

日本から郵便物が届き、中から励ましの寄せ書きとCDが出て来た。
9年前UCLAで心臓移植をした琢磨くん(現在12歳)のご家族からだった。

昨年あたりから彼は移植した心臓の冠動脈が狭窄をおこし、入退院を繰り返している。

臓器移植は患者を死の淵から救う素晴らしい医療であるけれど、残念ながら今はまだ完治治療ではない。

サッカーが大好きなスポーツ少年として成長した琢磨くんは、今再び病、そして薬の副作用との闘いに挑んでいる。

癌になって絶え間ない応援、支援を受けている私が学んでいる事は、たとえ小さな一言でも、受けとる人にとっては大きな励ましとなると言うこと。

神様が私の上に働かれている。もっと人の痛みに敏感に、おしみなく与えられる人間になれと。

琢磨くんが近いうちに手術をすると聞き、「スヌーピー」の漫画を送った。そしたら、今度は琢磨くんたちがお見舞いをくださった。

琢磨くんのお姉さんが描いたという絵に寄せられた一つ一つの言葉もうれしければ、”自律神経にやさしい音楽“というCDが、本当に心を和ませてくれる。今度抗がん剤で寝込むときは、小さな戦士琢磨くんのことを考えながら、ぜひこのCDを聞くことにしよう。


			

慶応医大生のお手伝い

体調の良い時は出来る限り、できること、すべきことをしたい。

一粒の麦は、将来医療関係で活躍したいと考える学生支援も目指している。

今日は将来アメリカで医師として働きたいと願いアメリカに旅行にやってきた、慶応医大生Mさんを、元一粒の麦ボランティアで、今は小児病院のレジデントをしている順子ちゃんに紹介。午後からジョージのドライブでディズニーランドのあるアナハイム近くのCity of Orange 小児病院まで出かけた。 City of Orange 小児病院は、非営利団体の病院だそうで、医療保険を持たない家族に医療を提供している。ここで、順子ちゃんは1週間に80−90時間も働いているそうだ。そんな超多忙な中、時間を裂いてくれた。

若い二人が日米の医療の違いについて、将来の夢について熱心に話あうのをそばで聞きながら、 彼らがお金や名誉のためでなく、心から患者さんを助けたいと願っていることが感じられ、励まされた。二人の目標が病院や社会の欲体制から守られて達成されますように!

二人と別れた後は、アンティークショップの立ち並ぶダウンタウンに行って、小さなイタリアンレストランに入った。イタリア料理はジョージのお気に入りなのだけど、味覚変化で、しばらく私はおつきあいをさぼっていた。でも、今日は食べれそう。案の定、Mさんのお手伝いができた達成感もあって、ジョージとの会話を楽しみながらのスパゲティーはおいしかった!帰り、何車線もあるフリーウェイからどこまでも澄み渡った夕空を眺め、与えられた豊かさと、明日への希望を強く感じた。

♫|You Raise Me Up (あなたが抱き起こしてくれるから)

詞:Brendan Graham     訳:バウム和世

When I am down and, oh my soul, so weary;

落ち込んで、私の魂が弱りはてるとき、

When troubles come and my heart burdened be;

困難に出会い、心が重くなるとき、

Then, I am still and wait here in the silence,

そっと静かにここで待つ。
Until you come and sit awhile with me.

あなたがそばに来てしばらく一緒に座ってくれるまで。

You raise me up, so I can stand on mountains;

あなたが抱き起こしてくれるから、だから山の頂きにも立つことができる。
You raise me up, to walk on stormy seas;

あなたが抱き起こしてくれるから、嵐の海をも歩くことができる。
I am strong, when I am on your shoulders;

あなたの肩によりかかる時、私は強くなれる。

You raise me up: To more than I can be.

あなたが抱き起こしてくれるから、もてる力以上に強くなれる。

There is no life – no life without its hunger;

飢えのない人生なんてない。
Each restless heart beats so imperfectly;

それぞれの休まる事のない心がとても弱々しく鼓動している。
But when you come and I am filled with wonder,

でも、あなたがここに来て、神秘で私を満たすとき、
Sometimes, I think I glimpse eternity.

私は 時に永遠を垣間見るような気がする。

You raise me up, so I can stand on mountains;

あなたが抱き起こしてくれるから、だから山の頂にも立つことができる
You raise me up, to walk on stormy seas;

あなたが抱き起こしてくれるから、嵐の海をも歩く事ができる。
I am strong, when I am on your shoulders;

あなたの肩によりかかる時、私は強くなれる。
You raise me up: To more than I can be.

あなたが抱き起こしてくれるから、私は持てる力以上に強くなれる

ジョージ誕生日を祝う

日曜礼拝の後、病院に行って、火曜日に受ける抗がん剤のための血液検査。家に戻ってきた時には、すでに結果がコンピューターに送られてきていた。全て平均値内。問題なし!

夕方からは、手作りのお弁当を持って、教会の恒例野外夏コンサートに家族で出かけた。17日がジョージの誕生日なので、今日は大きなケーキも持って、集まった人達とお祝いする。

海が180度に渡って展望できる崖の上に建つ私たちの教会はかつて、大富豪が奥さんへの誕生日プレゼントとして建てたという豪邸だったそうだ。

映画のシーンにも使われたことのあるこの美しい教会には、日本からも毎年何組かのカップルが結婚式を挙げにいらっしゃる。

左にはカタリーナ島が、右にはサンタモニカの町並みが見渡せるパティオにテーブルを並べて、水平線に沈んで行く大きな黄金色の夕日を眺めながらいただく夕食は、格別おいしく感じた。

手際の悪いところを数人の教会員の方に助けていただきながら皆さんにケーキを配った後は、噴水のそばに椅子を並べ、照明灯を備えた即席野外コンサート会場に移動。

ロックコンサートはリクエストしたジョージのためのハッピーバースデーの歌から始まった。70−80年代の曲は、私にもとても懐かしい。後ろでは、踊っている人たちも。皆が楽しんでいるのを見るのは、こちらも楽しい気分にさせられる。

コンサート終了後も、ジョージのお祝いは、我が家にもどって、なおも継続。プレゼントを渡し、いっぱい、いっぱい皆で笑って、今年も本当にHappy Birthday George!

4回目抗がん剤点滴

17日第4回目の抗がん剤点滴。

副作用抑制のためのステロイドを抗がん剤点滴前日から飲むのだけど、このせいで、またしても前の晩は一睡もできなかったので、今回は、点滴中、ずっとお昼ね。

例によって、白血球数低下防止のための注射をお腹に自宅で3日打つ。

なかなか慣れないので、少し痛いけど、このおかげで、感染症から免れている。

これから数日また食欲体力減退、ごろごろ。聖書を読んで、心に栄養を与え、また元気がもどってくるのを待っている。

闘病期は休息期?成長期?

8月もまもなく終わり。5月に癌とわかってから、早4ヶ月が過ぎようとしている。

年々月日の経つのが速く感じられるこのごろだが、私は今年を有意義に過ごしているだろうか? それとも、ただ癌に貴重な時間を奪われてしまっているだけだろうか?

ジョージに自分が成長しているかどうかをどう評価したらよいのか尋ねてみた。彼は、イエスが私たちに望む価値観により8月の彼の誕生日と、1年の終わりの晦日の年2回、日記をもとに自己評価,次の目標をたてているそうだ。

それならばと、私もジョージにならって自己評価をしてみた。

自己評価

#1。 感謝の気持ち

癌になって以来、日本とアメリカから大勢の人々に支援されて、ほとんど毎日なんと自分は恵まれているのだろうと感じている。

見慣れた食事でも、おいしくいただけるときは、とてもうれしく感謝。

教会で、或は訪ねてきてくれる人達が笑顔で迎えてくれる挨拶もとっても幸せな気分にしてくれる。

日々の仕事に感謝も価値もみいだせないで不満ばかりをふくらませていた病気前に比べたら、 雲泥の差。前進。

#2 謙虚さ

一粒の麦が出会う患者家族の方々は、よく「こんなに親切にしていただいて、どうお礼をしてよいのかわからない。」とおっしゃるけれど、親切を受けとるのは、与えるのと同じほどに難しい。

思いもかけない親切を受けとるには謙虚にならなければならないから。

イエスが弟子たちの足を洗おうとしたとき、弟子の一人ペテロは最初そんなもったいないことはとても受けられないと断った。しかしイエスは、足が洗えないなら、ペテロと結びつくことがないと答える。

こんなにも溢れるほどに受ける恩をどう返したらよいのだろうと考えると、親切を受けとるのがおっくうになる。

でも、受けとることを避けていたら私たちの距離は広がったまま。

謙虚になって、受けとることができたら、批判や文句が減り、相手に感謝と敬意の念が湧き、聞き上手になり、そして最終的に同じようにおしみなく与えられる人となるはず。

神様が私の上に働いている。半歩前進。

#3 人を愛し、思いやる気持ち

一方的にたくさんの愛を注ぎながら、神様は私にももっと与えられる人となることを、もっと人の気持ちに敏感になることを願っておられる。

今は人を訪ねるときではないけれど、試練に出会っている人達のために祈ることはできる。

彼らに私の思いを言葉で伝えることはできる。

私たちが「互いの足を洗いあう」とき、 神、人 との絆は強まっていく。それが結果。

わずかながらも小さな半歩前進。

#4 正しく正直であること

大衆の動向に流れず神の目にとって正しいことをしよう、求めようとするとき、ときに人は中傷や障害にであう。

そうでなくても、自分の欲を制して正直であることは、苦痛を伴うことしばしばで、言い訳をすることが多い。

何が正しいのかという基準は人がどう感じるかによるのではなく、聖書によるのであって、謙虚さと従順さが必要なのだと思っているけど、ここはまだまだ努力の必要大。

#5 人を許すこと

私には長いこと母との葛藤があった。自分の中にも 同じ欠点が見えれば見えるほど、この葛藤は大きくなった。

けんかを何度もしてきたけれど、ここへ来て、やっと感謝の気持ちがそれを乗り越え、素直に「大好き」と思えるようになった。私にとっての大進歩。

どのゴールもまだずっと先にあるのはわかっている。でもこうして評価してみると、闘病中のこの4ヶ月は決してマイナスではない様子。

この癌を神様が福としてくださるように!もっと私を練り上げてくださるように!

愛美ちゃんがやってきた

UCLAで7歳のとき心臓移植をした愛美ちゃんが家族旅行でロスにやってきた。
移植が必要だった当時、愛美ちゃんは血栓が脳にとび、あやうく死にそうになった。
そんな娘を横目でみながら、億単位の渡航医療費を集める募金活動にも奔走し 、家族は必死の思いでロスにやってきた。
あれから5年、成長した愛美ちゃんを連れたご家族は、今とても幸せそう!

大手術をした入院中はもちろん、退院後も繰り返されたいくつもの検査、何十種類もの投薬と副作用に耐えたここでの6ヶ月は大変なことがたくさんあったはずなのに、良い思い出だけが残って、愛美ちゃんはいつもロスを懐かしがっていたとお母さん。

今も2週間毎の血液検査と月一回の検診を続け、8種類の薬を飲んでいるという。
血栓が脳にとんだための後遺症もあるけれど、愛美ちゃんやご家族から不安、不満はいっさい出てこない。

おかあさん、弟、そしておとうさんとも腕を組んで、大人の会話やお買い物につきあうときでさえ、家族と一緒にいるのが楽しくてしょうがないというような愛美ちゃんと再会し、募金活動に協力してくれた大勢の方、受け入れてくれたアメリカ、UCLAの病院、そしてドナー家族のなしたこの快挙を目撃できたことを改めてうれしく思った。

愛美ちゃんのご家族、元ボランティア達と